1779.神学校の被害
「お茶一杯分の情報は、そのくらいです。お元気で」
ラズートチク少尉が元の卓へ戻って伝票を掴む。ルベルはスープを飲み干し、少尉に続いて獅子屋を出た。
階段を上り、チェルノクニージニクから朝の光が降り注ぐカルダフストヴォー市へ出るまで、二人とも無言で歩いた。
「監視はよろしいのですか?」
「誰のだ?」
「指導者です」
「もうしばらく泳がせておけ」
「了解」
ネモラリス憂撃隊の穏健派指導者オリョールの手で、アーテル人の家族がひとつ引き裂かれた。力ある民の父と次男、力なき民の母と長男は、もう二度と顔を揃える日が来ないだろう。
オリョールは、状況を面白がるような態度だったが、あの父親の話が本当なら、無償で仕事の探し方を教えたことになる。
……何がしたいんだ?
「今日は予定通り、ルフス神学校で御用聞きだ」
「雇われなかった場合、どうしますか?」
「気にするな。被害状況の調査が目的だ。十中八九、門前払いだろう」
「了解」
ラズートチク少尉は、近くの西門ではなく、南門へ向った。
南ヴィエートフィ大橋前のバスターミナルでは、路線バスが二台、待機中だ。
男性が一人、空のバス停に居た。長椅子に腰掛け、膝に肘を置いて金髪の頭を抱える。衣服の見える部分に呪文や呪印はない。
二人がそばを通ると、背を丸めたまま顔を上げ、こちらを見た。無精髭が伸び、落ち窪んだ目には怯えの色がありありと浮かぶ。
「新聞で見た限り、ルフス神学校の被害は相当なものだ」
「一匹幾らで請負うんですか? それとも時給ですか?」
「その辺は、向こうの出方次第だな」
少尉が先客など居ないかのように言うので、ルベルも合わせた。
待機中のバスがエンジンを掛けたが、男性は空のバス停から動かない。
「昨日の朝刊には、陸軍の対魔獣特殊作戦群だけでなく、星の標団員から成る自警団も動員したと書いてあったが、まぁ、ムリだろうな」
「どうしてです?」
わかりきったコトだが、ルベルは先客に聞かせる為に質問した。
「魔法が使えなければ、土中に潜む土魚を駆除できない。建物の基礎の下に潜り込まれたら、お手上げだ」
先客が息を呑み、目を見開いた。
少尉はバス停を通過し、カルダフストヴォー市の南門を出た。
巨大な橋がラキュス湖へ伸び、朝靄の彼方へ消える。ランテルナ島と大陸側のアーテル本土領は、純白の南ヴィエートフィ大橋で繋がる。
この時間帯、大陸側から島へ来るのは物流トラック、島から大陸側へ行くのは路線バスだけだ。
南門の外では、魔獣駆除業者らが【跳躍】を唱え、次々と姿を消す。
二人も、把握済みのルフス神学校へ跳んだ。
正門前の道路にはバリケードが築かれ、軍用車が七台停まる。
自動小銃を携えた陸軍兵が警戒にあたり、一般人の接近を阻む。周辺の商店は全てシャッターを下ろし、避難の旨を伝える貼紙が新聞受けを塞ぐ。
兵士以外に人影はなかった。
忽然と姿を現した魔法使い二人に銃口が向けられる。
「魔獣駆除の者です。マコデス共和国の方から来ました」
「おはようございます」
ラズートチク少尉が簡単な自己紹介と共に身分証を提示し、ルベルも挨拶の一言を添えて倣う。
「主に民家が対象ですが、昨日の新聞で学校が大変だと知りまして、何かお力になれることはないかと」
魔獣駆除業者ヴォルクに扮したラズートチク少尉が愛想よく言う。警備兵は銃口を下さず、一瞬、顔を見合わせた。
一人が向き直り、精一杯の虚勢を張る。
「そんな連絡は受けていない」
「えぇ。飛び込み営業ですから。何せ、電話もインターネットも繋がらないのでは、こうして直接お伺いする他、連絡手段がありませんので」
「黙れ」
もう一人の警備兵が僅かな手振りで示し、軍用車から兵士が五人飛び降りた。
呼んだ一人が指揮車へ走る。
後から来た五人にも銃口を突きつけられたが、二人は作業服の各種防禦の術で守られ、仮に撃たれたとしても、かすり傷ひとつ負う心配はない。
程なく、現場指揮官風らしき軍人と、民間人風の男性が、作戦指揮車から降りて来た。伝令の他、三人の護衛がつき従う。
「失礼しました。私が現場指揮官です」
「私は、ルフス神学校の理事長です」
キルクルス教徒には呼称がない。二人とも心得たもので、魔法使い相手に本名は名乗らなかった。
指揮官の胸ポケットに刺繍された紋章は、聖典にある聖別された武器「光の剣」を意匠化したアーテル陸軍対魔獣特殊作戦群のものだ。
「指揮官殿、理事長様、初めまして。我々はこう言う者です」
少尉に続いて、ルベルも偽造した身分証を提示する。
指揮官が銃口を下させた。
「遠路遙々、マコデス共和国から来られたそうで、恐れ入ります。現場をご覧いただいて、見積りをお願いしてよろしいでしょうか?」
理事長が校庭側を掌で示したが、軍用車とバリケードが邪魔で見えない。兵士が二人駆け寄り、一部を開けて二人を通した。
兵士の案内で、閉ざされた正門の格子越しに神学校の前庭を窺う。
石畳の道が門から校舎まで続く。幅は乗用車二台分程度だが、両脇には花壇と植栽がある。元は様々な花が咲き乱れる庭園だったようだが、土魚の出入りや軍の攻撃で、見る影もなかった。
石畳には血痕と弾痕が生々しいが、死骸はなかった。
一階の窓が割れ、パンクした車が放置されたルフス神学校は、廃墟に見えた。
「今、敷地内に居るのは、恐らく土魚だけです」
「双頭狼一頭は、昨日の戦闘で倒した」
学長と指揮官の説明に頷く。
「あなた方は、どんなことをお幾らでして下さるのでしょう?」
「地上に出現した土魚など、魔獣の駆除と【簡易結界】による狭い範囲の一時的な安全確保が可能です」
駆除対象が土魚のみの場合は時給、他の魔獣が出現した場合は、個別に対価を追加。現金または、宝石による物納の目安を提示すると、学長は後者を選択した。
☆新聞で見た限り、ルフス神学校の被害は相当なもの……「1700.学校が終わる」参照
☆魔獣駆除の者です。マコデス共和国の方から来ました……「1726.作戦前の共有」参照
☆ルフス神学校の理事長……「743.真面目な学友」「762.転校生の評判」参照
☆聖別された武器「光の剣」……「794.異端の冒険者」「1137.アーテル文化」「1165.小説のまとめ」「1166.聖典を調べる」参照




