1794.あちらの不幸
いつもの呪符は、移動放送局プラエテルミッサ用として、既にまとめてあった。ロークは念の為にと、アウェッラーナたちの目の前で数えて渡す。
「この後、郭公の巣に行って、お昼は獅子屋さんで食べるの」
「うん。時間が合えばいいんだけど」
エランティスに答えたロークは、表情を翳らせた。
「最近は、時間をずらして一人ずつ食べに行くから」
「メシ時も閉めらんねぇってのか。大変だな」
メドヴェージが気の毒そうな声を出す。
「会えなかったら、帰りもちょっと顔出しますね」
「お願いします」
三人が呪符屋を出ると、通路は大行列だ。
更に混雑が増した煉瓦敷きの通路で人波を縫い、魔法の道具屋「郭公の巣」へ向かう。
先程より饐えた臭いが濃くなった気がする。薬師アウェッラーナはエランティスと手を繋ぎ、時々息を止めて歩いた。
丁度入れ違いに一組出ただけで、郭公の巣は静かなものだ。
「あらぁ、いらっしゃい」
「よぉ、久し振り」
メドヴェージが蔓草細工の帽子をカウンターに置くと、クロエーニィエ店長は瞳を輝かせた。
「鍔の編み方、変えたのね」
「女の子向けにと思ってな。ちっとばかし飾り入れてみたんだ」
「カワイイわねぇ。何と交換しようかしら?」
エランティスがメドヴェージの隣へ進み出て、マチャジーナ市の虫除けの件を説明した。
クロエーニィエ店長は、逞しい腕を組んで耳を傾ける。相変わらず、可愛いエプロンドレス姿だが、見慣れた今は違和感が仕事をしなくなった。
「難しいわねぇ」
最後まで聞いた店長は、野太い声に溜め息を混ぜた。
「解決できそうな道具ってなさそうですか?」
「あの虫除けは、香りの成分が虫を遠ざけるの。だから、まず臭い消しの類は使えないでしょ?」
「あー……じゃあ【護りのリボン】みたいなので、魔力がなくなったら一目でわかるものってありますか?」
「うーん……【魔力の水晶】自体、中の魔力を使い切ったら輝きがなくなるものだけど、そればっかり見てたんじゃ、他のコトできなくなっちゃうわよね」
クロエーニィエ店長に困った顔をされ、エランティスが肩を落とす。
メドヴェージがカウンターに肘をついて聞いた。
「あんたがくれた古い剣。あれもそうなのか?」
「旧王国軍では、主に力ある民の兵が使ったの。自前の魔力の予備として」
「力なき民には持たせなかったってのか?」
クロエーニィエ店長からもらったのは、旧王国時代の軍が制式装備と定めた魔法の剣だ。
「力なき民は、魔力の残量がなくなったら鈍らになる剣で別に訓練して、実戦ではちゃんとしたのを持たせて、空になったら交代してたわ」
「要するに、気ィ付けるしかねぇってのか」
「そう言うコト。剣なら、ずっと手元にあるから見やすいけど」
「あのー……ごめん下さい」
「はい、いらっしゃいませ」
クロエーニィエ店長は、男性の弱々しい声に愛想よく応じた。
おっかなびっくり入って来たのは、中年男性と幼稚園児か小学生か定かでない男の子だ。店内に何とも言えない臭いが満ちる。
「お忙しいところ失礼します。何でも致しますので、私を雇っていただけませんか?」
男性は店長の恰好が目に入らないのか、一息に言って頭を下げた。隣で男の子もペコリとお辞儀する。
「ウチは今、人手が足りてるのよ。ここと上の街は、店頭や商工会議所の掲示板に求人広告を出す決まりだから、貼紙を見て応募した方がいいわよ」
男性は背を丸め、床に言葉を落とした。
「はい。ここに来た次の日、駆除屋さんが教えて下さって、光の導き教会でも、司祭様に同じことを言われました。その通りにしたのですが、どこにも雇ってもらえなくて」
「力なき民なの?」
店長の声は、違うのを確認するものだ。だが、男性は顔を上げたものの、唇を引き結んで一言も発さない。
「何があったか、詳しい事情を教えてくれたら、別の稼ぎ方、教えてやんよ」
メドヴェージが言うと、男性は目を見開いた。唇が震え、微かに声を絞り出す。
「ほ……本当に……そんなコトで?」
「俺は力なき民だが、それなりにやってるぞ」
「お、教えて下さい! あ、こちらの事情でしたね」
男性は、理路整然と身の上を語る。
アーテル本土で生まれ育った。大学卒業後は会社員になり、結婚して家庭を持った平凡な人物だ。
今般の魔獣大発生で、親から相続した一戸建ての庭にも土魚が侵入。家から出られなくなった。
星の標の自警団が梯子で救出を試み、長男は無事に脱出。だが、土魚が跳び上がり、次男は梯子の途中で動けなくなった。
丁度通り掛かった魔獣駆除業者が助けてくれたが、対価として【水晶】を握れと言われた。
「成程。それが【魔力の水晶】だったのね」
クロエーニィエ店長が先回りすると、男性は涙がこぼれそうな目で頷いた。
「家族全員と自警団のみなさんも握らされて、この子と私、自警団はお一人だけが地元に居られなくなりました」
「魔力を持ってるだけで、自力で身を守れない人が本土に居たら、危ないから助けてくれたんじゃないかしら?」
「助けてくれた? とてもそうは見えませんでしたが?」
男性は困惑に嫌悪感を混ぜ、店内の面々を見回す。
「魔物や魔獣は、魔力を持つこの世の生き物を食べると、際限なく、大きく強くなるの」
「えッ?」
「お兄ちゃんは無事に降りられたけど、この子は跳びつかれたんでしょ?」
「は、はい」
父が頷くと、息子は父の足にしがみついた。
「この子には魔力があるから、土魚にとってはご馳走なのよ」
「そんな……」
父子が改めて青褪める。
「こっちの街には防壁があるし、街中に防護の術が仕込んであるから、土魚なんて一匹も入れないわ」
「そ……そうだったんですか」
男性は、魂が抜けそうな声と同時に項垂れた。
☆あんたがくれた古い剣/旧王国時代の軍が制式装備と定めた魔法の剣……「443.正答なき問い」「444.森に舞う魔獣」参照
☆星の標の自警団が梯子で救出を試み(中略)魔獣駆除業者が助けてくれた……「1775.星の標の活動」「1776.人助けの報酬」参照




