1778.棄民の住む島
一番安い朝定食はすぐ来たが、父子は譲り合って手をつけない。
オリョールは、二番目に高い朝定食を悠々と頬張った。
ネモラリス憂撃隊穏健派の指導者は、以前【索敵】で見た警備会社の制服ではなく、魔獣駆除業者が好んで着るポケットの多い作業服姿だ。勿論、これにも防禦の呪文や呪印がある。
彼と相席する父子の服には、見える所に護りがない。
……力なき民でも、銃とかあったら戦えるけど。
あの老婦人は、何と言ってこんな幼い子供までゲリラに入れたのか。年齢の割にしっかりした経済観念のある子だが、武器を取って戦うには幼過ぎる。
……まさか、爆弾括り付けて避難所へ行かせるとか?
ルベルは悪い想像で頭がいっぱいになり、朝食が手につかない。
「どうした? エポプス。食べないのか?」
「スープを冷ましてるんです。猫舌なので」
「今日の現場はルフス神学校だ。昼を食べられる状況かわからん。今の内にしっかり食え」
「は、はい」
取敢えず、パンを口に入れた。
「あ、あのー、この島に私でもできる仕事があるんでしょうか?」
中年男性がオリョールに恐る恐る聞く。
「地上にも地下にも店はたくさんあるし、力なき民だけのとこもある。人手が欲しい店は求人を貼り出してる」
「あっ……有難うございます」
「宿からここまで、何軒も壁やシャッターに貼ってたと思うけど、見なかったのか?」
ゲリラの指導者に半笑いで言われ、男性が俯く。幼い息子は水を一口飲んで、父を気遣わしげに見た。
魔装兵ルベルは、目玉焼きを口いっぱいに頬張り、ラズートチク少尉に視線で問う。魔獣駆除業者ヴォルクに扮した少尉は、こんがり焼けたパンを齧りながら三人の様子を窺うだけで、応えなかった。
ルベルは目玉焼きを噛みしめつつ、横目で斜め前の卓を窺う。
……ゲリラじゃなくて、就職希望?
ますますわからない。
ゲリラ活動を行うなら、ランテルナ島の街ではなく、アーテル本土の事業所へ潜り込んだ方が何かとやりやすい筈だ。
土魚の大量発生で、休廃業に追い込まれた事業所は多いが、テロの機を窺うのも情報の横流しも、アーテル本土での活動は、力なき民の方が怪しまれず、身軽に動ける。
隠して雇われても、何かの拍子に発覚すれば、そこで終わりだ。魔獣駆除業者の中には【魔除け】の護符を高値で売り付ける者も居る。うっかり護符に接触して魔力が発覚する危険性は、以前よりも上がっただろう。
……こんな素人丸出しの子連れに何をさせる気だ?
「あのー、この島の学校は、どこにあるのでしょう?」
「そんなの、仕事決まってから、雇い主に聞いた方がよくない?」
さっさと食べ終えたオリョールは、自分の伝票を掴んで立ち上がる。
男性が、置き去りにされた子犬のような目で見上げたが、魔法戦士は父子に構わずレジに向かった。
父子の前には、手つかずのパンと茹で卵が一個ずつある。
「育ち盛りはタンパク質が重要だ。父さんはパン半分で大丈夫」
「僕、茹で卵みんな食べるから、お父さんはパン全部食べて」
再び譲り合いが始まった。
ルベルは、ぬるくなったスープをちびちび口に含み、成り行きを見守る。
給仕の娘がナイフ片手にやって来て、パンと茹で卵を半分に切り、空いた皿を下げた。
少尉が、手振りでルベルに待機を命じ、父子の席へ移る。
「何やらお困りのようですね」
「は、はい。あの、実は、魔力があるとわかって、昨日この島へ渡ったばかりなのです」
父が蚊の鳴くような声で応えた。茹で卵で口いっぱいの子は、不安げに魔獣駆除業者を見詰める。
「情報料をいただけるのでしたら、その範囲内でお答えしますよ」
父親は迷いを見せたが、固く目を閉じ、細く息を吐いた。
「あまり……たくさんはお支払いできませんが」
「無理のない範囲で結構ですよ。今回は、食後のお茶でいかがです?」
「あっ……有難うございます」
少尉は鎮花茶を一杯だけ注文した。
「先程の彼とは、どう言ったご関係です?」
「家に発生した土魚を退治して、この子を助けて下さった方です」
星の標のボランティアが、二階の窓に梯子を掛け、一家を助けようとした。
長男は無事に脱出できたが、次男の時に土魚が跳び上がり、動けなくなったところへ偶然、先程の駆除屋が通り掛かった。
彼は土魚を全て倒し、魔法で空を飛んで、泣きじゃくる次男を梯子から降ろしてくれた。
「対価として、水晶を握るように言われました」
「それが【魔力の水晶】だったと?」
「はい。妻と長男は何事もなかったのですが、私と次男、それにボランティアの方も一人」
父親は俯いたが、鎮花茶が来て顔を上げた。
「ボランティアの方はどうされました?」
「昨日、私たちは銀行へ寄ってから、バスでこの島へ渡りました。彼も同じ便に乗りましたが、地上の街で別れたので、わかりません」
「あなた方は昨夜、どこで過ごしたんです?」
「素泊まりの宿に泊まって、朝食でこの店に来たら、彼と再会できて……助かったと思ったんですけどね」
父親が弱々しく言うと、魔獣駆除業者に扮したラズートチク少尉は苦笑した。
「我々は今が書き入れ時ですからね。あなたのような境遇の人は、よくこの島に来ますよ」
「ホントですか?」
ランテルナ島へ逃げて来た男性が、顔をやや明るくした。
「アーテル政府にとって、力ある民……ランテルナ島民は棄民です。役所も学校も消防署も、保険などの社会保障も選挙権も何もありません。魔力が発覚すれば、書類上、死んだも同然です」
「じゃ、じゃあ、この子の教育はどうなるんです?」
「親から子へ、あるいは雇い主から奉公人へ。個別に教えます」
「教材などは……」
「書店は地上にも地下にもありますが、まずは生活費の確保をお勧めしますよ」
「そ、そうですね」
父親が冷や汗を拭う。
「島の店は本土の現金が使えるところもありますが、多くは物々交換です」
「職安は……」
「勿論、そんなものはありませんし、労働基準法などとも無縁です」
ラズートチク少尉は、鎮花茶を飲み干し、席を立った。




