表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
すべて ひとしい ひとつの花  作者: 髙津 央
第九章 行く

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

180/3504

0180.老人を見舞う

 「はいはい、おじいさん、今日はね、近所の娘さんが遊びに来てくれましたよ」

 老婆が朗らかに声を掛け、寝室の戸を開ける。

 むっとする臭気が廊下に流れ出た。


 薄暗い部屋に入り、老婆がカーテンを開ける。

 「ちょっと耳が遠いから、返事はないかもしれないけど、まぁ、何か言ってやってちょうだいな」

 そう促され、アミエーラは老人の枕元へ行って遠慮がちに声を掛けた。


 「おはようございます。あの……奥さんに、大変お世話になって……」

 「お世話だなんてそんな、遠慮しないで。ウチも久し振りのお客さんで、ありがたいんだからね」

 老婆は笑って廊下へ出た。


 「今日のお昼はみんなで食べましょうね。ごはんまでお喋りして待っててちょうだいな」

 返事も待たず戸を閉める。

 アミエーラは、いきなり初対面の老人と二人きりにされて戸惑った。

 「あ、あの……」

 老婆は、戸も開けずに小声で何事かぼそぼそ言うと行ってしまった。


 「えーっと……空気、入れ替えた方が身体にいいらしいんで、ちょっと寒いですけど、開けますね?」

 アミエーラは、できるだけ明るく老人に声を掛け、窓を開けた。

 老人は頭まで布団を被って返事がない。


 ……寒いから、その方がいいかな?


 朝の冷たい空気が室内に籠った臭気を吹き払う。

 ずっと寝たきりでも、老婆はアミエーラにしてくれたように【操水】の術で身体を洗う筈だ。

 ならば、この()えた臭いは老人の体臭だろうか。


 ……どこか化膿してるのかな?


 アミエーラは窓辺に立ったまま声を掛けてみた。

 「おじいさん、お加減、いかがですか?」

 返事はない。


 ……まだ寝てるのかな? 無理に起こさない方がいいよね。


 盛り上がった布団が動いた。

 起きていたのかと口を開きかけ、アミエーラは息を呑んだ。

 布団の隙間から巨大な脚が突き出る。昆虫に似た脚は、アミエーラの腕と同じくらいの太さだ。


 老人がベッドに身を起こす。

 布団がはがれ、上半身が(あら)わになった。

 首から下は芋虫だ。裸の体側(たいそく)には、成虫の脚が多数、生えて(うごめ)く。

 こちらを向いた顔は干からび、明らかに生者のものではなかった。


 何故こんなことになったのかは、わからない。だが、老夫婦の息子たちが去った本当の理由は、わかった。


 ……逃げなくちゃ……逃げなくちゃ……!


 アミエーラと戸の間には、ベッドがある。

 胴が芋虫だからか、老人の動きは緩慢だ。

 外から冷たい風が吹き込み、アミエーラは振り向いた。窓枠によじ登り、両足を外へ投げ出す。


 ドサッ


 背後の音に身を(すく)ませ、肩越しに部屋を見る。

 老人の上半身が()じれ、仰向きにベッドから落ちていた。虫の多脚が上体を起こそうと、カサカサ宙を掻いてもがく。

 長い胴はだらりと伸び、下半身はまだ布団に収まる。


 アミエーラは声もなく、窓枠から身を(おど)らせた。

 一階とは言え、腰より高い位置から飛び降りたせいで、足の裏がじんわり痺れ、折れた腕に響く。痛みになど構っていられず、もつれる足を叱咤(しった)し、一歩踏み出した。


 ……あッ、お手紙……!


 荷物を回収しなくては、ここから逃げてもすぐ野垂れ死にしてしまう。

 先程の廊下の道順を思い出しながら、壁伝いに足を進めた。


 老婆に助けてくれた礼を言うことも恩返しすることもできない。

 ただ、この場から逃れたかった。



 恐怖に全身が(すく)み、泥の中を行くような足取りで、開いた窓の下に何とか辿り着く。少し背伸びして中を覗くと、無人の部屋にアミエーラの荷物がそのまま置いてあった。

 ここまで来たものの、途方に暮れる。

 床を少し高く作ってあり、外からでは窓に登れそうもない。


 ……玄関……ダメ。お婆さんに見つかっちゃう。


 それに魔法で鍵を掛けてあるかもしれない。

 急いで見回す。庭の隅に物置小屋があった。

 足音を忍ばせ、そっと戸を開ける。古ぼけた踏み台を見つけた。

 痛む腕で踏み台を抱え、掛け足で窓の下に戻る。


 踏み台に乗って右腕を窓枠に掛け、精一杯背伸びして左足を上げる。無理な姿勢だが、左腕が折れていては仕方がない。

 渾身(こんしん)の力を振り絞り、身体を持ち上げた。

 何とか窓枠に上半身を乗せ、腹這いになる。体重の移動を使って室内に降りた。


 思わず、大きな息が漏れる。


 ぐずぐずしては居られない。

 椅子の背に掛けられたコートを身に着け、リュックを手に取る。先に荷物を降ろし、老人の部屋から出たのと同じ要領で自身を降ろした。

 荷物を拾おうと腰を屈めた時、視界の端で何かが動いた。

 恐る恐る、そちらへ顔を向ける。


 老人が、窓から身を乗り出すのが見えた。

 踏み台を片付けるどころではない。アミエーラは荷物を掴み、弾かれたように駆け出した。

 門の(かんぬき)を外し、脇目も振らず、力の限り農道を走る。


 麦畑の間にまっすぐ伸びた道は、どこまでも続く。見渡す限り人の姿はない。

 隣家は遙かに遠く、病み上がりの身に荷物の重さが(こた)えた。だが、足を止める訳には行かない。



 アミエーラは、老婆が昼食の用意を終え、追い掛けて来る前に出来る限りこの村を離れたかった。

☆老婆はアミエーラにしてくれたように【操水】の術で身体を洗う……「0160.見知らぬ部屋」参照

☆お手紙……「0091.魔除けの護符」参照

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
野茨の環シリーズ 設定資料
シリーズ共通設定の用語解説から「すべて ひとしい ひとつの花」関連の部分を抜粋。
用語解説01.基本☆人種など、この世界の基本
用語解説02.魔物魔物の種類など
用語解説05.魔法☆この世界での魔法の仕組みなど
用語解説06.組合魔法使いの互助組織の説明
用語解説07.学派【思考する梟】など、術の系統の説明
用語解説15.呪歌魔法の歌の仕組みなど
用語解説11.呪符呪符の説明など
用語解説10.薬品魔法薬の説明など
用語解説08.道具道具の説明など
用語解説09.武具武具の説明など
用語解説12.地方 ラキュス湖☆ラキュス湖周辺の地理など
用語解説13.地方 ラキュス湖南 印暦2191年☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の地図と説明
用語解説19.地方 ラキュス湖南 都市☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の都市と説明
地名の確認はここが便利
用語解説14.地方 ラキュス湖南 地理☆湖南地方の宗教や科学技術など
用語解説18.国々 アルトン・ガザ大陸☆アルトン・ガザ大陸の歴史など
用語解説20.宗教 フラクシヌス教ラキュス湖地方の土着宗教の説明。
用語解説21.宗教 キルクルス教世界中で信仰されるキルクルス教の説明。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ