1791.わからぬ未来
トラックとワゴンを置いて、みんな出払うワケにはゆかない。
薬師アウェッラーナは、交換品用の傷薬を作るので残る。アナウンサーのジョールチも、【無尽袋】に片付ける資料を吟味すると言って留守番だ。
星の道義勇軍は、珍しくソルニャーク隊長が残り、メドヴェージが出掛けた。
兄アビエースには運動を兼ね、商店街まで歩いてもらう。
力なき民たちは、独特の匂いがする虫除けをたっぷり振り掛け、ラゾールニクを追いかけた。
みんなの行き先は、家具屋とホームセンターだ。組立式二段ベッドとハンモックの品定めだけでなく、情報収集もする為、夕方まで戻らない。
作り慣れた傷薬は、すぐ完成した。
この三人で留守番は珍しい。
いつもは、メドヴェージが運転手としてトラックの番を申し出て残り、ジョールチと隊長は、それぞれ別の視点から情報収集へ出る日が多かった。
……ずっと平和だったら、絶対、会わなかった三人なのにね。
今は、一緒に居るのが当たり前になった。
薬師アウェッラーナは、ネーニア島の国境付近に位置するゼルノー市の病院勤めで、滅多に市外へ出ない。
ソルニャーク隊長は、ゼルノー市に隣接するリストヴァー自治区の住民で、許可証がなければ自治区から出られない身分だ。
国営放送アナウンサーのジョールチは、ネモラリス島にある首都クレーヴェルの本局勤めで、調査報道の第一線を退いた為、他地域へ取材に出なくなった。
三人は同じ国で暮らしても、信仰や仕事の都合などで、接点がなかったのだ。
……平和になったら、移動放送局は解散するんでしょうけど。
ゼルノー市には、防壁が完成するなど、ある程度のインフラが復旧するまで戻れない。
薬師アウェッラーナは、仮設病院で働けるかもしれないが、漁師の兄は、船がなければ元の仕事に復帰できない。
漁船を手に入れるなり、漁協の僚船に乗せてもらえたとしても、漁港の設備が復旧しなければ、魚を獲っても流通に乗せられない。腐敗すれば、異界から魔物を呼び寄せる扉になりかねず、却って復興の妨げになる。
……ヘロディウスたち、光福三号を返してくれるかな?
女子大生アーラのお陰で、漁船と親戚の無事はわかったが、兄アビエースに対する仕打ちを知ったアウェッラーナは、素直に喜べなかった。アーラの手記を読んだ時は、色々な感情がごちゃ混ぜになって言葉にならず、涙がこぼれた。
少なくとも今は、開戦前のように何のわだかまりもなく、彼らと仲良く暮らせる気がしない。
……他人と一緒に居る方が、安らぐ日が来るなんてね。
力なき民のレノ店長たちと、力ある民が一人しか居ないクルィーロの一家は、アウェッラーナたちより帰還が後になるだろう。
それまで、どこでどう過ごせばいいのか。
……千年茸の交換でもらったのがあるから、経済的には大丈夫でしょうけど。
ゼルノー市でテロを実行した星の道義勇軍の三人は、大火からの復興ですっかり変わったリストヴァー自治区に帰る場所があるのか。
だが、キルクルス教徒の彼らは、ネモラリス共和国の他地域には居られない。
三人とも、隠れキルクルス教徒や星の標を嫌悪する。
彼らの息が掛かった事業所で働くのは、是としないだろうが、他の場所では、身分証再発行の過程で【明かし水鏡】や【鵠しき燭台】を使われ、身元がバレる。
アウェッラーナには、彼ら三人の身の振り方が想像できなかった。
葬儀屋アゴーニは、どこへ行っても大丈夫だろう。
五百年以上生き延びてきた彼なら、まだ百歳にも満たないアウェッラーナより、ずっと上手く世間を渡ってゆくに違いない。
アナウンサーのジョールチとDJレーフは、それぞれ元の職場に復帰できるのだろうか。
不可抗力とは言え、局の備品を無断で持ち出し、局とは別に移動放送局を起ち上げた。現在も、ネモラリス島各地を回り、大元の放送局とは全く別の方針で放送し続ける。
……それでも、人手不足だったら、再雇用してもらえるのかな?
現在、首都クレーヴェルを実効支配するのは、ネミュス解放軍によるクーデター政権だ。ウヌク・エルハイア将軍ら解放軍の幹部は、移動放送局プラエテルミッサに好意的で、特にDJレーフは気に入られたらしい。
今は首都に入っても、いきなり警察に捕まる心配はなさそうだが、魔哮砲戦争が終わった後はどうかわからない。
……戦争が終わりそうな感じ、全然ないし、今から心配しても仕方ないわよね。
薬師アウェッラーナは、【無尽袋】に片付けてもよさそうな荷物と、そうでない物を分けながら、先々のことをつらつら考えた。
……ラゾールニクさんって、元々どこに住んでて、何の仕事してたのかな?
葬儀屋アゴーニと呪医セプテントリオーによると、彼は警備員オリョールたちとは別に活動した情報ゲリラらしい。
アーテル本土の警察署かどこかで潜入調査中、戦闘に巻き込まれて負傷。ランテルナ島の拠点で治療を受けたと言う。
アウェッラーナたちとの出会いも、ランテルナ島の拠点だ。
偽造した記者証でフリージャーナリストのフリをし、ネモラリス共和国のレーチカ臨時政府が開いた記者会見の場に堂々と潜入するなど、普通では考えられない大胆なことをやってのける。
アミトスチグマ王国に土地勘があり、呪医セプテントリオーたちを【跳躍】で案内した。
アーテル共和国で活動するクラウストラをロークに紹介したのも彼だ。
……フィアールカさんとも前から知り合いみたいだし。
考えれば考える程、何者かわからなくなる。
だが、喪ったものを語りたくないのだろう。
家族が存命なら、危ない橋を渡る活動などできない筈だ。
本人が語りたがらないことを詮索するのはよくないと思い、アウェッラーナは一度も聞いたことがなく、みんなもそうだ。
「これを入れる【無尽袋】ですが、なるべく国内で調達しようと思います」
「そうですね。小麦粉とか、持て余すくらいいただきましたし」
ジョールチに話し掛けられ、アウェッラーナは物思いから引き戻された。
オバーボク市にも【編む葦切】学派の職人が多く、見習いの品を売る店がありそうだ。
「傷薬と小麦粉で払えば、向こうの人も助かるでしょう」
ソルニャーク隊長も同意を示す。
夕飯後、みんなに改めて話すと、明日、ジョールチとクルィーロがオバーボク市へ跳ぶと決まった。
☆独特の匂いがする虫除け……蚊が多い「1758.マチャジーナ」→「1759.虫除けの費用」参照
☆許可証がなければ自治区から出られない身分……「0118.ひとりぼっち」参照
☆ヘロディウス……「824.魚製品の工場」参照
☆女子大生アーラのお陰で、漁船と親戚の無事はわかった……「1620.学生らの脱出」「1621.得た手掛かり」参照
☆兄アビエースに対する仕打ち……「825.たった一人で」~「827.分かたれた道」参照
☆千年茸の交換でもらったのがあるから、経済的には大丈夫……「477.キノコの群落」→「565.欲のない人々」参照
☆不可抗力とは言え、局の備品を無断で持ち出し……「662.首都の被害は」「673.機材の積替え」参照
☆局とは別に移動放送局を起ち上げ……「0981.できない相談」~「0985.第二位の与党」「0988.生放送の再開」参照
☆DJレーフは気に入られた……「917.教会を守る術」「919.区長との対面」参照
☆ラゾールニクは(中略)ランテルナ島の拠点で治療を受けた……「0285.諜報員の負傷」参照
☆アウェッラーナたちとの出会い……「345.菜園を作ろう」「346.幾つもの派閥」参照
☆偽造した記者証で(中略)記者会見の場に堂々と潜入……「751.亡命した学者」参照
☆アミトスチグマ王国に土地勘……「514.動画への反応」参照
☆呪医セプテントリオーたちを【跳躍】で案内……「701.異国の暮らし」参照
☆アーテル共和国で活動するクラウストラをロークに紹介……「0998.デートのフリ」参照
☆オバーボク市にも【編む葦切】学派の職人が多く……「0947.呪符泥棒再び」参照




