0018.警察署の状態
ソルニャーク隊長が命令を下した直後に、水壁が低くなった。
突入しようと身構えた隊員たちが、動きを止めて天井付近に注目する。
「……銃を水に捨ててくれないか?」
湖の民の呪医の呼び掛けに、星の道義勇兵たちは、皮肉な笑みを浮かべた。
銃を捨てなければ、どうするのかは言わない。
聞き覚えのある声に、年配の兵が壁の向こうを凝視する。
多少低くなっても水の濁りは変わらない。コンクリ壁の中を瓦礫が流れているような、悪夢と変わらない状況だ。
武装蜂起した以上、目的を達するまで止まることはできない。
……もう、コトは動いちまったんだ。俺たちだけが投降したって、今更なんも止めらんねぇよ。
別の三隊は隣の警察署を襲撃した。
呪文を唱えるより、引き金を引く方が早い。
弾を防げる強固な【鎧】を常時発動できる魔力の強い者は、警察ではなく軍に配属される。
警官が病院を助けに来ないと言うことは、そちらでは義勇軍が勝ったのだ。警察署は今頃、血の海だろう。武器と物資を奪っている筈だ。その内、こちらに合流するだろう。
「従わなければ、どうする気だ?」
ソルニャーク隊長が、壁の向こうへ問いを投げ返す。
そこまでは考えていなかったのか、答えはなかった。代わりに、耳慣れない言語で何か呟く。それが、魔法を行使する「力ある言葉」だと年配の義勇兵に教えられたのは、この作戦が始まる直前だった。
水壁がぐにゃりと曲がる。
水中の灰が、渦を巻いて隅に寄る。瓦礫も同じ方向に流れ、診察室の隅に吐き出された。その上に排出され、降り積もる灰が見る間に山を成す。
壁の色が薄くなり、向こう側が透けて見えた。
青白い光が、差し込む。
壁の前に立つ者は二人。
呪医と葬儀屋だ。湖の民は二人とも疲労の色が濃い。
水の濁りがなくなり、彼我を隔てる壁が澄んだ。
「警察に突き出すのか?」
ソルニャーク隊長が、重ねて聞いた。
魔法使い二人も、警察署の状態を薄々察したのか、それには答えない。星の道義勇兵の顔を順繰りに見た。
「警察も、今頃は別働隊がやってる筈だ」
元トラック運転手のメドヴェージが言った。
誰も弾切れの銃を離さない。
呪文を唱える前に殴れば、勝ち目があるかもしれない。
……水で押し流されたって、せめて一発喰らわしてぇ。
義勇兵の一人が唇を噛む。
「どうあっても、戦うのか?」
呪医が溜め息混じりに声を出した。誰も答えない。
葬儀屋が少年兵に目を留める。
「こんな子供まで引っぱり出して来たのか」
「俺は、無理に戦わされてンじゃねぇ。自分で考えてここに居るんだ!」
少年兵モーフが即答した。
「君は、先の内戦を知らないだろう。折角、平和な時代に生まれたのに、何故、こんな……」
「平和? あんたはリストヴァーに来たコトねぇからそんなコト言えるんだ!」
緑髪の呪医の声を遮り、少年兵が叫んだ。
「俺たちの生活がどんなに惨めか、知らねぇだろッ!」
「確かに知らんな」
葬儀屋が、それがどうした、と言いたげに応じた。
少年兵が更に語気を荒げる。
「頑張って働いても、安く買い叩かれて給金は雀の涙! みんな貧乏で、水も買えない奴は、濁ってしょっぱい泥水を飲むしかない。それで病気になっても、医者に掛かれなくて野垂れ死ぬんだ」
「平均寿命が短いことなら、知っている。常命人種しかいない地区だから……だと……」
呪医の声が震え、水壁が揺らぐ。
義勇兵の顔に怒りが漲る。
「どんなに一生懸命頑張っても、ずっと貧乏から抜け出せねぇ」
「呪医、あんたは昔、俺を助けてくれたが、女房子供は、俺がここで入院してる間に死んじまったよ」
元トラック運転手のメドヴェージが、淡々と身の上を語った。
呪医の動揺が、水壁を大きく揺らす。
「呪医、俺たちが何で貧乏か、知ってるか?」
あの日より老いて髪に白い物が混じる義勇兵が、命の恩人に疑問を投げる。
あの日と変わらぬ若さの呪医は、かすかに首を横に振った。
「あんたらが、俺たちを『力なき民』呼ばわりして、家畜扱いするからだよ」
「違う。そんなことは……」
「違わねぇな。俺らの街は、まだ復興してねぇ」
元運転手は、恩人の言葉をみなまで言わせず、淡々と続けた。




