1775.星の標の活動
オリョールは家屋内を確認し、依頼人に実家の合鍵を返した。中年男性が半ば放心状態で残金を支払う。
「もう大丈夫だけど、【簡易結界】で新手の侵入を防げるのは一日だけだから、今日中によろしく」
「了解!」
作業員が口々に礼を言い、チェーンソーのエンジンを起動する。
オリョールは、ロークの肩を気さくに叩いた。
「顔色悪いけど、残り、行けそう?」
鎮花茶の効果で震えは止まったが、演技ではなく声が出ない。
だが、ネモラリス憂撃隊の動向を探るまたとない好機だ。オリョールが何のつもりでアーテル本土の住宅街で魔獣狩りするのか、せめて彼個人の所属だけでも確認したかった。
ロークは顔を上げ、ひとつ深呼吸して首を縦に振る。
「このコ、ホントに大丈夫?」
「大丈夫? 行ける?」
オリョールがクラウストラに聞き、クラウストラがロークの手を握って気遣う。そのぬくもりで、やや落ち着きを取り戻せた。
クラウストラに頷き、オリョールの目を見る。
「残り三件だ。無理そうだったら、途中で帰ってくれていい」
オリョールがタブレット端末に次の行き先を表示する。
ふたつ離れた街区だ。
ロークはもう一度頷いて方角を指差し、先導を始めた。
庭付き一戸建てと、やや大きい集合住宅が混在する。
集合住宅にも、歩道に面した前庭はあるが、玄関から続くタイル張り通路の両脇は工事用パネルで守られる。花壇や植栽との距離が、元々充分な物件も多かった。
住民が両手に買物袋を提げ、足早に玄関へ向かう。
その隣の民家では、歩道から二階の窓に梯子を架ける者たちが居た。
「梯子のフック、ちゃんと窓枠に固定できましたかー?」
「は、はい。多分、大丈夫です」
「じゃあ、一人ずつ、ゆっくり、ゆっくりどうぞー」
歩道側の男性三人は、星の標の腕章を巻く。
クラウストラが足を止めた。
「手伝わなくていいんですか?」
「ここんちには雇われてないし、救助の人、もう来てるじゃないか」
「ホラ、お兄ちゃん、先に行きなさい」
母親に促され、小学校高学年くらいの男の子が窓辺に立つ。椅子か踏み台経由で窓枠に足を掛け、梯子に移るとするする降りた。歩道に足が着いた瞬間、大人たちから拍手が起きる。
少年はパンパンに膨らんだリュックを背負い直し、二階の窓に手を振った。
「逆上がりより簡単だったよー!」
「みんなもすぐ降りるから、一人でうろうろしないでね」
「わかってるって」
父親に抱えられ、弟が窓枠に腰掛けた。
「たっ……高いよ」
「鉄棒より楽勝だって」
「梯子の手許だけ見て、足でゆっくり次の段を探りながら降りておいで」
「今はお昼だから魔物は出ないし、魔獣も弱ってるよ」
「今の内に降りておいで」
兄と、梯子を支える星の標団員が、窓枠で身を竦ませた男の子にやさしく声を掛ける。小学校一年生か、幼稚園児か不明だが、親が背負って降りるにはやや大きい子だ。
……梯子の耐荷重の都合で一人ずつなのかな。
「何してんだ。次、行くぞー」
オリョールが、いつの間にか街区の端で信号を待つ。クラウストラは二人の中間地点に居た。
ロークは鞄を肩に掛け直し、無言で頷いて小走りになる。
クラウストラに追いついたところで、悲鳴が上がった。
先程の子供が足を踏み外し、中途半端な姿勢で梯子にしがみつく。
「落ち着いて、坊や、落ち着いて」
「ゆっくり足を上げて、梯子の段に乗せて」
「だ、誰か……誰かーッ! 誰か助けて下さい!」
母親は金切声を上げるが、星の標団員は冷静に応じた。
「奥さん、落ち着いて。お子さんを信じて待って下さい」
「フックはダクトテープで巻いただけなんで、あんまり荷重を掛けると外れて、梯子がズレるかもしれないんです」
踏み外した衝撃でズレたズック靴が落ちた。
梯子の下で激しく土煙が上がり、両親が我が子の名を叫ぶ。
跳ねた土魚が子供の足を掠めて落ちる。
子供は泣きながら足を上げるが、靴下が滑って再び段を踏み外した。
隣近所の窓が開き、向かいの集合住宅もベランダに人が出て来る。
「一旦、戻れ! お父さんがおんぶするから、なッ!」
父が窓から身を乗り出して手を伸ばすが、全く届かず、子供は泣きじゃくって動かない。獲物をみつけた土魚の群が何度も跳ね、土埃が次々舞い上がった。
「誰か、誰かぁーッ! 助けてぇー!」
母親が泣き叫ぶ声が辺りに響き渡る。
オリョールは信号を渡らず、戻って来た。ロークたちの横を過ぎ、梯子騒動の手前の家で立ち止まる。
「あッ! 駆除屋さん、弟を助けて!」
先に降りた兄が駆け寄り、オリョールの手を引く。ロークたちもオリョールに駆け寄った。
星の標の二人は梯子を支えて動かず、一人は子供を落ち着かせようと、やさしく声を掛け続ける。
両親も魔獣駆除業者に気付き、窓から身を乗り出して手招きした。
「駆除屋さん、ウチの子を助けて下さい!」
「代償を払うんなら、助けてもいいけど?」
「言い値で結構です!」
オリョールは頷き、梯子に近付いた。
星の標は魔法戦士を無視し、梯子の上で動けなくなった子供を励まし続ける。
跳ね上がった土魚を【光の矢】が射抜いた。肉片が飛び散り、共食い狙いの土魚が次々と土中から姿を現す。
オリョールは梯子の下を死骸で埋め尽くすと、別の呪文を唱えて地面を軽く蹴った。魔法戦士の身がふわりと舞い上がる。【飛翔】の術だ。梯子にしがみついた子供の手をそっと離して抱き上げる。
「この子の靴って他にもある?」
「は、はい! 玄関に」
「取ってきます!」
母親が引っ込み、息を切らして戻った。
宙に浮いたオリョールは、窓越しに受取って歩道にふわりと着地する。大荷物を背負った両親も、凄い勢いで梯子を降りた。
星の標は何も言わない。
泣きじゃくる子供は、魔法戦士にしっかりしがみついて離れなかった。母親が、脱げたズック靴を紐靴に履き替えさせる。
前庭に散乱する死骸から漂う血の臭いが、鼻の奥に粘り付いた。




