1806.ルフスの被害
レフレクシオ司祭との夜の会談は、これで何度目になるのか。
会談場所の廃港は、ランテルナ島に唯一残る地上の街カルダフストヴォーの北東に位置する。今夜は何故か雑妖だらけで、クラウストラが祓い清め、【簡易結界】で囲んだ所だけがキレイだ。
初夏の島は、雑妖さえ居なければ、ラキュス湖から吹き渡る風が心地よい。陸地は足の踏み場もないが、星影を映す湖面は穏やかだ。
今夜はファーキルとクラウストラ、レフレクシオ司祭の三人だけで、【魔除け】などが施されたテントを持って来なかった。
「この【簡易結界】は、明日の朝まで充分イケますから」
クラウストラはにっこり笑ってみせたが、レフレクシオ司祭は【簡易結界】の外に犇めく雑妖の群から目を逸らさず、ぎこちなく首を縦に動かした。
「何故こんなにも……」
「さぁ? 近くに動物の死骸でもあるんじゃないかなぁ?」
クラウストラは気のない返事だ。
今夜は、ファーキルの知らない同志がルフス光跡教会の司祭館に侵入し、レフレクシオ司祭の部屋からタブレット端末を回収する。
寝間着姿で連れ出された部屋の主は、データの授受と充電を終えるまで、アーテル共和国の首都ルフスの対岸に浮かぶ島で、ファーキルたちと情報交換だ。
「この島ではどの程度、土魚の被害が出ましたか?」
司祭は「土魚」だけキレイな発音の湖南語だ。共通語には単語がないらしい。
「ないよ」
「えッ?」
黒髪の魔女が寄越した短い答えで、司祭が辺りを見回す。
雑妖の群は森から滲み出て、路線バスしか通らないアスファルトの道を埋め尽くし、廃港に到る。
朝日を浴びれば消え失せる儚い穢れだが、今は無限かと錯覚する程に涌き出し、重なり合ってどんどん濃度を増してゆく。
ちっぽけな雑妖も、条件が揃えば魔物に成り得る。
「ランテルナ島に土魚が出たって聞かないし、居ないモノの被害はないよ」
「島生まれの信徒が暮らす村でも、ですか?」
「何かあったら、光の導き教会から連絡行くんじゃないんですか?」
「少なくとも、私の耳には入っておりません」
「それより、ルフス光跡教会の方はどうなの?」
クラウストラが質問を返した。
司祭はラキュス湖に視線を向け、土魚大量発生後の状況を語る。
「ルフス光跡教会は、酷いものでした」
スピナ市に於ける土魚大量発生の第一報は、翌朝早く、首都ルフス危機管理対策室からもたらされた。
ルフス光跡教会は、教区内の各教会にスピナ市民が首都へ逃れてきた場合の対応を指示。信徒会が運営する宿泊施設にも、受容れ要請を出した。
不安に駆られた都民が多数、夜明けを待って近所の教会へ足を運ぶ。
だが、スピナ市以外でも、土魚の大量発生が同時多発。学校に近い教会では午前中、敷地に足を踏み入れた信徒が土中に潜む魔獣の襲撃を受けた。
その他の教会でも、時間の経過とともに敷地内の庭園などで襲われる信徒が増える。また、夕方の帰宅時間中、歩道でも多数の市民が襲われた。
ルフス光跡教会も例外ではない。礼拝堂に入れなかった信徒がいつも通り、前庭の芝生に足を踏み入れ、魔獣の餌食になる。
当局は当初、公立学校を避難所として使おうとしたが、既に校庭が土魚の群に占拠され、立入不能。警察の調査で、学校周辺住民が、スピナ市で大量発生したのと同じ夜、不審な物音や話し声などを耳にしたことが判明した。
スピナ市の近隣都市では翌朝すぐ気付いたが、首都ルフスをはじめ、多くの都市では休校措置中だったこともあり、午後や夕方、学校周辺住民が歩道や自宅の庭で襲われてから発覚。通信途絶の影響で対策や連絡が後手に回り、犠牲者が増えた。
発生翌日、土魚は日のある内に土中を移動し、市内全域に拡散。土が露出した庭がある民家の住民は、自宅に閉じ込められた。
「ルフス光跡教会は、発生の二日後、前庭と司祭館周辺で犠牲者が出ました」
「えッ? ごはんとか、どうしてたんですか?」
ファーキルは、司祭館にそんな大量の備蓄があるのかと訝しんだ。
「正門から礼拝堂の大扉までと、司祭館の玄関までは、幅の広い石畳がありまあすので、端を歩かなければ、通行に支障ありません」
「じゃあ、礼拝とかも普通にしてるんですか?」
「いえ、それは流石に安全上問題がありますので、休止です」
「あぁ、それで国営放送がラジオで『祈りの時間』って番組を始めたんですね」
「よくご存知ですね」
レフレクシオ司祭が、クラウストラに感心した微笑を向け、すぐ湖面に視線を戻した。
雑妖の群が【簡易結界】の外で積み重なり、不浄の壁を成す。
クラウストラが立ち上がって朗々と呪文を唱えると、生物の破片を雑に捏ねたような壁が溶け崩れた。
「恐れ入ります」
「今のは、場の穢れを払う【退魔】の呪文。長いけど、魔力の制御とか要らないから、子供でもできる簡単な術よ」
「力なき民でも、作用力を補う【魔力の水晶】があれば、行使できます」
ファーキルがポケットから【水晶】を出して言うと、司祭が目を丸くした。
「君も使えるのですか」
「いえ、俺はまだ、呪文を覚えてないんで、無理です」
クラウストラが瓦礫に腰を下ろして話を戻す。
「星光新聞のラテ欄で見ただけで、まだ聞いたコトないんですけどね」
「私を含むルフス光跡教会の司祭が毎日、交代で礼拝を担当する二時間の生番組です」
祈りと聖句は毎日、ルフス光跡教会の大司教が取り仕切るが、聖典に因む説教の担当は日替わりだ。聖歌は録音を使う。
戦争の影響で音楽番組が減り、インターネットの遮断で音楽配信も使えなくなったせいもあり、概ね好評らしい。
これを機にラジオの購入が急増。インターネットの普及語はすっかり骨董品扱いで、国内メーカーが生産を打切った為、ラニスタ共和国経由で、安価な中古品を輸入する流れが加速した。
「収録は、礼拝堂で行いますので、私は相変わらず、教会の敷地から出してもらえませんが、収穫はありましたよ」
二人が続きをせっつくと、司祭は詳細は端末にテキストで記録したと告げ、概要を語った。




