1755.総領筋の事情
「昨日、旧直轄領を出たばかりで、今日はマチャジーナ市のずっと東にある旧街道の休憩所に停めてるんだ」
「シェラタン当主の村は、通らなかったのですか?」
呪医セプテントリオーがふと気になり、クルィーロに聞くと、移動放送局の三人は難しい顔になった。
クルィーロ、エランティス、ラゾールニクが素早く視線を交わす。呪医に向き直り、口を開いたのはラゾールニクだ。
「当主の村にも寄ったんだけど、すっげー塩対応だったから、すぐ出たよ」
「クーデターのすぐ後、車で避難する途中で、野菜や干してる魚を盗ってく人が何人も居たらしくて、他所者の陸の民ってだけで、凄く警戒されました」
「そんな……」
呪医セプテントリオーは、食卓で拳を握るクルィーロに掛ける言葉が見当たらなかった。
ラゾールニクが軽い調子で流す。
「一応、村には入れたし、話もちょっとだけ聞いてくれたけどね」
「困ってるんなら、一言言ってくれれば分けてあげたのに畑を踏み荒らして行ったのが許せないって、怒ってました」
エランティスは溜め息と共に目を伏せた。
暗く沈みかけた空気をラゾールニクが破る。
「村に一晩泊めてくれたし、当主の養子と神官は、神殿でゆっくり話してくれたし、あっち行けシッシみたいな扱いはされてないから大丈夫」
「当主の養子……ですか?」
……内乱中、孤児になった遠縁の子を当主が引き取ったと聞いたような?
セプテントリオーは咄嗟に人物を思い出せなかった。
呼称や、当主に対する元の続柄などは忘却の彼方だ。そもそも、当時そこまで詳しく聞いたかさえ定かでない。
クルィーロがタブレット端末をつついて補う。
「カク・シディ様って言う、見た目割と若い男の人で、シェラタン当主の従妹の息子さんだそうです。内乱中にご両親が亡くなって、当主に引き取られたって言ってました」
内乱中は葬儀が相次いだ。誰の分に参列し、誰の時に行けなかったか、全くわからない。
混乱の中で負傷者の治療に追われ、当時の記憶は曖昧だ。
セプテントリオーの実家も、その頃暮らしたクルブニーカ市の自宅も、キルクルス教徒による爆撃などで焼失し、手元には記録がひとつも残らなかった。
「シェラタン当主と同じ【贄刺す百舌】学派だけど、村人からはちょっと軽く見られてるカンジだったな」
「継承順位が元のままだからかな?」
ラゾールニクとクルィーロが、追加情報を出したが、思い出せない。焦れば焦る程、靄の懸った記憶は遠ざかった。
「ラキュス・ネーニア家の継承順位ってどうなってるんですか?」
ファーキルが、興味深々で聞く。
「呪医、知ってる?」
「えッ?」
ラゾールニクに話を振られ、ギョッとしたが、旧王国時代に軍医だった身で知らないのは却って不自然だ。
「私が知っているのは旧王国時代……先代当主の頃までですから、民主化後、変更があったとしてもわかりませんよ」
「昔ので大丈夫です。参考に教えて下さい」
「旧王国時代の基準でゆくと、シェラタン当主が再婚なさってお子さんが産まれれば、その子が継承順位第一位です」
「えッ? 結婚してたんですか?」
黒髪の歌姫アルキオーネが驚き、歌手の少女たちと針子のアミエーラ、サロートカも色めき立つ。
「半世紀の内乱中、御夫君とお子様は意見が対立し、それぞれ別の場所で亡くなられたそうです」
「うむ。当時の新聞にも、父子の確執と死亡記事が大きく載っておった」
ラクエウス議員が遠い目をして食後のお茶を啜る。
呪医セプテントリオーの前に置かれた料理はすっかり冷めてしまったが、話を続ける。
「湖の女神パニセア・ユニ・フローラ様とラクテア様は姉妹なので、女性の方が継承順位が上になります」
「兄より妹が上になるってコトですか?」
ファーキルの確認に頷く。
「姉妹は産まれた順ですが、兄弟は姉妹より後になります」
「シェラタン様って、島守以外に兄弟姉妹って……」
ファーキルが次々と質問を繰り出す。
「確か、他のご兄弟姉妹は、みなさん亡くなられた筈です」
「内乱後、十年くらい……でしたか。妹さんの国葬が行われました。その方の娘さん……シェラタン当主の姪にあたるボリス様が、継承順位第二位に繰り上がりました」
ベテラン政治家のアサコール党首は、岩山の神スツラーシを信仰するが、湖の女神の血に連なるラキュス・ネーニア家の事情にも通じるらしい。
「その人は無事なんですか?」
「わかりません。ボリス様は開戦前まで、建設省の官僚でした。クーデターの戦闘に巻き込まれなければ、ご存命の可能性があると思いますが」
「ボリス様はご無事だそうですよ」
食卓を囲む者たちの視線が、クルィーロに集まった。
「カク・シディ様と神官の話だと、半世紀の内乱からの復興事業を担当してて、今はレーチカ臨時政府でそっち系の仕事を続けてるみたいなコト言ってましたよ」
「それは……シェラタン様の身に万一があれば、臨時政府は今以上に正統性を主張するようになるでしょうね」
「解放軍が、ボリス様の身柄を押さえる可能性も考えられますな」
アサコール党首とラクエウス議員が、険しい顔で額を寄せ合う。
だが、アミトスチグマ王国に身を寄せる亡命議員たちには、最悪の想定ができても、本国でふたつに分かれた権力の中枢には、手も足も出せなかった。
……シェラタン様が王都の大神殿に身を隠し続ける限り、どちらの陣営も迂闊な真似はできない筈だ。
王都の秦皮を動員した件で、所在に気付いた可能性はあるが、両陣営に目立った動きはない。
ファーキルが話を戻した。
「ボリス様の次はどなたですか?」
「マガン・サドウィス様ですが、島守を交代しない限り、ご子息のレーグルス様が繰り上がります」
セプテントリオーが答えると、ファーキルは端末をつついた。
「政府軍に居る人なんですね?」
「どこで何してるかわかんないけど【飛翔する梟】学派の呪医だから、生きてたら、どっかの基地の病院に居るんじゃない?」
ラゾールニクは軽く言ったが、食卓を囲む者たちに確かめる術はなかった。




