1765.鹿素材の活用
アサコール党首が、もう何度目になるかわからない説明をここでも繰り返す。
ファーキルは党首の声を背中で聞きながら、難民キャンプ第三十一区画の集会所掲示板に告知ポスターを貼った。
「鹿の鞣し皮は、羊皮紙より魔力保持力が高いのですが、供給量が少なく、我が国とラクリマリス王国では、特に高値で取引されます」
「鹿の方が強い?」
「何でウチとラクリマリスだけ高いんです?」
集まった難民から、次々と疑問の声が飛ぶ。人が集まり過ぎて集会所に入り切れず、外で説明会をするのも毎度のことだ。
「半世紀の内乱時代、狩人が人間同士の戦いに駆り出されたからです」
狩猟圧が下がり、魔獣と野生動物の勢力が増大。農家や林業者などが、森林に手を入れ難くなった。下草刈りや雑木の伐採などが行えず、荒れた山林はますます人が入れなくなる。
内乱終結後も、腕のいい狩人が激減した上、山々も森林も内乱以前より危険が増した。現在も、ネモラリス共和国とラクリマリス王国では、野生動物由来の素材が入手困難だ。
手に入るのは、人里へ出て畑を荒らす個体由来の素材くらいなものだが、それも皮の傷が酷ければ、使い物にならない。
「難民キャンプでも、わざわざ森の奥まで狩りに行くのは大変危険です」
「狩りに行って、ここが手薄になるのも怖いしねぇ」
「ねぇ」
「大体、武器も防具も足りないし、素人ばっかりだもんな」
「どっかの区画で、鹿に蹴られて顎が砕けた奴が居るって、パテンス神殿の人が言ってたぞ」
「鹿、ヤベぇな」
難民キャンプに身を寄せるのは、大半が力なき陸の民だ。開戦前までは、会社や工場、商店などの勤めが多く、狩人どころか、教員や保育士、介護士、医療者なども全く足りない。
畑仕事も、本職の農家はほぼ居らず、家庭菜園の経験者で四苦八苦してどうにか回すが、鹿や猪に荒らされるまでもなく、収穫はなかなか増えなかった。
「畑を守る有刺鉄線は、手配の目途が立ちました。早ければ、今月中にはお届けできます」
「畑の分だけですか?」
「区画をこう……ぐるーっと……」
難民の一人が腕を大きく回す。
「まずは、畑の分を全区画に配布し、その後、段階的に森と接する区画に追加します」
どこの区画でも、不安や不満、疑問は同じだ。
アサコール党首はすらすら明快な答えを与えた。落ち着いた声で、ここに住まざるを得ない人々の動揺が鎮まってゆく。
「武器はないんですか?」
「鹿や猪を【操水】で溺れさせようにも、動きが早いからなかなか水で捕まえられないんです」
「捕まえたと思っても、意外に泳げて、すぐ水から出てしまうんですよ」
「ちょっとやそっと肺に水を流し込んだくらいじゃ、苦しがって暴れて却って危なかったし」
「猪が一家揃ってやって来たら、魔法使いの手が足りないし」
「森と接する区画には、防具用の魔法の糸と砥石、粘土製の鋳型、それらの説明書をお持ちしました」
アサコール党首が、人々の不安や困り事が出揃うのを待って答える。
党首の視線を受け、ファーキルがリュックサックを掲げると、不安を訴える声が小さくなった。
「説明書は、四種類あります。まずは、鹿や猪の皮の鞣し方。必要な薬品は、職人さんの講習の後でお持ちします」
「講習っていつするんですか?」
「ここに貼り出した日程表でご確認下さい」
アサコール党首が、掲示板に貼ったばかりのポスターを掌で示す。人垣が厚く、後ろの者たちは全く見えないらしい。跳んだり背伸びしたりと、場がざわついた。
「二番目は【守りの手袋】の作り方。三番目は端末ケースの作り方です」
「端末ケースって?」
「何の端末機ですか?」
「こう言うのです。これに【魔除け】の刺繍を入れたものが、王都の巡礼土産で人気なんです」
ファーキルは、革製カバーを付けたタブレット端末を頭上に掲げた。
羊の鞣し皮に湖の女神パニセア・ユニ・フローラの略紋と【魔除け】の呪文と呪印が刺繍してある。力なき民のファーキルが持っても何の効力もないが、フラクシヌス教徒なら、気分的に御利益がありそうだ。
「王都の大神殿でお許しをいただいて、ひとつの花の御紋の型紙を借りられました。これと同じケースを作る場合に限り、御紋を入れられます」
アサコール党首の説明で、場が驚きと畏れにどよめく。
「でも、その機械、ボランティアの人に貸してもらえたのって、平野に近い区画だけですよね?」
「ここにも来るんですか?」
「湖南経済新聞社が、通信販売の会社に話を持ちかけてくれました。その通販会社が、できあがったケースを買取って、インターネット上で販売する予定です」
ファーキルが説明すると、難民たちはわかったようなわからないような微妙な顔で頷いた。
「買取りって、現金なんですか?」
「いえ。物々交換です」
「何をくれるんです?」
「今のところ、食料品……その会社が輸入したアレルギー対応の保存食と交換してくれる予定ですが、他に要望があれば、一部は変更もできるそうです」
「四番目は、簡易版の【祓魔の矢】の作り方です」
アサコール党首が、話題を切替えて先へ進める。
「これも、職人さんの講習の後で作っていただきます」
「でも、銀がありませんよ?」
当然の疑問が出た。
アサコール党首は、いい質問だと言いたげに頷き、落ち着いた声で応えた。
「空缶を鉄とアルミニウムに分け、鉄だけを【炉】で鎔かして作ります。魔物や魔獣に対する威力は、銀製より落ちますが、力ある民が使う分には、実体のない魔物にも有効です」
「まぁ、鍬持って突撃かますよりはマシだけど……」
「弓がないし」
「弓矢が揃っても、素人じゃ当てらんないって」
「力なき民はどうやって戦うんです?」
アサコール党首のよく通る声が、ざわめきの中を抜ける。
「既に他の区画が、鉄パイプと鉄製の【祓魔の矢】を組合わせた槍を運用しています。そこでは、鍬で戦うより負傷者が少なくなりましたので、作り方を教えていただきました」
「鉄の槍……?」
「なんか、本格的な武器だな」
「弓矢じゃどうせ当たんないし」
「素人が射ったら流れ弾が怖いよ」
ざわめきが次第に小さくなり、期待の眼差しが集まった。




