0186.河越しの応答
メドヴェージが、トラックを自転車程度にまで減速させて前方を注視した。
金髪。陸の民だ。
右手に荷物を持ち、包帯が巻かれた左手はコートの袖から出した半端な着方だ。
他に人の姿はない。
彼我の距離が更に縮まる。
若い女性だ。
「おいおい、あの姉ちゃん、大丈夫か?」
メドヴェージが呟く。体調が悪いのか、足下が覚束ない。
少年兵モーフは、ソルニャーク隊長の下から小窓の隅に顔を寄せて外を覗いた。よく見えないが、隊長を押し退ける訳にはゆかない。
メドヴェージに聞いてみた。
「誰か居んのか?」
「河の向こうに若い女が居る。一人だ。怪我してるみてぇだな」
やや落ち着きを取り戻した声が、簡潔な答えを寄越す。
少年兵モーフはソルニャーク隊長を見上げた。
肩越しに見える荷台は激しく振られ、めちゃめちゃだ。荷物と衝撃から身を守る為、みんな毛布に包まっていた。女の子たちは泣くこともできずに震える。
ピナの兄貴が毛布から這い出し、惨状を見回して小さく溜め息を吐いた。
「ゾーラタ区の住人か? 魔法使いかも知れん。一応、警戒して事情を聞こう」
隊長の言葉でメドヴェージがトラックを止めた。まだかなり距離があり、顔まではわからない。
「誰が行きやす?」
メドヴェージがシートベルトを外して荷台を振り向く。
隊長は少し考え、人選を告げた。
残る者たちに付け加える。
「メドヴェージは荷台を閉め、いつでも行けるよう、待機。何かあれば全速で離脱。以上」
「了解」
メドヴェージが荷台を開ける。
少年兵モーフは、今更気付いて拳を握った。もし、あれが魔女で、攻撃してきたら、隊長たちを見捨てて逃げろと言われたのだ。
運転席の二人に何かあれば、荷台に閉じ込められて、いずれ餓死するしかない。
隊長と指名されたクルィーロが、倒れた荷物を起こしながら外へ出る。
「お兄ちゃん……」
アマナが半ベソで呼ぶ。
クルィーロは振り返って笑顔を見せた。
「大丈夫だって。困ってる人は助けてあげなきゃ、だろ?」
「……」
アマナは何か言い掛けて口を噤んだ。ピナがそっと抱きしめる。
二人が降りてすぐ、メドヴェージは扉を閉めた。
少年兵モーフは係員室の小窓にへばりついて女性を見詰める。
運転席に戻ったメドヴェージが、エンジンを掛けて待機した。
ソルニャーク隊長と魔法使いの工員クルィーロが岸に近づく。
女性もこちらを警戒するのか、立ち止まった。
ニェフリート河は、この辺りでも幅が二十メートル以上ある。両者は河を挟んで向かい合った。
「こんにちはー。ゾーラタ区の方ですかー?」
クルィーロが声を掛けた。
返事はない。だが、女性は逃げずにこちらを覗う。
「俺たち、湖岸の三区から、助け合って、避難してきたんですー」
クルィーロが自分たちの状況を説明した。
無精髭の男性二人では、若い女性が警戒するのも無理はない。
片方は、青いツナギを着た金髪の若い工員、もう一人は、粗末な服を着た正体不明のおっさんだ。どちらも陸の民で、魔法使いかどうかわからず、色々な意味で不安なのだろう。
少年兵モーフはアウェッラーナを見た。
湖の民の薬師は前を向き、表情はわからない。緑色の髪は一筋も揺れず、息を殺して成り行きを見守る。
もう一度、クルィーロが呼び掛ける。
「そっちの村に、避難所とかって、ありませんかー?」
「わかりませーん」
初めて女性が応えた。
少年兵モーフはその声にドキリとした。フロントガラスの向こうを凝視する。
トラックが停まるのは、隊長たちのずっと後ろだ。
たったの一言では、聴き間違いかもしれなかった。
……もっと、声を聞かせてくれよ。
「あのー……それー……」
女性がこちらを指差した。クルィーロが苦笑交じりに答える。
「あぁ、これ、放送局の人、居なかったんで、ちょっと借りてるんです。稼働してる局に着いたら返そうかなって」
そんな予定だったとは、少年兵モーフも初耳だ。だが、よく考えれば、ちゃんとした避難所に着けばトラックは用済みだろう。
モーフが一人で納得すると、女性は首を横に振った。
大きく息を吸ってたっぷり一呼吸置いて、質問する。
「それ……どうしたんですか?」
「それ?」
金髪の工員が首を傾げてみせる。
少年兵モーフは何故か胸が詰まり、涙がこみ上げて来た。鼻の奥がツンとして何も言えなくなる。
女性がトラックを指差したまま言った。
「屋根の、それ……」
「屋根?」
魔法使いの工員が振り向く。隊長は女性を見詰めたまま動かない。
「おわぁあッ?」
クルィーロが悲鳴を上げて尻餅をついた。
ソルニャーク隊長は女性への警戒を解かない。
緑髪の薬師がシートベルトを外して車外へ出た。バックミラーに映るメドヴェージの目は険しい。
車体を見上げたアウェッラーナが息を呑み、不快そうに顔を歪めた。
……なっ、なんだよ?
モーフは涙が引っ込んだ。
☆ゾーラタ区……「0092.情報のない街」「0105.夜の考えごと」「0152.空襲後の地図」参照




