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すべて ひとしい ひとつの花  作者: 髙津 央
第五十五章 倚伏

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1849/3521

1804.扉が開く沼地

 「縮蛙(シュクア)濡首獣(ジュシュジュウ)は、奥の囲いがある沼に居ますが、手前の養殖沼の中には異界の扉があるので、急に何か出て来るコトがあります」

 「夜間など、警備員さんが不在の時は、どうするのですか?」

 ラジオのおっちゃんジョールチが、所長の説明に不思議そうな顔をする。


 「日中は、扉から漏れる魔力を行き渡らせる為に敢えて開けてありますが、夕方には【(かんぬき)の石盤】を沈めて遮断します」

 通路に敷き詰められた石畳は、よく見る呪印もあれば、見たコトがないものもある。呪文もびっしりだが、モーフには全くわからない。


 ラゾールニクが、タブレット端末で沼地を撮る。


 澱んだ水の匂いが、虫除けの匂いを越えて鼻に届く。

 沼の周り、鉄パイプを組んだ柵の外には、細長い葉が生い茂り、茶色くてふわふわの何かが付いた細い棒が突き出る。

 所々草が刈り取られ、沼の表面はよく見えたが、濁った緑や薄茶色で、水中の様子はちっとも見えない。

 この辺りの沼は、ひとつがせいぜいワゴン車くらいで、大きいものでも移動放送局のトラックより小さかった。


 「こっちの沼、ヌシフェラないんですね」

 小学生の一人がちょっと残念そうに見回す。


 ……そう言や、それも見るんだった。


 どうやら、この細い葉ではないらしい。

 「ヌシフェラがあると、生き物は快適だけど、作業し(にく)いからね」

 「俺らは去年、遠足で見たから別にいいんですけど、放送局の人は、見たコトないって言うから」

 小学生のヌートが、ラジオのおっちゃんをチラチラ見て言う。


 「それはまた今度、お隣のネルンボ農園の人にでも頼まないと、難しいな」

 「今日は日曜ですし、ここの見学だけで一日終わりそうですから」

 所長が当たり前のコトを言って苦笑すると、ラジオのおっちゃんはにっこり笑って話を流した。


 「じゃあ、このふわふわの奴、何スか?」

 「ん? これかい? これも薬草の一種だけど、ウチでは水質管理に使うから、出荷しないで置いてるんだ」

 「これは何の薬になるんですか?」

 ラゾールニクが、薬草を撮ってモーフの質問に便乗した。


 「花粉が色々な魔法薬の素材になります。火傷や止血用の軟膏、膀胱炎用の内服薬が多いですね。【思考する(フクロウ)】学派の術で、獣脂やアルコールと結合させて作るそうですよ」


 モーフはこっそり薬師(くすし)のねーちゃんを見た。

 アマナたちと一緒にふわふわの奴の前に立って、「猫の尻尾みたいにふわふわなのねぇ」などと、何も知らないフリをする。


 ねーちゃんの横へ行くと、木箱くらいの四角い石があった。てっぺんから鎖が出て、横に立て掛けられた板状の石に繋がる。

 モーフの視線に気付いた小学生が指差して聞いた。

 「所長さん、これがさっき言ってたナントカの石盤ですか?」

 「そうだよ。【(かんぬき)の石盤】。ここに嵌め込んである【魔力の水晶】に魔力を充填してから、呪文を唱えて沈めれば、沼に開いた異界への扉を閉じられるんだ」


 「閉じられるのは、ずっとじゃないからね。【水晶】の魔力がある間だけよ」

 ヌートの母ちゃんがいうと、小学生たちは薄気味悪そうに沼を見た。

 ピナの妹が、怯えた目で沼をチラ見して警備員のおばちゃんに聞く。

 「ずっと閉じる方法ってないんですか?」

 「あるよ。【渡る雁金(カリガネ)】学派の【封鎖】の術なら、きっちり閉じられるけど、難しいからプロじゃないと無理よ」


 みんなが微妙な顔になる。


 「で、蟹はどこに居るんだ?」

 少し重くなりかけた空気をメドヴェージのおっさんが変えた。

 「多刺蟹(タシカニ)は、餌を食べる時以外、沼の底、泥の中に居るんですよ」

 所長がいそいそ呪文を唱え、沼の水を起ち上げた。

 巻き上がった灰色っぽい泥が選り分けられて沼へ戻り、だんだん水がキレイになる。水の濁りはなくなったが、泥と同じ色の塊が数え切れないくらい漂って、遠目には沼と同じ色に見えた。


 所長は、作業服のポケットから手袋を引っ張り出した。手袋をつけた手を突っ込んで、泥色の何かを掴み出す。

 「これが多刺蟹(タシカニ)だよ」

 「危ないから、防護手袋なしで触っちゃダメよ」

 ヌートの母ちゃんが警備員として、顔を近付けた子供らに注意する。

 モーフは、出し掛けた手を引っ込めて背中に回した。


 カニとやらは、足がわしゃわしゃいっぱいあって、何となく虫っぽい気がした。

 所長はカニの鋏とは反対側の部分を持つが、胴体には長さがまちまちの棘がびっしり生え、ヌートの母ちゃんの言う通り、素手で触ったら怪我をするだろう。


 鋏は金属ではなく、身体と同じ色だ。

 所長に反撃する気なのか、鋏と足をしゃかしゃか動かす。


 「この棘だらけの部分が甲羅。これを魔法で加工して糸にします」

 ラゾールニクがタブレット端末で色々な角度から撮りまくり、ラジオのおっちゃんは真剣な顔で手帳にメモする。


 漁師の爺さんが、カニをしげしげ見て言った。

 「ゼルノー市付近の水域で獲れるのとは、かなり様子が違いますね」

 「えぇ。これは淡水性ですし、魔力を含む餌をたっぷり与えて育てていますからね。蓄えた魔力の量によって、棘の数と長さが変わるんです。そちらの蟹はどんなものですか?」

 「ラキュス湖の底に住む種類です。甲羅がすべすべで、全体に丸みを帯びた形ですよ。雑食ですが、毒のある微生物を食べると身に毒素が蓄積するので、普通は食用にしません」


 「えぇー……」

 「食べられない蟹って居るんだ」

 子供らが、漁師の爺さんにがっかりした顔を向ける。

 「わざわざ毒消しを用意して食べる物好きな人も居るけど、俺は万一があるといけないから、網に掛かってもすぐ逃がしてたよ」

 漁師の爺さんは、どことなく淋しげに見えた。


 所長がカニを水に戻して、別のを掴み出す。

 「この大きさになれば、そろそろ出荷です」

 所長はカニの下を両手で掴んで、みんなに鋏を向けた。

 二匹目のカニは、甲羅が俎板(まないた)程もあり、棘はどれも新品の鉛筆みたいな長さと太さだ。踏んだら、足の甲から飛び出そうなくらい鋭い。


 「食べると美味しいけど、人間の指くらい簡単に切り落とすから、生きてる内は触らないようにね」

 子供らが顔を引き攣らせて、一斉に退()がる。

 カニと水を沼へ戻し、次の区画へ移動した。

☆ゼルノー市付近の水域で獲れるの……「1760.沼沢地の植物」参照

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野茨の環シリーズ 設定資料
シリーズ共通設定の用語解説から「すべて ひとしい ひとつの花」関連の部分を抜粋。
用語解説01.基本☆人種など、この世界の基本
用語解説02.魔物魔物の種類など
用語解説05.魔法☆この世界での魔法の仕組みなど
用語解説06.組合魔法使いの互助組織の説明
用語解説07.学派【思考する梟】など、術の系統の説明
用語解説15.呪歌魔法の歌の仕組みなど
用語解説11.呪符呪符の説明など
用語解説10.薬品魔法薬の説明など
用語解説08.道具道具の説明など
用語解説09.武具武具の説明など
用語解説12.地方 ラキュス湖☆ラキュス湖周辺の地理など
用語解説13.地方 ラキュス湖南 印暦2191年☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の地図と説明
用語解説19.地方 ラキュス湖南 都市☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の都市と説明
地名の確認はここが便利
用語解説14.地方 ラキュス湖南 地理☆湖南地方の宗教や科学技術など
用語解説18.国々 アルトン・ガザ大陸☆アルトン・ガザ大陸の歴史など
用語解説20.宗教 フラクシヌス教ラキュス湖地方の土着宗教の説明。
用語解説21.宗教 キルクルス教世界中で信仰されるキルクルス教の説明。
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