1802.養殖沼の所長
入口のすぐ傍にある平屋建ての建物から、緑髪のおっさんが出て来た。
作業服には色々な呪文が刺繍してあり、首から漁師の爺さんと同じ鳥の徽章を提げる。おっさんはイイ笑顔で挨拶した。
「ようこそ。アガロート養殖沼へ。私が経営者のアガロードニクです」
「初めまして。移動放送局プラエテルミッサで、アナウンサーを務めるジョールチと申します」
「ジョールチさん、ホントにあの、国営放送のジョールチさんなんですね」
所長は泣きそうな顔で、ラジオのおっちゃんの手を両手で包み込んだ。
「はい。本局が戦闘に巻き込まれ、辛うじて脱出しました。その後、FMクレーヴェルの有志や協力者の方々と共に移動放送局を起ち上げ、ネモラリス島各地で放送しております」
「国営放送には、戻らないんですか?」
「この戦争がどうなるか。先々のことはわかりませんし、局側の都合もわかりませんので、私の方からはお答え致しかねます」
「そ、そうですね」
所長は申し訳なさそうに緑の眉を下げた。
「今は、既存の局では手が回らなくなった地域情報や、難民キャンプの様子、軍歌以外の音楽などをお届けしております」
難民キャンプと聞いた瞬間、所長の目の色が変わった。
「アミトスチグマにも行かれるのですか?」
「はい。時々行って、現地の支援者の方々に取材し、湖南経済新聞社や時流通信社からも、情報提供を受けております」
「俺はフリージャーナリストなんで、独自取材してるけどね」
ラゾールニクが口を挟むと、所長は目を丸くして向き直った。
「記者さんですか」
「今は移動放送局を手伝ってるけどね。前は、湖南地方のあちこちで取材してたんだ」
「それでは、かなりお顔が広いのでしょうね」
所長が、ラジオのおっちゃんの手を離してラゾールニクに向き直る。
「相手が覚えてくれてるかわかんないけど、色んな人に会ってるよ。アミトスチグマでは、フラクシヌス教団や慈善団体だけじゃなくて、湖南経済本社やパルンビナ株式会社とかの大企業も、かなり手厚く難民を支援してくれてる。勿論、個人や中小企業も色々してくれてるけど」
「パルンビナ? あの総合商社の?」
所長が目を剥く。
……え? あのおばちゃんの会社、そんなスゲーとこなの?
モーフの疑問と困惑を他所に大人たちの話は続く。
「そう。そこの役員の一人に時々会って取材させてもらってるんだ」
「あのですね。今、国がこんな状態なんで、どうにかして輸出を増やして外貨を稼ぎたいんですよ。いえ、ウチの儲けの為だけでなく、ネモラリス人の命を守る為でもあります」
「はははッ。所長さん、大きく出たなぁ。何で?」
ラゾールニクは笑ったが、所長は真顔で応じた。
「記者さんもご存知でしょうが、トポリやこの島の北西部で麻疹が大流行して大変なコトになりましたよね? この辺は無事でしたけど」
「あぁ、丁度その頃、ミャータ付近の村で足留め喰らったよ」
「ワクチンを輸入するには、おカネが必要です。国内で作るにも、原材料の仕入れがあります」
「まぁ、普通そうだよな」
「今回の件では、ウヌク・エルハイア将軍をはじめとして、ラキュス・ネーニア家の方々が私財を投じ、解放軍がパルンビナに原材料の仕入れを依頼して、国内の製薬会社とお医者さんたちを動員したから何とかなりましたけど、そんなのそう何度もできるこっちゃありません」
「あ、所長さん、そっちルート詳しいんだ? 臨時政府側はどう?」
モーフたちが感染して入院する間、薬師のねーちゃんが過労で死にそうになるまで頑張って何とかなったが、他所はそんな大事だったとは知らなかった。
「ワクチンは違いますけど、私らが作ってるのは薬の材料ですからね。その方面の情報は入りやすいんです」
「へぇー」
「臨時政府もあちこちの大使館が、現地の製薬会社などと交渉してどうにかワクチンの輸入に漕ぎつけましたけど、これだって出所は税金で、我々民間が事業を回して税収を上げないと、二進も三進も行きませんよ」
「あー……ネーニア島の穀倉地帯が空襲でやられたし、医薬品とかだけじゃなくて、食料品の輸入も増えてるもんなぁ」
ラゾールニクの口から、モーフの知らないハナシが次々飛び出す。
ネーニア島の穀倉地帯は、小学校の社会の教科書で読んだのをどうにか思い出せた。確か、島の西側の地方、北ザカート市からガルデーニヤ市までの平野だ。
ガルデーニヤ市が空襲で酷いコトになったのはファーキルから聞いたが、どう言うコトか、頭の中で繋がらない。
トラックで避難する途中、医療産業都市クルブニーカの廃墟を迂回し、爆撃で焼き払われた薬草畑を通ったのを思い出した。
……じゃあ、アレか。あの街みてぇのが、西の麦畑でもあったってのか。
ラクリマリス領西部で何度も聞いた「大勢のネモラリス難民」は、穀倉地帯の住民だったらしい。
これまで見聞きしてきたことが、頭の中で次々繋がってゆく。
モーフ自身は、リストヴァー自治区を出てから、一日もひもじい思いをせずに済んだ。国がボロボロになっても、カネなどを払えば食べ物が手に入るのは、他の大勢が色々なところで頑張ってくれるからだと初めて知った。
「空襲で大勢殺されて、その何倍も難民になって国外流出。今は内需が落ち込んでますからね。何とかして外貨を稼いで、国内経済を立て直さなきゃいけないんです」
「要するにパルンビナとかに売込んで欲しいってコト?」
ラゾールニクは、所長の血を吐くような訴えに軽いノリで返した。
「有り体に言えば、そうなります」
「お伝えするだけでしたら可能ですが、販路の開拓までは保証致しかねます」
「それはご心配なく。繋ぎさえつけていただけましたら、後はこちらで頑張りますので」
ラジオのおっちゃんは断りたそうな顔で言ったが、所長は全力で食いついた。
「養殖沼は私がご案内します。写真も自由に撮って下さって構いませんので、よろしくお願いします」
退屈な話を大人しく待った小学生たちが、明るい顔で養殖場の門へ移動した。
☆トポリやこの島の北西部で麻疹が大流行……「1058.ワクチン不足」「1090.行くなの理由」「1117.一対一の対話」「1118.攻めの守りで」「1167.流れを変える」「1474.軍医の苛立ち」参照
☆ミャータ付近の村で足留め喰らった……ここから「1243.流れて来た病」→ここまで足留め「1320.村人との別れ」参照
☆解放軍がパルンビナ株式会社に原材料の仕入れを依頼して、国内の製薬会社とお医者さんたちを動員……「1090.行くなの理由」「1211.懸念を伝える」「1256.必要な嘘情報」「1267.伝わったこと」「1286.接種状況報告」「1448.その後の情報」参照
☆モーフたちが感染して入院……「1251.感染者を隔離」「1252.病で知る親心」「1280.病室に逆戻り」参照
☆薬師のねーちゃんが過労で死にそう……「1271.疲弊した薬師」「1284.過労で寝込む」~「1286.接種状況報告」参照
☆あちこちの大使館が、現地の製薬会社などと交渉してどうにかワクチンの輸入に漕ぎつけ……「1195.外交官の連携」「1196.大使らの働き」「1249.病の情報拡散」「1256.必要な嘘情報」「1258.揺さぶる伝言」「1267.伝わったこと」「1305.支援への礼状」参照
☆ネーニア島の穀倉地帯が空襲でやられ……第二回ガルデーニヤ空襲「756.軍内の不協和」~「759.外からの報道」参照
☆ガルデーニヤ市が空襲で酷いコトになったのはファーキルから聞いた……第一回ガルデーニヤ空襲「0198.親切な人たち」参照
☆トラックで避難する途中(中略)薬草畑を通った……「0192.医療産業都市」参照




