1773.不足する兵士
オリョールは、唯一残った生の鶏肉を拾って依頼人に向き直った。
「横と裏庭がある。そっちから魔獣が回って来るかも知れないから、まだ近付かないように」
依頼人と作業員たちが、引き攣った顔で何度も頷く。
オリョールは民家の横手に回り、生垣の向うに姿を消した。
魔獣駆除業者の姿が見えなくなった途端、作業員たちが大きく息を吐いて肩の力を抜いた。
「駆除屋さん、すっごい強いね」
「うん。一度にあんないっぱいやっつけられるなんて思わなかったよ」
クラウストラに明るく話し掛けられ、ロークも初めて魔法戦士を見たような口振りで応じる。
「き、君たちのお陰で思ったより早く片付きそうだ。これ、二人で分けて」
依頼人が、長財布から高額紙幣を一枚出して、ロークに手渡した。
「あっ、有難うございます。こ、こんなに、いいんですか?」
依頼人は何も言わずに頷くと、自宅か実家か定かでない民家に向き直る。
ロークがクラウストラに紙幣を渡すと、作業員の一人が恐る恐る聞いた。
「君ら、あの駆除屋の知り合い?」
「全然。今朝、ずっと向うのおうちで魔獣やっつけるとこ見てたら、道案内して欲しいって頼まれたんです」
「えッ? それで魔法使いの頼みを引受けたのか?」
「だって、学校は全然行けなくなったし、バイト先は潰れたし、父さんの仕事は減ったし、お先真っ暗ってカンジですもん」
クラウストラが口を尖らせると、作業員は眉を下げた。
「そっか。どこも大変だもんなぁ」
他の作業員が囁き交わす。
「前金、むちゃくちゃ高いと思ったけど、そんなコトなかったな」
「あぁ。まさかあんないっぱい潜んでたなんて……」
施主の視線に気付き、肩を竦めて口を噤む。
……やっぱ、高かったのか。
前金があれなら、総額では中古の一戸建てが買える額だ。
それをポンと出し、工事費も払えるのだから、依頼人はかなり裕福なのだろう。
だが、ロークたちに対しては、護符の鑑定料と魔力充填料は、居ても居なくてもよさそうな道案内でいいと言った上、この金持ちの依頼人に現金を出させた。
……対価は相手の懐具合によって変えてるのかな。
それをどうやって知るか不明だが、ある意味、良心的だ。
アーテル陸軍対魔獣特殊作戦群は、学校に出現した無数の土魚の駆除で手いっぱい。陸軍の通常部隊と消防のヘリは、庭に移動した土魚のせいで家から出られなくなった住民の救助で忙殺される。
……どう考えても、戦争どころじゃないよな。
アーテル共和国のポデレス政権も、星の標アーテル支部も、魔獣駆除業者がランテルナ島だけでなく、マコデス共和国など外国から流入しても、特に目立った反応を示さない。
「星の標の人たち、前は自警団の活動してくれてましたけど、今回の件は」
「シッ!」
ロークが聞くと、作業員たちが身を縮め、依頼人が人差し指を唇に当てる。ロークとクラウストラは肩を竦めて大人たちに会釈し、顔を見合わせた。
今朝、イグニカーンス市のバスターミナルで買った朝刊が未読なのを思い出し、鞄から出した。クラウストラは民家を注視して動かない。ロークは彼女に監視を任せ、紙面に目を通した。
一面は、アーテル政府の土魚対応だ。
ポデレス政権の公式発表と、与党であるアーテル党幹部の談話が載る。
土魚の大量出現による休校措置を早期に解除する為、陸軍の対魔獣特殊作戦群を集中投入。併せて、自宅に閉じ込められた要救助者の所在把握と食糧支援、救助を陸軍の通常部隊が担う。
当面は、学校を全て通信教育に切替える。各地方の教育委員会へ、授業進度に合わせた教材の準備を指示した。
国の責任に於いて、避難所として借り上げるホテルを増やす。
敷地に植栽がある社屋や工場などは全て立入禁止、事業所には休業要請を出す。
だが、実際に要救助者の所在把握を行うのは、地元自治体の警察、救助には消防のヘリも駆り出された。
特に丸腰の消防隊員からの反発が強く、せめて各現場に通常部隊を派遣して救助隊を援護するよう、各地の首長から要望が上がる。
野党はこぞって、軍の人員不足を小突き回した。
アーテル軍は現在、高等学校や大学の中退者を中心に入隊希望者が殺到。ネモラリス共和国と交戦中であり、また、雇用の受け皿としても、病気や体格などの欠格事項に該当しない限り、来るもの拒まずの状態だ。
しかし、訓練所が満員で待機中の者が多い。演習場にも土魚が出現し、実践訓練できないのだ。座学で武器の扱いなどを教える日々が続く。
書類上の人数だけなら充分だが、訓練を完了した新兵はまだ少なかった。
謎の爆発や魔獣の出現などで、中堅やベテランを失った穴を埋めるには程遠い。軍用ヘリの操縦士など、養成に数年を要する隊員は補充が進まなかった。
また、邪悪な魔法使いのテロリストによって、武器庫から多数の銃火器が盗まれたことも大きい。
予算不足で小火器類の補充でさえ、必要数の八割にも届かなかった。
魔獣が出現する現場には、徒手空拳の素人を派遣できず、実動部隊の人員不足は深刻だ。人員補充の目途が立たず、現場指揮官の焦りと兵員の疲労が募る。
学校も同様だ。
通信が回復しない地域では、政府から教委、教委から各学校、学校から各教員への連絡が全て郵送で日数が掛かる上、行き違いも多い。
また、教職員にも土魚による死傷者や、自宅に閉じ込められた者、避難所生活を送る者も居り、授業進度に合わせた通信教育用の教材準備が進まなかった。
教材の原稿が完成した学校でも、印刷と発送が問題となる。
大規模な工場は環境保護法に基づき、敷地面積に応じた緑地の設置義務があり、場内の駐車場は砂利敷きだ。タイヤを食い千切られて材料の供給に支障を来し、製紙工場や紙製品工場の多くが操業不能に陥った。
中小規模の工場は、戦争による不況などで倒産が相次ぐ。
輸入しようにも、通信途絶が影響し、印刷用紙、インク、封筒など、資材不足が深刻だ。
印刷会社も倒産が多い。
郵便の送達日数も、緑地や公園などを避ける為、余分に掛かった。
☆魔獣駆除業者が(中略)マコデス共和国など外国から流入……「1701.薄暗い可能性」→「1726.作戦前の共有」→「1733.業者に出会う」~「1737.感謝を捧げる」参照
☆星の標の人たち、前は自警団の活動……「0953.怪しい黒い影」参照
☆高等学校や大学の中退者を中心に入隊希望者が殺到……「1652.空疎な図書館」「1657.甘~いお願い」「1659.足りない教材」「1682.参考書の寄付」参照
☆謎の爆発……「814.憂撃隊の略奪」~「816.魔哮砲の威力」「838.ゲリラの離反」~「840.本拠地の移転」「0956.フリグス基地」「864.隠された勝利」参照
☆魔獣の出現……アクイロー基地襲撃作戦「459.基地襲撃開始」~「466.ゲリラの帰還」参照
☆魔法使いのテロリストによって、武器庫から多数の銃火器が盗まれた……「0265.伝えない政策」「367.廃墟の拠点で」「814.憂撃隊の略奪」「0969.破壊後の基地」参照
☆印刷会社も倒産が多い……「1659.足りない教材」参照




