1805.食用蛙と大鯰
「今日は天気がいいから静かですが、雨の日や夜には、一斉に鳴いてとても賑やかですよ」
養殖場の所長は、食用蛙の区画に案内してくれたが、ここも沼が濁って何も見えない。
「あ、居た!」
「どこ?」
「あそこ」
小学生の一人が目敏くみつけ、指を差す。
泥色の何かが通路にある。この世のモノか疑わしい外見だが、【結界】と【魔除け】の敷石に乗れるなら、魔物ではないのだろう。
モーフはふと、強い魔獣なら【結界】を強行突破できると聞いたのを思い出し、身震いした。
「びっくりすると沼へ逃げるから、静かに見てね」
ヌートの母ちゃんに言われ、みんな足音を殺してコソ泥のように歩く。ラゾールニクは時々立ち止まり、タブレット端末で写真を撮った。
泥色のぬめっとした奴が沼へ向き直り、みんなの足が止まる。
そいつは、メドヴェージのおっさんのゲンコツより一回り大きかった。口はやたら大きいが手は小さく、バッタの後ろ足のように発達した足は腕の何倍も太い。
「あれを……食べるの?」
アマナが聞こえるか聞こえないかギリギリの声で、ピナの妹に囁いた。パン屋の娘は、引き攣った顔で泥色の奴を見詰めて固まる。
モーフは、漁師の爺さんと目が合った。
「鶏肉に似て、揚げ物にすると美味しいって聞いたことがあるけどね」
「アレが鳥の味?」
思わず声が大きくなり、モーフは慌てて自分の口を押える。
泥色の食用蛙は、腹をヒクつかせるだけで動かなかった。
……あれっ? 俺、ニワトリって見たコトねぇんじゃねぇか?
チキンフリッターやローストチキンの味は覚えたが、鶏が生前どんな姿でどこで何をするか、知らないのに気付いた。
これまでに訪れた農村には、色々な鳥が居たが、どれが鶏かわからない。
鳥の一種だそうだが、そこら辺でよく見る鳩と雀だけでも、色や大きさ、形が全然違う。
薬師のねーちゃんと漁師の爺さんの首飾りは、フクロウとペリカンで、鳥は鳥でも全然別の生き物のように違う。
……ニワトリも見た目こんな? いや、羽くらいあンだろうけどよ。
地元の小学生たちは、大きさに感心するだけで、特に気味悪がる様子はない。
「食用蛙の餌も虫です。ここでは矢武蚊を与えますが、食用蛙には魔力を蓄える性質がありません」
モーフは所長の説明を聞きながら、そっと食用蛙に近付いた。
三歩目で沼へ飛び込み、あっという間に手が届かないところまで泳ぎ去る。外見からは想像もつかない素早さだ。
沼には水面すれすれに顔を出した岩があり、たくさんの蛙が乗ってみんなこっちを見る。さっきの蛙が岩によじ登ると、他のが二、三匹水に入った。
「鯰や蛙はどこにでも居ますから、珍しいものではありませんが、ウチではなるべくツボカビ対策をしっかりしておりまして、抗生物質や薬品の使用を控え……」
所長の難しい説明が右から左へ抜けてゆく。
「今まで食った料理の中に蛙もあったかもしんねぇな」
「はははッ。流石に違うの入ってたら、わかるでしょ」
メドヴェージのおっさんの与太を工員の兄貴が笑い飛ばす。
アマナが恐る恐る聞いた。
「お兄ちゃん、蛙の味、知ってるの?」
「いや? 学食にも社員食堂にもなかったし」
ピナの妹とアマナが露骨にホッとする。
ラゾールニクがニヤリと底意地の悪い笑みを浮かべた。
「味を知らなきゃ、食べててもわかんないよね?」
「今日は日曜で定休日ですが、後で美味しいお店をご紹介しますよ」
「お、それイイですね。鶏肉と蛙の食べ比べ、お願いします」
所長が話に混ざり、ラゾールニクが調子よく応じる。女の子二人は顔を引き攣らせたが、地元の子供らは羨ましそうだ。
鯰の区画に移動すると、作業服姿のおっさん二人組が台車を押してきた。青いプラスチックのコンテナに手を突っ込んで、何か作業を始める。
「ご苦労さん」
「あ、所長」
「お疲れ様です」
二人は愛想よく応じ、すぐ作業を再開した。
所長がみんなに向き直る。
「生き物の世話は三百六十五日休みなしだからね。日曜祝日関係なく、シフトを組んで交替で世話をするんだよ」
モーフも、生き物相手ではない工場で、似た条件の仕事をしたコトがある。内容は忘れたが、日曜に教会へ行けず、飴玉が手に入らなくなったのがイヤで辞めた。
「鯰もウチで調合した配合飼料で育てています」
作業員が、台車に積んだ青いプラスチックコンテナに掌くらいある大きな匙を突っ込んで、中身を沼へ撒いた。水面が激しく波立ち、無数の小さな口が先を争って、大豆の半分くらいの丸い餌を呑み込む。
「この大きさでは、出荷はまだまだ先です。注文に応じて出荷時期を変え、共食いしないように鯰の大きさ毎で、沼を分けてあります」
モーフは餌箱を覗いた。
四角いステンレスの容器が並び、粒の大きさが分けてある。
「小さい鯰に大きい餌をあげたら、食べきれなくて水が濁って病気になるし、大きいのに小さい餌をあげると、食べ難くて取りこぼしが出るからね」
「鯰たちの体格や季節、体調とかに合わせて、毎日、丁度良くなるように餌の量を変えてるんだよ」
「ふーん」
餌係が教えてくれたが、モーフにはピンと来なかった。
……魚の顔色とか、どうやって見分けるんだ?
コンテナは二段重ねだ。
「下のもエサ?」
「そうだよ」
二人掛かりで、まだたっぷり入った餌箱を下ろして見せてくれた。
「うわ! でかッ!」
下段の餌は、一個ずつが赤ん坊の頭くらいあった。コンテナ一個分丸ごとでかい餌入れだ。二人はさっさとコンテナを積み直し、小さい鯰への餌やりを再開した。
「当養殖場で最大の個体はこちらです」
所長が嬉しそうに奥の沼へ案内する。高い塀に囲まれた区画のすぐ手前だ。
その沼は移動放送局のトラックより一回り小さく、他の沼よりかなり広かった。塀には呪文と呪印がびっしり刻まれ、背景がものものしい。
所長が呪文を唱え、水を起ち上げる。巻き上がった泥が沼へ戻されると、澄んだ水柱の中にメドヴェージのおっさんくらいの魚が現れた。
頭でっかちで、しっぽに近い方は細いが、横幅がある分、おっさんよりでかい。黒光りする身体には鱗がなさそうだ。
子供らは声もなく、魔獣のように大きな魚を見上げる。
大鯰は沼へ戻ろうと、頻りに身をくねらせた。
「見事な大鯰ですね」
「どんな用途で、何年飼育しておられるのですか?」
漁師の爺さんが感心して褒め、ラジオのおっちゃんが質問すると、所長は大喜びで説明した。
☆日曜に教会/飴玉……「0979.聖職者用聖典」参照




