1798.長丁場の予感
全部で七組の歌い手が回り、呪歌【道守り】による結界の更新を今日一日で終わらせる予定だ。
針子のアミエーラを含む組は、難民キャンプ最奥の第三十五区画から始め、西回りで第三十二、第三十区画を経由して第二十四区画で終わる。
初夏の日差しが大森林の梢をきらめかせ、魔物や魔獣が居ないなら、素敵な場所だと思う。
特に問題なく終わり、中心地にやや近い第二十四区画で一息つけた。
「お疲れさまでした。私は引き続き、合唱の収録をします。あまり遠くへ行かないで下さいね」
「はーい。ここでお喋りしてます」
黒髪の歌姫アルキオーネが元気よく返事をすると、ソプラノ歌手オラトリックスは安心した顔で頷き、この区画在住の歌い手たちと共に集会室へ行った。
「今日は楽勝だったね。前は魔獣が出て大変だったけど」
「何もなくてよかったわ」
力なき民のアルキオーネは無邪気な顔で言うが、針子のアミエーラは自分でも、顔が強張るのがわかった。
「畑の周りだけでも鉄条網で囲めたから、野生動物が近付き難くなったし、【魔除け】を刻んだ板もかなり行き渡ってきたからな」
第二十四区画の自警団長が胸を張る。
ここは難民キャンプのやや中心寄りにあるが、要の木が連続して生える為、伐採できない木立が大森林と繋がり、南と東で森に接する。
「安全が一番いいに決まってるけど、鹿肉と鹿皮の調達は難しくなるわね」
「それな。当分いらないってのが正直なとこだな」
自警団長が歌姫に苦笑すると、団員と通りすがりの難民が足を止めて頷いた。
「えっ? どうしてですか?」
アミエーラの口から疑問がこぼれる。
「前は、動物の皮や角、骨、牙、魔獣由来の素材も全部、パテンス神殿信徒会の人に仲介を頼んで、街の職人さんに買取ってもらってたんだ」
最近、救援物資として皮鞣しの研修資料が届いた。
アサコール党首から依頼を受けたフラクシヌス教団が指示し、パテンス市商工組合から派遣された講師がしっかり講習してくれた。
通りすがりの若者が話に加わる。
「勉強して初めてわかったけど、下処理の工程ひとつひとつに何日も掛かって、生皮が鞣し皮になるまで何カ月も掛かるんだ」
「えぇッ?」
アミエーラも知らなかった。
「そりゃ、ちゃんとした革靴とか、あんな値段になるよなって思い知った」
「鞣し皮ができ上がってから、呪文と呪印を刺繍して、端末入れの形に縫い上げて、やっと完成だ」
「でも、確実に売れるかって言うと」
「どうだろうなぁ」
若者と自警団員たちが、苦い顔を見合わせる。
「講師の先生が工程ひとつずつの初日に来て、実技も指導してくれるんだけど、何せ臭くってさ」
「魔法で短縮できる工程が割と多いから、科学文明国でやるのの半分くらいの日数で済むって言われたけどな」
「あの臭いで心折れて、もう作業抜けた奴が居るし」
「えぇぇ……」
アルキオーネが形のいい眉を顰める。
「まぁ、あんたらが持って来てくれる情報とか、寄付の湖南経済新聞を読んだ限り、まだ全然、戦争終わりそうにないからな」
「まぁな。長丁場になりそうな気がしたから、ここへ避難したんだし」
「臨時政府と解放軍で、ネモラリス人が仲間割れしてる場合じゃないのにな」
難民たちから溜め息が漏れる。
「角や魔獣由来の素材も、ここで何か作るようになったの?」
アルキオーネが少し話題を変えた。
「角は、少し余裕ができたから、ここの職人さんが何か作ってるとこ」
「骨と魔獣由来の素材は、相変わらず、街の職人さんに売ってるな」
「ここじゃ、危なくて置いとけないから」
「魔法の刺繍糸とかと交換してくれるから、これはこれで助かってるよ」
「よく考えたら、皮鞣しより大変な処理があるんだろうなって」
「そうよねぇ。難民キャンプは仮住まいだし、そんなのまで加工できるちゃんとした設備まで作ったら、いっそここに定住しちゃおうかってなりそうよね」
アルキオーネがしみじみ頷くと、難民たちが顔を見合わせた。
「それ、冗談か本気かわかんないけど、言う人ちょくちょく居るんだよな」
「でも、帰れるんなら帰りたい人の方が多いし」
「人数減ったら、それこそ護りがヤベぇよな」
「まぁ、その頃にはもっと護りを固めてるんだろうけど」
護りと言われ、アミエーラはもうひとつの用事を思い出した。お喋りに夢中で、この区画の分を危うく忘れるところだ。肩に掛けた鞄から、片方だけの【守りの手袋】を出す。
「これ【不可視の盾】の【守りの手袋】です。今日までに四つしかできなかったんで、各区画ひとつずつですけど、どうぞ」
呪文と使用上の注意を書いたコピーを添え、自警団長に差し出す。
「えっ? これ、君が作ったの? 職人?」
「い、いえ、あの、私、元々仕立屋で働いてて服の形を縫う仕事してたんです。最近、【編む葦切】学派の職人さんに術の刺繍を習い始めて、まだまだ練習中なんですけど、ちゃんと守れるのを確認してから持って来たんで、大丈夫です」
「あ、そう言う意味で言ったんじゃないんだ」
「意外って言うか」
「呪歌も刺繍もできるって何気に凄いよな」
「立派な職人になれるように応援してるよ」
自警団長が手袋と説明書を受取り、もう一方の手を差し出す。アミエーラが恐る恐る手を取ると、力強く握り返した。
「俺たちは頑張って生き残るから、あんたも頑張れよ」
「は、はい! 頑張ります!」
思わぬ激励を受け、胸の奥が熱くなる。
「寄付でいただいた鹿皮で作ったんで、羊皮より魔力保持力が高いんです」
手袋の甲に呪印を刺繍し、周囲に呪文を配置した。手首の内側に一粒【魔力の水晶】を縫い込み、魔力が全体へ行き渡るよう手首と掌にも呪印を配置してある。
「普通のより強力なんだな」
「多分……私は、職人さんに言われた通り、作っただけなんで……あ、実戦で使う前に水か何かで範囲の確認だけ、お願いします」
「心配性ねぇ」
「そのくらい用心深い方がいいよ」
アルキオーネが苦笑すると、自警団員がやんわり窘めた。
「有難う。大事に使うよ」
オラトリックスが収録を終え、集会所から満足げに出て来る。
アミエーラは、いつも以上に充実した気分で難民キャンプを後にした。




