1756.野生動物の害
クルィーロ、エランティス、ラゾールニクは一泊し、朝食前に夏の都を発った。使用人がサンドイッチを持たせて送り出す。
ファーキルとアミエーラ、サロートカ、平和の花束の四人と共に夜遅くまで話し込んだようだが、睡眠不足など微塵も感じさせない元気な足取りで、マリャーナ宅を後にした。
呪医セプテントリオーは朝食後、亡命議員らと【跳躍】許可地点へ向かう。
今日は、クラピーフニク議員だけが難民キャンプに跳び、他の議員たちは、夏の都に拠点を構える慈善団体の許へ足を運ぶ予定だ。
第二十九区画は、難民キャンプ南東部に位置する。
西と北は、少し前に開通した道路に面し、小型のトラックなどが、救援物資を直接搬入しに来る。だが、東と南は森と接する。つい先日も【道守り】に行ったアミエーラたちが魔獣に遭遇したばかりだ。
南東の第三十三区画との間には、要の木が何本もあり、伐採できない。
森に隣接する為、魔獣や野生動物による人身被害が多い区画だった。
「へぇー、これが噂の【魔除け】の板ですか」
クラピーフニク議員が物珍しげに難民キャンプ内の道を見回す。呪医セプテントリオーが前回、この区画を巡回診療した際にはなかった。
「あっ! 呪医、クラピーフニク議員も!」
「お久し振りです」
「よかったら、この板の上、通ってって下さい」
「足を乗せたら、魔力が補充されるんでしたっけ?」
クラピーフニク議員が言いながら足を置くと、板から淡い真珠色の光が立ち昇った。
「お忙しいとは存じますが、診療所の周りだけでも、一周りしていただけませんか?」
老人が縋るような目で二人に頼む。診療所前で順番を待つ患者たちも、緑髪の呪医と力ある民の議員に視線を注いだ。
「じゃあ、僕が周ります。呪医は早く診療を始めて下さい」
「よろしくお願いします」
若手議員は元気よく言い、早速、板の上を靴音軽くとことこ歩き始めた。
「議員。もう少し、ゆっくりお願いします」
「乗った時間が長い方が、効き目が強く、長くなるんです」
「あ、そう言う仕組みなんですね」
呪医セプテントリオーは、難民たちと亡命議員の遣り取りを背に第二十九診療所へ入った。
「おはようございます」
「おはようございます! 今日はセプテントリオー呪医だったんですね」
「よろしくお願いします」
看護師のレカールスタヴァとテモが朗らかな笑顔で迎え、入院患者たちに安堵が広がる。
この診療所には、魔法薬と術を併用して癒す【飛翔する梟】学派の呪医と、科学の現役看護師二人、力ある民の元看護師一人が常駐し、他の区画に比べれば、医療体制が手厚い。
それでも、魔法薬の素材が限られる為、骨折などの重傷には対応しきれず、内科系の入院患者も診療所に入りきれなかった。住居用の丸木小屋で「自宅療養」する患者の往診もままならない。
常勤の呪医プーフが、巡回診療で来た【青き片翼】学派の呪医セプテントリオーに会釈した。のんびり挨拶する暇もなく、目の前の患者に【見診】を掛ける。
「今、外科の入院患者さんは五人です」
「どんな具合ですか?」
力なき民の男性看護師テモに案内され、診療所と衝立ひとつで隔てただけの病室へ入る。
「五人とも骨折で、一人は腿に深い刺し傷があります」
「刺し傷? 感染はありませんか?」
「受傷の翌朝から発熱して、腫れが酷くなりましたが、丁度、抗生物質の点滴が届いたので、今は落ち着いています」
患者は五十代の男性だ。
「畑仕事してたら、急に来た猪に牙でやられたんです」
「それは災難でしたね」
「自警団が仕留めてくれましたけど、腰の骨は折れるし、散々ですよ」
「肉は美味かったけどな」
隣の寝台から笑いを含んだ声が掛かる。
年配の患者が、隣の若い患者に顎をしゃくった。
「そっちの人は自警団で、その時にアバラと足の骨をやられたんです」
呪医セプテントリオーは頷き、患者の手を握って【見診】を掛ける。右腿の傷は、未だに深さ、太さ共に親指程もあった。
傷が深過ぎ、【癒しの風】は適応外だ。
「いやまぁ、アレですよ。何せものスゴい血が出たんで、ここの呪医が居なかったら、その日の内に死んでたかも知れないし、毎晩、痛み止めの魔法を掛けてくれるんで、夜はよく眠れて大助かりですけどね」
「ここのプーフ呪医が、その後も少しずつ治療を継続していますが、何せ傷が深くて、傷薬も足りないので……」
看護師テモが、寝台の柵に括りつけられたクリップボードを示す。
受傷当日、腿は【止血】後に【操水】で傷薬を刺傷の奥へ流し込んで【薬即】を掛け、骨盤骨折はズレを整復し、テーピングで固定したとある。
その後も今日まで、傷薬が手に入る度に治療を重ね、人手、物資、薬、全て足りない状況で、可能な限りの処置がきちんと為してあった。
「初期の治療がきちんとされていますので、今からでもキレイに治せますよ」
「ホントですか?」
「えぇ。まずは腿の刺し傷から癒しますね」
呪医セプテントリオーが言うと、看護師テモが寝具を捲った。患者は上が寝間着で下は下着姿だ。右腿には包帯がきちんと巻いてある。
テモが手際よく解く間、呪医セプテントリオーは持参した【無尽の瓶】から【操水】で水を起ち上げ、加熱殺菌して冷却した。
病床の患者たちが、何人も半身を起こして治療を見守る。
猪の牙で突き上げられ、斜めに抉れた傷が露わになる。
セプテントリオーは【癒しの水】を唱えた。
「血は血に 肉は肉に 骨は骨に あるべき姿に立ち返れ
損なわれし身の内も外も やさしき水巡る
生命の水脈を全き道に あるべき姿に立ち返れ」
滅菌処理済みの水が、生き物のようにうねり、刺傷の奥へ侵入する。魔力を帯びた水と接触した箇所から順に再生が始まった。回復した部位から水がじわじわ押し返される。
すっかり傷が塞がり、追い出された水が宙を漂う。再度、滅菌処理して【無尽の瓶】に収めた。
患者の顔がみるみる明るくなる。
「呪医、有難うございます!」
「まだ、これから腰の骨を治しますし、あなたは失血が多く、術による治療で身体に掛かる負担も大きいので、明後日までは入院して安静にして下さいね」
「後で、完治後の療養病棟に移動してもらいます」
看護師テモが言った途端、患者は置き去りにされた子供のような顔になった。
「看護師は交代で常駐しますし、日中はパテンス神殿信徒会の方々も居ま」
「急患ー!」
「急患です!」
緊迫した声で、空気が凍りついた。




