1817.助けを拒む者
「地上のカルダフストヴォー市を囲む防壁と、地下街チェルノクニージニクの通路とかの呪文と呪印。建物もそうだけど、これ全部、住民の魔力で稼働する護りの術で、中に居る限り、魔物や魔獣に襲われる心配はあんまりない」
「完全には護れないのですか?」
「結界内の死体から涌いたら別だよ。それも自警団が何とかしてくれるけど」
ラゾールニクが、魔法文明圏での常識、魔道士の国際機関「霊性の翼団」とその学派、魔力と作用力の関係などを次々と説明する。
アーテル本土から避難してきた無自覚な力ある民の男性は、時折、質問を交えつつタブレット端末で熱心にメモを取る。
大学で神学を研究した程のキルクルス教徒とは思えない食いつきぶりだが、魔力があるとわかった以上、仕方がないのかもしれない。
……身体も洗えない人たちって、自分の魔力を受け容れられなくて、生活の変化に順応できない人たちなのね。
薬師アウェッラーナは納得したが、それにしては人数が多過ぎる。
インターネットは使えなくても、噂が立って警戒されそうなものだ。魔獣駆除業者たちは、どうやって駆除の後で【魔力の水晶】を握らせるのか。
「その【水晶】一個くれたら【操水】と【魔除け】の呪文教えるけど、どう?」
ラゾールニクが手帳を一枚破り取る。
男性は、まだ迷い、視線を泳がせる。
「専用の糸で呪文を刺繍した服を着れば、魔力さえあれば、魔法が使えない人でも、術の効果が常時発動します」
薬師アウェッラーナが、コートの呪文を指でなぞって説明すると、男性は店内を見回した。客や給仕の服にも、呪印と力ある言葉の刺繍がある。
「就職するにしても自力で稼ぐにしても、これ使えなきゃハナシになんないよ」
「呪文入りの服は、それなりのお値段しますし」
「宜しくお願いします」
男性は、ラゾールニクを真っ直ぐ見詰めて言った。
ラゾールニクが紙に呪文を書く間、ソルニャーク隊長が話を続ける。
「あなたは先程、この島で同類と話したと言ったが、流石に星の標は居ないでしょうね。何度も爆弾テロを仕掛ける程、島民を嫌悪しているのだから」
背広姿の男性は喫茶店を見回し、背を丸めて小声で答えた。
「実は、何人か、星の標の知人もこちらへ来ています」
アウェッラーナは息を呑んだが、ソルニャーク隊長は静かな声で問うた。
「あなたも星の標なのか?」
「いえ、業務で知り合った人たちです」
「彼らは、どこでどうしているのだ?」
ソルニャーク隊長が、険しい顔で質問を重ねる。
「橋の近くのバス停や公園などで雨露を凌いで、サンドイッチ屋さんが出すパンの耳で何とかしているそうです」
「星の標の人たち、魔法が使えなくてもできるお仕事、探さないんですか?」
気を取り直したアウェッラーナが聞くと、男性は眉根を寄せた。
「彼らにも、自分たちがこの島のみなさんに何をして来たか、自覚はあります。掌返して、魔力を持つ仲間だから助けて欲しいとは、言えないのではないでしょうか」
「でも、野垂れ死にされたら、その方が迷惑だと思うんですけど」
ランテルナ島民が実際、彼らをどう思うか、アウェッラーナにはわからない。
少なくとも積極的に排除する動きはなく、質問されれば、面倒臭そうにしながらも、一応きちんと答える。
働けない年齢の子供を保護し、養育する仕組みもある。
星の標の一員なのは、自ら明かさない限り、わからない筈だ。
「怖いとか? どっち向いても呪文や呪印だらけで湖の民もフツーに居るし」
ラゾールニクが、書き終えた紙を男性の方へ滑らせた。
手に取った男性が息を呑む。
「これは……!」
二枚の内、卓上に残るのは【操水】だ。
ラゾールニクがニヤけた顔で聞く。
「何びっくりしてんの?」
「これは……祈りの詞なのですが、何故、魔法使いのあなたが?」
「祈りの詞? キルクルス教の?」
「そうです。一般向けの聖典には、湖南語や共通語で、聖職者用と星道の職人用の聖典には、この文字で書いてあります」
ラゾールニクは意外そうな顔をしてみせる。
「へぇー……でも、さっきも言ったけど、こいつは霊性の翼団が、三界の魔物と戦ってた時代に開発した【魔除け】の術だ。キルクルス教なんか影も形もない大昔なんだけどな」
「そんな……では、この文字は何ですか? これも聖典に載っているのですが」
「神学科で習ったの? “力ある言葉”って言う魔力の制御符号なんだけど?」
「いえ、留学中、バンクシアの教会で聖典のすべてを見せていただいたのです」
年配の男性の大学時代と言うことは、二十年以上前になる筈だ。これだけ鮮明に記憶に焼き付いたと言うことは、相当な衝撃を受けたのだろう。
「こうやって服にも色々刺繍してあるんだけどさ」
ラゾールニクが、上着を捲って裏地の刺繍をひとつずつ説明する。
男性は一言断って、タブレット端末で刺繍の写真を撮り、熱心にメモした。
「俺らは魔法使いだから、キルクルス教のコトはわかんないけど、あんたはこれから、ここで魔法使いとして生きてくって決めたんだろ?」
「決めたと申しましょうか、そうせざるを得ないと申しましょうか」
歯切れの悪い答えを返し、渋い顔を卓に向ける。
「腹括ったから呪文教えてくれっつったんだろ? あ、これ一個もらっとくぞ」
ラゾールニクは卓上に転がる【魔力の水晶】をひとつ、小さな革袋へ入れて懐に仕舞い込んだ。
「優しき水よ、我が声に我が意に依り、起ち上がれ。
漂う力、流す者、分かつ者、清めの力、炎の敵よ。
起ち上がり、我が意に依りて、自らを清めよ」
薬師アウェッラーナはゆっくり呪文を唱え、紅茶で【操水】を実演してみせた。ラゾールニクのメモを指でなぞって説明する。
「前半は水に魔力を巡らせる定型文で、最後の行が水に対する命令です。彼は、水とその他の物に分ける命令を書きました」
水から紅茶の成分を抜き取り、茶器に粉を落とした。
男性は、宙に浮く透き通った水と茶器を交互に見て、目を丸くする。
「湖水を塩抜きして飲料水にしたり、服や身体を洗った汚れを捨てたり、生活に必ず必要な基本中の基本です」
「命令を変えれば、色々出来るようになる。一度に大量の水を動かすには、それだけの魔力が要る。最初はちょっとの水で、魔力の扱いを体感的に覚えるとこからだな」
「あ、あの、発音を聞き返して覚えたいのですが、録音させていただいてよろしいですか?」
男性が恐る恐る聞く。
湖の民アウェッラーナは快諾し、ひとつひとつの発音をゆっくり、はっきり唱えてみせた。
☆魔道士の国際機関「霊性の翼団」……「852.仮設の自治会」「1387.導入する理由」「1560.複合的な視点」参照
☆魔力と作用力の関係……「0060.水晶に注ぐ力」「0070.宵闇に一悶着」「0139.魔法の使い方」参照
☆何度も爆弾テロを仕掛ける……「293.テロの実行者」「386.テロに慣れる」「387.星の標の声明」参照
☆質問されれば(中略)一応きちんと答える……「1815.流入する棄民」参照
☆働けない年齢の子供を保護し、養育する仕組み……「1796.生存の選択肢」参照




