1821.魔法の破壊力
案内板でトイレのピクトグラムを確認し、慎重に歩みを進める。
先頭は、大剣を担いだ【飛翔する鷹】学派のプートニクが行く。
二番は【飛翔する蜂角鷹】学派の使い手、三番はアーテル陸軍対魔獣特殊作戦群の部隊長、その後ろに【編む葦切】学派の道具屋、殿を守るのは、学派不明の魔獣駆除業者だ。
ルフス神学校の本校舎には他に人の気配がなく、男五人の足音だけが響く。
教室の出入口上部に細い札が突き出る。札で教室名を確認しながら歩いた。
トイレのピクトグラムが見えたところで、プートニクは片手を肩と水平に上げ、四人を止める。
「想い磨ぎ 光鋭き……」
力ある言葉を途中まで唱え、廊下の壁に沿って擦り足でトイレの入口へ近付く。
ある程度まで接近すると、ピクトグラムの札にまで、白い糸が絡むのが見えた。
右手に魔力を収斂し、入口の正面に立つ。赤色の鱗蜘蛛が反応するより早く、結びの言葉を唱えた。
「……槍と成せ!」
圧縮された魔力の塊が、輝く槍と化す。上体を起こし、前二本の足を上へ伸ばした魔獣の頭胸部と腹部の境に命中した。
一撃で魔獣を両断し、筒状に張り巡らされた巣の底を貫く。コンクリートの壁が轟音と共に吹き飛び、一瞬遅れて、離れた場所から何かが壊れる音が聞こえた。
「旦那! 出力!」
「俺、【飛翔する鷹】だから【急降下する鷲】の手加減なんざ、できねぇよ」
緑髪の道具屋が青くなり、赤毛の駆除屋が落ち着いた声で【索敵】を唱える。
「生垣を吹き飛ばして、道路を挟んで北側の……お店かな? えっと、店舗のような建物と、その奥の民家三棟が全壊、更に奥の一棟も一部が損壊しました」
隊長が鋭く問う。
「人的被害は? 北門にも監視部隊が」
「兵隊さんは大丈夫です。びっくりしただけです。民家は、今から瓦礫の下を確認します」
「いや、それはいい。周辺住民は全員退避済みだ」
隊長がやや緊張を緩め、プートニクに近付いた。
「魔獣やっつけても、周囲にそんだけ被害出したら、スッゲー怒られたんじゃないんスか?」
そこまで聞いて、ラゾールニクが呆れた声で口を挟んだ。
ロークも同感だ。
「損害賠償を請求されたりとか」
「いや? 別に何も言われなかったぞ」
……「怖くて何も言えなかった」の間違いじゃないかな?
爆撃機を一撃で墜とす威力の術だ。
薬師アウェッラーナが首を傾げた。
「あれ? でも、ヤーブラカ市の時は、ジャーニトルさんが【光の槍】を何回も撃ち込んで、お巡りさんたちの矢と狩人さんの銃も合わせて、魔法の剣でいっぱい斬ってやっとやっつけられたのに?」
「それってお巡りさんを食べて、その人の魔力の分、強化されたからだよ」
「神学校の個体は、この世に来たばかりで、まだ弱かったからでしょうね」
ヤーブラカ市の鱗蜘蛛退治を報告書で読んだラゾールニクとロークが言うと、現場に居た薬師アウェッラーナは、自分の両肩を抱いてプートニクを見た。
「あぁ。魔法防禦も薄かったし、とんだ誤算だ。建物にも魔法防護が一個もねぇとか」
「そりゃそうでしょう。アーテルはキルクルス教国になったんですから」
ロークは、一時在籍したルフス神学校の様子を思い返した。
礼拝堂は、聖典に記された教会建築の様式に則り、ロークには読めない力ある言葉が刻んであったが、敷地内の他の建物には、全くなかった。
火の不始末を怖れ、食堂などはわざわざ別棟にしてあるくらいだ。
「まぁ、そりゃともかく、人死は出なかったし、素材もたっぷり採れた」
プートニクは、紅茶を一口啜って話を続けた。
緑髪の道具屋が【無尽の瓶】から水を引き出して沸かし、トイレ内に張り巡らされた鱗蜘蛛の巣を壁や天井から剥がす。筒状の巣に覆い尽くされ、真っ白だったトイレは、すぐに元の姿を取り戻した。
水塊が糸を丸めて回収する。
「それをどうするのだ?」
「使用済みの糸は、素材にならないので焼くしかないんです」
隊長に聞かれた道具屋が水を宙で板状に広げ、【点火】の呪文を唱えた。鱗蜘蛛の糸が青白い炎を上げ、綿菓子が溶けるように消える。
年配の魔獣駆除業者が、魔獣の腹部を覆う鉄の鱗をナイフで剥がした。一枚一枚が、掌くらいある。
もげた脚から爪を切取り、腹を割いて出糸突起を採ると、道具屋が残りを【炉】で灰にした。
「本当に一人で倒せるんですね」
マコデス人の魔獣駆除業者二人が、プートニクに素材を渡しながら、すっかり感心した顔で言う。
「次は、あんたたちのお手並み、拝見させてもらっていいか?」
「そうしていただけると助かります」
プートニクと年配の駆除屋が順番を代わり、廊下の東奥を目指す。
「建物がヤワなのがわかりましたし、別の術でやりましょう」
「何使う気だ?」
「私はこれです」
プートニクが聞くと、学派不明の駆除屋は、振り向かずにナイフをひらひら振った。隊長が驚きの声を上げる。
「ナイフ一本であれと戦う気か?」
「まさか。刃物を触媒にする術があるんですよ」
校舎の南廊下を東の突き当たりまで進んだが、巣はない。角を曲がると、北東の端で巣に収まる赤い鱗蜘蛛が見えた。
「霹靂の 天に織りたる 雷は 魔縁絡めて 魔魅捕る網ぞ」
業者は早口に呪文を唱え、ナイフを横に薙いだ。
飛び掛かった魔獣が宙で【紫電の網】に絡め取られ、激しい音を立てて焼け焦げる。駆除屋はナイフを自分の身に引き寄せ、網の中で暴れる魔獣に対抗する。
髪の毛を燃やしたようなイヤな臭いが廊下に充満し、鱗蜘蛛は動かなくなった。
☆赤色の鱗蜘蛛……「850.鱗蜘蛛の餌場」、魔獣図鑑「864.隠された勝利」参照
☆ヤーブラカ市の時……「0932.魔獣駆除作戦」~「0936.報酬の穴埋め」参照
☆お巡りさんを食べて、その人の魔力の分、強化された……「0936.報酬の穴埋め」参照
☆礼拝堂は、聖典に記された教会建築の様式に則り……「763.出掛ける前に」参照
☆火の不始末を怖れ、食堂などはわざわざ別棟……「742.ルフス神学校」「743.真面目な学友」参照




