1822.図鑑を捨てる
道具屋が、焼け焦げた魔獣の死骸を【操水】で冷やす。
「おっ、気が利くなぁ」
「おだてたって、戦いませんからね」
緑髪の道具屋が照れ笑いを浮かべる。
マコデス人の魔獣駆除業者は、道具屋が鱗蜘蛛の巣を【操水】で除去するのを待って、死骸から素材を回収した。
「これは我々がいただきますよ」
「そうしてくれ。殺ったのはあんただ」
素材屋プートニクは、快く譲った。
マコデス人の駆除屋は、二人とも慣れた手つきで魔獣の死骸を処理する。
「ここの鱗蜘蛛は、みんな巣を張る奴か?」
「そうです。俺が【索敵】で見た限り、巣の中でじっとしてる奴だけです」
プートニクが聞くと、赤毛の駆除屋は即答した。
「鱗蜘蛛に巣を懸けない種類が居るのか?」
アーテル人の隊長に怪訝な顔で聞かれ、プートニクは面食らった。
「魔獣退治用の特殊部隊なんだろ? 何で知らねぇんだ?」
「軍や警察、猟友会、自警団などが倒した魔獣のデータベースにないからだ」
「え? アーテルの本屋は魔物図鑑、売ってないんですか?」
ラクリマリス王国で店を構える道具屋が、ルフス神学校の廊下を見回す。
「半世紀の内乱の影響で、魔獣の分布が変わった。独立後の我々には、魔法が使えん。内乱以前の戦い方が参考にならんのでは、イチから作り直すしかあるまい」
隊長は尤もらしい説明をしたが、穴は幾つもある。
「でもよ、魔物や魔獣のよく出る場所は変わっても、基本的な性質や食性、上手い逃げ方や魔法以外の倒し方なんかは変わんねぇ。予備知識のあるとなしとじゃ、生存率が大違いだ」
「そうですよ。丸ごと作り直すなんて、非効率です」
魔法の道具屋がプートニクに加勢する。
「だが、それが、我が国の国民が、選挙で正統に定めた歴代内閣と、それを支える行政組織……魔物・魔獣データベースに関しては、環境省、教育省、宗教庁の決定なのだ」
「えぇ? 昔の図鑑、一冊も残ってないんですか?」
赤毛の駆除屋も目を剥いた。
「ない筈だ。内乱で焼けずに済んだ民家の物置にでも眠っている可能性は否定できんが、流通も、図書館や大学の蔵書にもない」
「あんたたち、よく今まで生き残ってたな」
プートニクが呆れると、年配の駆除屋が何かに気付いた目を向けた。
「お二人は、ランテルナ島の業者ではないのですか?」
「俺らはラクリマリス人だ。王都に土地勘があるランテルナ島民は、参拝のついでに買物しに来るぞ」
「ウチのツケ踏み倒したのは、ランテルナ島の業者ですけどね」
緑髪の道具屋がアーテル人の隊長の目を見て答えた。アーテル陸軍対魔獣特殊作戦群の部隊長は、表情を動かさず、一言も発さない。
プートニクはふと思い出して言った。
「アーテルじゃ、去年の秋頃から魔獣がうじゃうじゃ出たって聞いて、俺も時々素材採りに来てンだ」
「この地に土地勘があるのか?」
「いや、ランテルナ島なら知ってるって奴に【跳躍】で連れて来てもらって、バスで橋渡ってイグニカーンス市ってとこの屋上で狩ってたんだ」
特に隠す理由もなく、正直に答えると、隊長は目を見開いた。
「イグニカーンス市で屋上のモノを殲滅したのはあなただったのか」
「は? まさかぁ。俺一人ってこたぁねぇだろ」
半笑いで流し、気付いた件を言う。
「駆除屋の連中は、地上と建物の中に入った奴の始末で忙しそうだったけどよ、巣を懸けずにウロチョロする鱗蜘蛛もちょくちょく見たぞ。それでも、そっちの図鑑に載らねぇのか?」
「先程も説明したが、データベースに登録されるのは、我々……対魔獣特殊作戦群や星の標義勇兵団などが、魔術を用いずに倒したモノだけだ」
「じゃ、巣を作る奴は倒したコトあンのか。逆にすげぇな」
力なき民がどう戦うか、興味が涌いた。
「ビルの隙間などによく巣食うからな。筒状の巣を小型無人機で上空から調査。上から殺虫剤を散布し、弱らせてからガスマスクを着用した部隊が正面へ出て銀の弾丸で一斉掃射だ」
「じゃあ、この校舎の奴もそうするつもりだったのか」
プートニクは素直に感心した。
科学文明圏にも、魔物や魔獣が出ないワケではない。
これまで、彼らがどう対処するか、全く知る気がなかったが、頭の中で少し世界が拓けた気がした。
「校舎へ到るまでに多数の損害を出し、撤退を余儀なくされたからな」
「軍医が……【青き片翼】学派の呪医が部隊に同行してりゃ、死者はもっと少なかったし、余程の重傷でない限り、すぐ戦線に復帰できるんだがなぁ」
「ないものについて語っても仕方なかろう」
隊長が、元騎士プートニクの発言をバッサリ切り捨てた。
巣を懸けない鱗蜘蛛は、活発に動き回り、跳躍力が高く、口から毒液を吐く個体も存在する。徘徊する鱗蜘蛛が相手では、アーテル軍には勝ち目がないのだ。
「何でこんな一カ所に固まってうじゃうじゃ居ンだろな?」
「土魚に関しては、邪悪な術で召喚する様子の目撃証言が、多数ある」
「信用できンのか?」
「警察官やスピナ市危機管理対策室の職員など、信用できる情報筋だ」
「えぇッ? それはラクリマリスでも普通に犯罪ですけど、召喚の犯人、捕まったんですか? もしかして、ここの魔獣もその犯人が?」
道具屋が震える声で早口に言い、怯えた目で校舎を見回す。
鱗蜘蛛の巣が取り払われた廊下には、魔法陣など召喚術の痕跡は見当たらない。
「魔法文明圏だったら、魔獣の一部を【鵠しき燭台】に掛けて、召喚かうっかり迷い出たか確認できるのですが」
年配の駆除屋が隊長を見る。
「魔法の道具か? そんなモノ、我が国にある筈がなかろう」
「犯人の顔までハッキリわかるんだけどなぁ」
赤毛の駆除屋が残念がった。
☆俺も時々素材採りに来てンだ……「1315.突然のお誘い」「1316.きな臭い噂話」「1340.向こう岸では」「1384.言えない仲間」参照
☆ランテルナ島なら知ってるって奴(中略)バスで橋渡って……「1314.初めての来店」参照
☆駆除屋の連中は、地上と建物の中に入った奴の始末で忙しそう……「1340.向こう岸では」参照
☆星の標義勇兵団……「1783.臨機応変作戦」「1785.足手纏いの兵」参照
☆土魚に関しては、邪悪な術で召喚する様子の目撃証言……「1698.真夜中の混乱」~「1700.学校が終わる」参照




