1797.播種の終わり
アミエーラたちが【道守り】をしに第三十五区画へ行くと、サフロールとばったり出食わした。
「こんな奥地まで……お疲れ様です」
「歌い手のみなさんこそ、こんな森の奥までわざわざ、有難うございます」
薬草園の管理者サフロールの住む区画は、確か、難民キャンプ全体の中央付近の筈だ。
「今日も、畑仕事のお手伝いですか?」
「畑仕事と言うか、青い花の種蒔きに来て、さっきやっと全部終わったとこなんです」
サフロールは、金髪が汗で貼り付く額を作業服の袖で拭い、清々しい笑顔を向けた。湖の民の青年が、上着の胸ポケットをポンと叩いて言う。
「パテンス農協の人に【耕作】の術を教えてもらって、要の木に近付かないで耕せるようになったんです」
「まさか【操水】と組合せたら、あんなコトまでできるとは思わなかったよな」
服に呪印の刺繍がある男性が、肩越しに振り向いて言う。
針子のアミエーラと黒髪の歌姫アルキオーネが、呪歌の師匠オラトリックスに視線で問う。だが、【歌う鷦鷯】学派の彼女には【畑打つ雲雀】学派の術は、全くわからないらしい。疑問を受け止めた目を難民たちに向けた。
「俺たちも全然知らなかったんですけどね」
緑髪の青年が説明してくれた。
農業に関する【畑打つ雲雀】学派には、土を解す【耕作】の術がある。
術者の身長より短い木の棒を手に持って呪文を唱え、魔力を巡らせてから地面に横たえると、棒の長さを二乗した面積が一気に耕される術だ。一回ずつ、棒を持ち直して魔力を巡らせ、呪文を唱える必要がある。
「つまり、農家だと背が高い人の方がモテるのね」
「はははッ。おもしれぇ姐ちゃんだな」
アルキオーネが何やら納得した顔で言うと、種蒔きをした難民たちからどっと笑いが起きた。
緑髪の青年が咳払いして続ける。
「で、棒を足下に置かないで、【操水】で狙った場所に置いても、ちゃんとそこが耕されるんだ」
「岩とかあったら無理だけどね」
「岩は【穿つ啄木鳥】学派の人が【砕石】で片付けてくれたし」
十人ばかりの作業者が口々に言う。みんな一仕事終え、晴れ晴れとした笑顔だ。
「八人掛かりで【操水】に土を含ませて浮かせて、その間に残りが水に種子を含ませて広く薄く蒔いて、土も同じように被せてってのをこの辺の要の木、全部でやったんだ」
区画の少し奥に大木が一本、木製の柵に囲まれてポツンと残る。
柵には【魔除け】の呪文と呪印を彫ってあるが、ほんの気休めだ。
周囲の木々が伐られ、孤独に耐えかねた樹木の精霊が、通りすがりの人間の心を捕えて引き込めば、呼ばれた人間は止められない。
魂を連れてゆかれるか否かは、要の木に宿る精霊の力、呼ばれた人間と精霊の相性、人間の抵抗力など、様々な要素が絡む。
すべての人を確実に護る唯一絶対の方法はない。
それでも、ぶつかった衝撃で正気に戻す障壁として、ぶつかって先へ進めない内に周囲の者が気付いて引き離す時間稼ぎとして、なるべく要の木と距離を置く為の目に見える境界として、木製の柵は一定の効果を上げる。
今回の播種は、要の木の孤独を慰めるだけでなく、ラキュス湖から遠く引き離されたフラクシヌス教徒の心を和ませる目的で実行された。
サフロールが、作業を終えた場所を誇らしげに振り返った。
「秋になったら、女神様の御紋のお花畑になるよ」
「秋になっても、ここから故郷へ帰れないんだな」
誰かがぽつりと呟いた一言で水を打ったように静まり返る。
「やぁね。そんなの当たり前じゃない」
凍りついた空気を破ったのは、アーテル共和国出身の歌姫アルキオーネだ。
播種を終えたものたちだけでなく、自警団や近くで別の作業をする難民たちも、手を止めて黒髪の歌姫に険しい顔を向ける。
「戦争始まってからここに来るまで、何カ月も掛かったんだから、戦争が今すぐ終わっても、今日中に帰れる人ってあんまり居ないでしょ」
アルキオーネは、冷たく刺さるたくさんの視線をものともせず、言ってのけた。
「いや、まぁ、そりゃわかってんだけどよ」
「あんまりハッキリ言われると、キツいモンがあるって言うか」
ざわめきを縫って、ソプラノ歌手オラトリックスのよく通る声が告げる。
「集会所の貼紙にもあります通り、サカリーハ市など一部の都市では、もう帰還事業が始まりました」
「政府軍の工兵隊が、空襲で壊れた防壁の再建工事を終えました。今は電気とか道路とか、インフラの復旧作業ができる人に来て欲しいそうです」
アミエーラが、何度も繰り返してすっかり覚えた説明を繰り返すと、難民たちは微妙な顔で目を逸らした。
オラトリックスが、トポリ市の復興状況を語る。
「昨日入った情報では、トポリ市で起きた麻疹の大流行はかなり落ち着いて、入院患者が減ってきたそうです」
「アミトスチグマの医師会が、ザーパット脳炎とか色々予防注射してくれて、それはすごく助かるし、有難いんだけど」
「麻疹のだけ品薄で、結局、してもらってないからなぁ」
「工場の故障は直ったそうですが、品薄の間に世界のあちこちで流行が起きて、まだしばらくは品薄が続くそうです」
伝えるオラトリックスの顔も苦しそうだ。
「えっと、じゃあ、歌い手さんたち! 今日も一日【道守り】よろしくお願いします!」
第三十五区画の自警団長が、空元気を出して話を打ち切り、歌い手の一団は呪歌の準備に取り掛かった。
☆サフロールの住む区画……第十五区画在住「739.医薬品もなく」「775.雪が降る前に」「805.巡回する薬師」参照
☆畑仕事のお手伝い……あちこちの区画に顔を出す「0986.失業した難民」参照
☆要の木……「1184.初対面の旧知」「1593.意識的に視る」「1594.精神汚染の害」参照
☆孤独に耐えかねた樹木の精霊が、通りすがりの人間の心を捕え……「1610.食害された畑」~「1614.まとめる情報」参照
☆女神様の御紋……ひとつの花の御紋「588.掌で踊る手駒」参照
▼ひとつの花の略紋
☆サカリーハ市など一部の都市では、もう帰還事業……「1752.帰還支援要請」「1766.進展する支援」参照
☆トポリ市の復興状況……「634.銀行の手続き」「750.魔装兵の休日」「1175.役所の掲示板」「1259.割当ては不明」「1342.支援に繋ぐ糸」参照
☆トポリ市で起きた麻疹の大流行……「1330.連載中の手記」「1474.軍医の苛立ち」参照
☆アミトスチグマの医師会が、ザーパット脳炎とか色々予防注射……「1282.支援の報告会」参照
☆麻疹のだけ品薄……「1195.外交官の連携」「1249.病の情報拡散」「1256.必要な嘘情報」「1259.割当ては不明」「1286.接種状況報告」「1305.支援への礼状」参照




