1760.沼沢地の植物
公園から、親子連れと老人が姿を消した。そろそろ夕飯の支度をする時間だ。
残ったのは、グラウンドでサッカーを続ける中高生、遊具の区画で移動放送局の面々を囲む小学校高学年くらいの子供たちだ。
「ただいまー」
「おかえり」
兄アビエースに迎えられ、薬師アウェッラーナはホッとして肩の力が抜けた。
高血圧に気付いて以来、兄の姿が見えないと、漠然とした不安に襲われるようになった。今は作用が一番穏やかな魔法薬を試用中だが、血圧はきちんと低下傾向を示し、レノ店長たちも食事の塩分などで協力してくれる。
脳卒中や心筋梗塞に対応する魔法薬も作った。
気にし過ぎだと思い、敢えて兄と離れて買物に行ってみたが、不安をはっきり確認しただけだ。買物中は、調査と用事に集中できたつもりだったが、兄の無事な姿を見た瞬間の安堵で、そうではなかったと思い知らされた。
……他人だったら、患者さんの病状を冷静に診られるのに。
「それも、魔法薬なのか?」
「高かったんじゃねぇか?」
ソルニャーク隊長とメドヴェージが、虫除けのスプレー瓶に視線を注ぐ。
「お土産屋さんのは、シューってする瓶がキレイだから高いけど、フツーのは安いよ」
「お父さんがちょっとの葉っぱでいっぱいできるって言ってたし」
「作るより採りに行く方が大変だから、護衛代で高いんだって」
小学生たちが口々に答え、中年男性二人は面食らった。
「よく知ってるなぁ」
ラゾールニクが感心してみせると、小学生たちは笑顔をさらに明るくした。
「俺の母さん、北の沼へ材料採りに行く人の護衛なんだ」
「私のお父さんは、採りに行く係なんです」
「へぇー……凄いなぁ」
「ネーニア島の沼地には、愚か者の灯って言う魔獣がいっぱい居るんだけど、そこの沼は?」
ラゾールニクがしみじみ頷き、クルィーロが薄気味悪そうに北へ目を遣る。
「街のすぐ傍は干拓してあるから大丈夫だよ」
「カンタクって何だ?」
モーフが【簡易結界】の中から聞いた。
「沼を埋め立てて畑にしてんの」
「ヌマを畑に? 何作るんだ?」
「いろんな野菜だよ」
「沼はヌシフェラが採れるけど、そればっかりじゃ栄養偏るもん」
「ヌシ……何?」
「えっ? ヌシフェラ知らないの?」
驚かれたモーフが固まる。
「俺たち、ネーニア島出身で、あっちの沼は魔物や魔獣が多過ぎて干拓できないし、ヌシフェラも生えてないんだ」
クルィーロが助け船を出すと、緑髪の子供たちは緑の目を丸くした。
「沼なのにヌシフェラ生えてないんですか?」
「何で?」
「逆にどんな景色か見てみたいよな」
「ここの沼ってどんな景色なんだ?」
どうやらモーフの知識欲に火が点いたらしい。瞳を輝かせて質問を繰り出す。
緑髪の子供たちは、他の島から来た茶髪の少年に先を争って答えた。
「沼から茎がひょろひょろ伸びて、おっきい葉っぱが一枚付いてるんだ」
「夏の朝早くに薄赤くて大きいお花が咲くの」
「花と葉っぱがいっぱいで、遠くから見たら花畑っぽく見えるけど、泥沼だからな。うっかり足を踏み入れたら出られなくなるんだ」
「お、おう。沼ン行く時があったら、気ィ付ける」
モーフがぎこちなく頷いた。
薬師アウェッラーナも、写真なら薬草学の講義で見たが、生のヌシフェラは見たことがない。
魔法薬の素材としてのヌシフェラは、全体がそれぞれ別の薬効を持つ。
人頭大にもなる大きな花と、その後たくさん採れる丸い種子は強心剤、葉は解熱剤や熱中症の治療薬、茎の汁は湿疹やニキビの塗り薬、穴が開いた太い根は吐き気止めの材料だ。
汁は瓶詰、他の部位は乾物にして取引される。
また、雄蕊はお茶、根はニンジンなどと同じ根菜として、普通に食べる地方もあると教わった。根の収穫は種子の収穫後、真冬にするらしい。
薬師アウェッラーナは平和な頃、アガート病院の業務で、ヌシフェラを素材に使う魔法薬も、数え切れないくらい作ったが、植物としては、大学の講義以上のことは知らなかった。
「沼の縁には葦が生えてて、土の地面が多いとこにはカムフォラの木が生えてるんだ」
「その虫除けは、カムフォラの葉っぱと小枝で作るんだって」
「沼の北の方は魔物や魔獣がいっぱい居るけど、南の方だったら、巡回の警備員さんがやっつけてくれるから、大丈夫だよ」
「何で? 材料採りに行く奴についてって護衛すンじゃねぇのか?」
モーフが首を傾げる。
「蟹を育てる沼があるから」
「カニ?」
次々知らない話が飛び出し、モーフは驚きっぱなしだ。
「蟹っつったらアレだ。水に住んでて足がいっぱいあって手の代わりに鋏が付いてる奴だ」
「ハサミ? カニって魔獣かよ」
モーフはメドヴェージの説明に肝を潰した。
アウェッラーナの兄アビエースが苦笑する。
「大丈夫。この世の生き物だよ。ゼルノー市の水域では、蝦もそこそこ獲れたけど、蟹はあんまり揚がらなかったからね」
「そう言えば、食べたコトない」
「私も、蟹って図鑑でしか見たことないかも」
エランティスとアマナが言うと、今度は地元の小学生が驚いた。
「えッ? ネーニア島って蟹、居ないんですか?」
「湖のとても深い底に居るから、獲るのが大変なんだよ。時々、水面の近くまで泳いで来て、蝦と一緒に獲れるけどね」
「湖の底? この辺の蟹は沼の泥に住んでるんです」
「じゃあ、種類が違うのかな?」
子供たちと魚介類の話をする兄は、久し振りに明るい笑顔を見せてくれた。
……やっぱり、漁へ出られないのもストレスよね。
開戦前の兄は、就寝中を除けば、陸より湖に居る時間の方が長かった。
意見を違えた身内に光福三号を乗っ取られて船長でなくなり、ずっと陸に居て慣れない仕事をして暮らす。
ストレスを募らせない筈がなかった。
「ねぇ。もし、危なくなくて、都合がついたらでいいんだけど、蟹が居る沼を見せてもらっても大丈夫かな?」
アウェッラーナは、思い切って地元の子供たちに聞いてみた。




