1761.沼地の危険性
「沼は、子供だけで行っちゃダメって言われてるから……」
母が沼で素材採取する者の護衛だと言う子が、困った顔で言うと、地元の子供たちは一気に騒がしくなった。
「高校生はアルバイトに行くけど」
「それも朝早くだけだよな」
「冬はヌシフェラの根っこ採りで昼過ぎまで居るけど」
「まだ夏にもなってないって」
「やっぱ、蚊がヤバいよな。デカい奴」
「虫除けと【魔除け】と【耐衝撃】ないとヤバいよな」
「数が多いし、ちょこまか飛ぶし」
「殺虫剤、何個持ってく?」
「放送局の人はいつまで居られるの?」
DJレーフが指折り数えて答える。
「役所の許可が出たら、放送の準備に十日か二週間くらい掛けて、それから、マチャジーナ市内の三カ所くらいで公開生放送……全部で三週間くらいかな?」
「じゃあ、次の日曜、連れてって欲しいって母さんに言ってみる」
「漁師の爺さんが、ねーちゃんについてくんじゃ、ダメなのか?」
モーフが、薬師アウェッラーナの兄アビエースを見る。
長命人種のアウェッラーナは中学生くらいに見えるが、実年齢は兄と少ししか違わない大人だ。
「大人でも、戦いの魔法は使えないからな」
「おめーの母ちゃん、そんな強ぇの?」
モーフは、苦笑した【漁る伽藍鳥】学派の術者から目を逸らし、護衛の子に向き直った。少年が元気よく頷く。
「前は軍に居たけど、結婚してから辞めて、俺が小学校に入ってから警備会社に就職したんだ」
「へぇー、ホントに強いんだなぁ。お母さん、何学派?」
ラゾールニクが聞くと、少年は質問者の胸元を見て言った。
「父さんは【編む葦切】で、母さんは【急降下する鷲】なんだ。おじさんは?」
「おじさんって、俺? 見たまんま、フツーに使う術しか使えないよ」
「ふーん。他の人は?」
「俺たちゃ、誰も戦いの術は使えねぇんだ」
葬儀屋アゴーニが言うと、少年は【導く白蝶】学派の徽章を見て頷いた。
……そんな本気で強い護衛が一緒じゃないと行けない沼って、何が居るのよ?
魔法戦士の強さは、性別による肉体的な強さでは測れない。
魔力と作用力の強さ、魔力を圧縮して一気に放出できる錬度、そして、適切な時機に適切な術を使用する冷静な判断能力と、戦士としての総合的な才能だ。
今は徽章を隠すアウェッラーナも、病院で魔法薬を作るのが専門の薬師で、戦いの術は使えない。
身を守る術で使えるのは、場を清める【退魔】、雑妖などを退ける【魔除け】、魔物などの侵入を防ぐ【簡易結界】くらいなものだ。魔獣の急襲を受けた場合、詠唱が間に合ったとしても、気休めにしかならない。
医療産業都市クルブニーカの製薬会社に雇われた薬師には、レサルーブの森や、その北の沼沢地へ素材を採りに行く係が居た。
彼らは戦闘用の呪符を扱う研修を受け、ある程度なら自力で身を守れる。その上で、警備会社の護衛をつけて行くのだ。
オリョールやジャーニトルたちは、開戦前までは薬師の護衛として魔の領域へ立入り、魔獣由来の素材を狩り集めるのが仕事だった。
ウルトールたちはアクイロー基地襲撃作戦で命を落とし、ジャーニトルはゲリラを辞めた後、しばらく難民キャンプに身を寄せて帰国した。
……ジャーニトルさん、元気にしてるかな?
アガート病院は、魔法薬の素材を製薬会社から購入し、アウェッラーナたち専属の薬師が、患者に合わせて院内製薬する。
大学の就職課では、病院勤務より製薬会社の方が高給だと言われたが、アウェッラーナにはあんな働き方はできない。
素材採集担当でない研究職になるには、知識も技術も足りなかった。
魔法薬を新しく開発すれば、魔法使いの国際機関「霊性の翼団」から導師の称号を授与され、徽章に宝石が付く。学派によって基準は異なるが、新しく称号を得るのは、世界でも稀で、何十年、何百年に一度あるかないかだ。
物思いに耽るアウェッラーナそっちのけで話が進む。
「じゃあ、母さんがいいって言ったら、沼へ行きたい人ー!」
居合わせた小学生の内、五人が元気よく手を挙げた。モーフが手を挙げると、メドヴェージも続き、アマナとエランティスも参加を表明する。
「私は行くけど、兄さんは?」
「じゃあ、一緒に行こうか」
断られたらどうしようかと思ったが、アウェッラーナはホッとして手を挙げた。
「お姉ちゃんは?」
「私はいいわ。後でどんなだったか教えてね」
ピナティフィダが断ると、モーフが露骨にがっかりした。
「父さんはどうする?」
「私は留守番するよ。取材が始まったら原稿の手伝いも要るだろうし、クルィーロ、行っておいで」
父子の話が、【簡易結界】越しにまとまる。護衛の負担軽減も判断に入れたのだろう。クルィーロは決意を籠めた目で父を見詰めて頷いた。
「わかった。アマナたちは任せてくれ」
「俺も見に行ってみよっかな? みんなは?」
ラゾールニクが聞いたが、他は残ると言う。
元の住民が湖の民ばかりで、力なき民の避難者の大半が、大きな吸血性の蚊のせいで他所へ移ったとは言え、油断できない。
トラックとワゴンの見張りも必要だ。
「もし、お母さんがいいよって言ってくれても、お休みの日にこんな大勢、タダで護衛をお願いするのってアレだから、何かお礼の品を渡したいんだけど」
アウェッラーナが言うと、少年は顔の前で片手をヒラヒラ振った。
「イイってイイって」
「傷薬やクッキー、蔓草細工とか……気持ち程度しか用意できないけど」
「お礼の件も、お母さんに聞いてからの方がいいんじゃないかな?」
「わかった! また明日!」
アウェッラーナとラゾールニクが言うと、少年は頷いて駆け出した。他の小学生たちも、公園の時計を見上げて口々に別れを告げる。
夕飯の支度をする最中、レノ店長とアナウンサーのジョールチが戻った。
「放送の許可は出ました。ただ、公用地は貸せないので、民間のどこかと交渉して、場所を確保して欲しいとのことです」
「じゃあ、他所と同じで、大きい駐車場持ってる店と交渉すればいいな」
DJレーフは、ジョールチの報告を受け、気楽に応じた。
「ラジオのおっちゃんも、ヌマ、行く?」
「沼?」
モーフが前のめりに聞いたが、ジョールチは首を傾げた。
DJレーフが半笑いで説明する。
ジョールチは取材と原稿、レノ店長は食事の支度で、留守番に決まった。
☆アウェッラーナも(中略)戦いの術は使えない……「0033.術による癒し」参照
☆場を清める【退魔】……「0015.形勢逆転の時」参照
☆雑妖などを退ける【魔除け】……「0024.断片的な情報」参照
☆魔物などの侵入を防ぐ【簡易結界】……「0023.蜂起初日の夜」参照
☆オリョールやジャーニトルたちは、開戦前までは薬師の護衛……「0191.針子への疑念」「0195.研究所の二人」「0216.説得を重ねる」参照
☆ウルトールたちはアクイロー基地襲撃作戦で命を落とし……「466.ゲリラの帰還」~「468.呪医と葬儀屋」参照
☆ジャーニトルはゲリラを辞めた後、しばらく難民キャンプに身を寄せて帰国……「837.憂撃隊と交渉」「838.ゲリラの離反」→「863.武器を手放す」→「876.警備員の道程」参照
☆魔法使いの国際機関「霊性の翼団」……「1387.導入する理由」参照
☆学派によって基準は異なる……「0140.歌と舞の魔法」「0147.霊性の鳩の本」参照
▼【導く白蝶】学派の徽章




