1816.読めない意図
「見たとこ、本土の人っぽいけど、向こうで何があったか教えてくれたら、ここでの身の立て方、教えたげるけど、どう?」
ラゾールニクも提案したが、背広姿の男性は、金髪の若者、先に話しかけた中年男性、連れらしき緑髪の少女を順繰りに見ただけで答えない。
先客が買物を終えるのを待って、薬師アウェッラーナは鞄から香草茶を詰めたビニール袋を出した。
「これで、干肉を買えるだけ下さい」
「はいよ」
肉屋のおかみさんは愛想よく応じ、匂いを嗅いでから香草茶を量りに乗せた。薄く切った羊の干肉を三枚、小さな紙袋に入れて保冷ケース越しに寄越す。
「まいど」
「本当に物々交換なんですね。しかし、相場はどこで」
「そんなの店によるし、時期でも違うからね」
おかみさんは、背広姿の男性の質問をぴしゃりと遮った。
「ここじゃ商売の邪魔になるし、そこの喫茶店でどう?」
ラゾールニクが精肉店の斜向いを指差す。戸の横のお品書きは現金価格だ。
年配の男性は、覚悟を決めた顔でラゾールニクに従った。
「紅茶。ポットで。カップ……どうします? 割り勘」
ラゾールニクが注文しかけて背広姿の男性を見る。本土から来た人物は、一も二もなく頷いた。
「じゃ、カップ四つで」
給仕が下がるのを待って、ソルニャーク隊長が本題に入る。
「本土で何があったか、教えて下さい」
「私の観測範囲だけですか? ニュースも含めますか?」
「新聞は手に入ります。あなたの観測範囲……一時情報を教えて下さい。それまでどんな暮らしを送り、何が起きてこの島に来たのか」
「本当に身の上話をするだけで、仕事を斡旋して下さるんですね?」
「色々な働き方は教えられるけど、実際に就職できるかはオジサン次第だよ」
ラゾールニクはしれっと躱す。
「何故、対価を払ってまで知りたいのです?」
「最近、身体とか洗ってないっぽい人が急に増えて、何でか気になって。でも、臭い人って話し掛けんのヤだし」
男性は諦めた顔で語り始めた。
アーテル共和国の首都ルフスで生まれ育ち、ルフス神学校の聖職者クラスを受験したが、不合格。一旦は諦めて世俗の学校へ進学した。やはり神学研究の道を諦めきれず、ルフス大学の神学科を卒業。在学中はバンクシア共和国へ留学し、様々な角度から神学を学んだ。
卒業後、大聖堂に築いた人脈を買われ、アーテル共和国で最大手の出版社であるデカーヌス書店株式会社の宗教書部門に就職した。
「ん? 神学を学んだのに編集者じゃなくて、経理だったんですか?」
薬師アウェッラーナは思わず疑問をこぼした。
「主な業務は神学書の編集です。高校生の頃、資格試験にハマって手当たり次第に取った中に簿記もありまして、部署の小口現金や領収書の管理を任されておりました」
「ははは。嘘じゃないけど、随分ハナシ盛ってたんだな」
「個人商店での経験はありませんが、何とかなると思いまして」
男性は、ラゾールニクの指摘を愛想笑いで流した。
「どんな資格があろうと、この島の常識を知らないのでは、門前払いだ」
ソルニャーク隊長に言われ、愛想笑いを引っ込める。
薬師アウェッラーナは、肩を落とした男性に声を掛けた。
「じゃあ、ここまでの話の報酬としてひとつ」
男性が期待に満ちた顔を緑髪の魔女に向ける。
「この島の宿屋さんは、力なき民の宿泊客用に洗濯と入浴を別料金で引受けますが、更に別料金を払うと、その【操水】の術を教えてもらえます」
「教えてもらえるものなんですか」
「昔から、あんたみたいな人が時々来るから、裏メニューみたいなカンジ」
ラゾールニクが軽く言うと、男性はずり下がった老眼鏡を指で押し上げた。
アウェッラーナはひとつ咳払いして言う。
「子供でも使える初歩的な術ですが、応用範囲が広いので、上手く使えるようになれば、仕事の幅が広がります」
「情報、有難うございます」
本土から来た男性が、背広のポケットからタブレット端末を取り出し、凄まじい速さでつついた。ラゾールニクが意外そうに聞く。
「ネットに繋がらないのに持って来たんだ?」
「家族の写真なども入っていますので」
男性が淋しげに続きを語る。
庭に土魚が侵入し、彼の一家は自宅から出られなくなった。
魔獣駆除業者が飛び込み営業で、貴金属と引換えに退治を申し出た。腕のいい業者で、あっという間に全滅させ、玄関から門まで護りの術まで施してくれた。
ホテルに避難する大荷物を抱え、夫婦と彼の老母、高校生の息子が歩道へ出る。
老母は、宝石のちりばめられた首飾りで支払った。
業者がお釣りだと言い、一人一人に水晶を握らせる。
「私の分だけが光って、業者が、魔力があるのに戦えない者は、魔獣に狙われやすく、食われたら魔力の分だけ魔獣が強くなるから、ランテルナ島へ避難した方がいいと大声で」
「あー……ご近所さんに筒抜けかー」
ラゾールニクが訳知り顔で頷く。
「家族は当面、妻の実家へ身を寄せると言っていました。バンクシアに留学中の長女は、こちらの状況を知りません」
男性は項垂れて老眼鏡を外し、目頭を押さえた。
……着替えや当面の資金は持ってるワケね。
「その水晶って今も持ってる?」
「はい……一応」
背広のポケットから無造作に掴み出し、卓上に転がす。【魔力の水晶】が四個、淡い光を宿して輝いた。
「こいつは【魔力の水晶】って言う魔力の充電池みたいなモンだ。物々交換にも使いやすい」
「どのくらいの価値ですか?」
「大きさと魔力の量とかによるけど、値段表に大きさで相場が書いてあるよ」
「物々交換表は分厚い冊子になりがちで、店頭に出さない所が多いですけど、言えば出してもらえます」
アウェッラーナが付け足すと、男性はやや表情を和らげた。
「業者の人が言ったのは嘘じゃない。あんたが一緒だと、家族も魔獣とかに狙われやすくなる」
ラゾールニクの説明で、男性は表情を消して言う。
「こちらに来てから、似たような境遇の方々とも何人かお話ししましたが、みなさん、同じことを言われたそうです」
「まぁ、安全の為には仕方ないかな。って言うか、こっちじゃそんなの常識なのに本土の人が知らないってのがびっくりだよ」
「私は家族に押しつけられた分も持ってきましたが、他の方々は、業者に返したり、捨てたりしたそうです」
この年配の男性も、郭公の巣で会った父子とほぼ同じ経緯でこの島へ来た。
彼の口振りでは、洗濯すらできずに街で屯する者たちは、全て同じなのだろう。
「物々交換しやすい【水晶】をくれるとは、親切な業者だな。本土の住民を快く思わない者が多いと思ったが」
ソルニャーク隊長が首を傾げる。
一部か全員か。どれだけの魔獣駆除業者がそうするのか。
……充分、意地悪だと思うけどなぁ。
安い店なら、二食分くらいにはなりそうだが、それだけだ。【魔力の水晶】一個では、たちまち困窮する。
親切による安全対策か、悪意ある一家離散か。
アウェッラーナは業者らの意図を計り兼ねた。
☆デカーヌス書店株式会社……「1483.出版社に依頼」参照
☆物々交換表……アミトスチグマ王国の例「1725.人口増と経済」参照
☆郭公の巣で会った父子……「1794.あちらの不幸」~「1796.生存の選択肢」参照




