0185.立塞がるモノ
少年兵モーフの叫びで、我に返った。
メドヴェージがエンジンを掛け直す。全力でハンドルを操作し、車体を急旋回させた。荷台で悲鳴が上がる。
破片を噛んだタイヤを軋ませ、トラックはUターンした。
アウェッラーナは、助手席の窓を流れる光景に目を疑った。
魔獣の身が街区ひとつを丸ごと埋める。陽の光を浴びて動きこそ鈍いが、受肉した存在は、揺るぎなくこの世に留まる。
目も鼻もない。ミラー越しに、巨大なホースを縦裂きにしたような口がこちらへ伸びるのが見えた。
長大な口が横薙ぎに振られる。崩れかけたビルの上部が吹き飛んだ。
激しい衝撃と音に思わず身を竦ませる。
メドヴェージが額に脂汗を浮かべ、前のめりにアクセルを踏む。
スピード超過の警告音が鳴り響く。
国営放送のイベントトラックが法定速度を遙かに超え、廃墟の間を駆け抜けた。
吹き飛ばされた破片がタイヤの下で潰れ、車体が揺れる。カーブを曲がる度に荷台から物が倒れる音と悲鳴が上がった。
それでも速度は緩めない。
車体が恐怖で震えるように揺れ、元来た道を引き返す。
命からがら、先程の分岐まで戻った。
他に選択肢はなく、西のクルブニーカ市へ向かう道に進入する。
周囲は荒れ地だが、空襲を受けなかった国道は、走り易かった。
荷台では、ソルニャーク隊長が少年兵モーフに状況を確認する。
「なんか、スゲーでかい化け物が居るんスッ!」
「化け物……突破できそうにないのか?」
「建物よりもっと、ずーっと、でかい奴で、そいつが道塞いでんスよ」
「そうか……」
ソルニャーク隊長が、係員用の小部屋の窓から前方を確認する。
「振り切れそうか?」
「そう願いたいモンですがね」
「今日は天気いいから、あれも少し弱ってる筈ですよ」
クルィーロが震える声で、一般的な魔物の弱点を言う。
塩や日光で清めれば、気休め程度には、弱体化できる。
メドヴェージがミラーで後方を確認し、やや速度を緩めた。警告音は止んだが、まだ法定限度近い速度だ。
……あッ……図書館で魔物図鑑、読むの忘れてた。
あの闇の塊ではないが、魔獣を見るまですっかり忘れていた。【重力遮断】などの術と地図を書き写すのに夢中になってしまったからだ。
薬師アウェッラーナは助手席で声もなく青褪めた。【魔除け】や【退魔】があったところで、あんな化け物が相手ではどうにもならない。【簡易結界】ごと押し潰されるだろう。
警察の対魔物処理班や民間の駆除業者でも、対処できないかもしれない。
軍の魔装兵なら何とかなりそうだが、今はアーテルと戦争中だ。放棄された土地の魔獣など、わざわざ駆除しに来るとは思えなかった。
……あ……そうか。あれのせいで、ここは放棄されたのよ。
あんなモノが白昼堂々と居座る。
空襲の生存者は既に北へ避難した筈だ。さもなくば、喰らい尽くされただろう。
マスリーナ港で身内を捜す望みを断たれ、アウェッラーナは歯を食いしばった。
前方には地平線が広がる。
助手席から左手に目を向けると、クブルム山脈が壁のように聳える。
この辺りの道でも、思い出したように電柱と距離表示の標識が現れた。
道が南に折れ、山脈に向かって進む。
左手にニェフリート河。その向こうにはゾーラタ区の麦畑が広がる。まだ穂のない麦草が、薄青い冬空の下で場違いな程、青々と輝く。
メドヴェージが更に速度を落とす。右手側は相変わらず荒野だが、クルブニーカ市の街並がずっと遠くで淡い影絵のように見えた。
国道は天然の河からやや離れた所を走る。
「あッ!」
アウェッラーナは思わず声を上げた。
左手の畑に人影のような物が見えたのだ。
メドヴェージの目に緊張が漲り、ミラーで後方を確認する。
アウェッラーナはシートに身を預け、胸に溜まった息を抜いた。
……どうせ、案山子でしょ。
いや、動いている。
「あ、あの、あの、あっち、人……人、居ます」
アウェッラーナはメドヴェージの肩を叩き、畑を指差した。甦った緊張で思考と舌が回らない。
また暴漢の類だったらとの不安と、村人かもしれないとの期待で心が揺れた。




