1754.高血圧の対策
呪医セプテントリオーは日没直前、難民キャンプの診療所から夏の都へ【跳躍】した。防壁内に設置された【跳躍】許可地点伝いに移動を繰り返す。
順番待ちの間、道行く人々を観察する。針子のサロートカに教えられて以来、力なき民の服装に注意を払うようになった。
今日はやや暑いらしい。
力なき民は、難民キャンプでも夏の都でも、半袖姿の者が増えた。
……すっかり遅くなってしまったな。
夏至はまだ先だが、日が長くなり、それだけ長く診られるようになった。
支援者マリャーナ宅に着いたのは夕飯の最中だ。
「あれっ?」
「あ、呪医、お久し振りです」
意外な顔に言葉が続かない。パン屋の娘エランティスは、しばらく会わない間に大人びた挨拶をするようになった。
呪医セプテントリオーは、食卓にレノ店長の姿を捜したが、今日の客人は、彼女の他、クルィーロとラゾールニクだけらしい。
「お久し振りです。店長さんたちもお元気ですか?」
「はい。あ、でも、アビエースさんが血圧高くて大変ってアウェッラーナさんが言ってました」
「えっ? お兄さんが? そんなに悪いのですか?」
これには、クルィーロが答えた。
「血圧計買って来て測ったら、百八十……幾つとかって」
「えぇッ?」
呪医セプテントリオーとアサコール党首の驚きが重なった。
「ついでに父さんとジョールチさん、アゴーニさんも測ってもらったら、三人とも百四十台から百五十台で、ちょっと高めなのがわかって」
「えッ……!」
「それで、アウェッラーナさんが、レノたちに魚料理は干物の塩抜きをしっかりして、味付けも塩分少なめでって言って、計量スプーンも買って来ました」
「今まで、魔物除けとして塩漬けした干物、そのまま使ってたもんね」
エランティスが小さく肩を竦める。
「それに、車中泊してみてわかったけど、結構キツいし、行く先々で色々ストレスあるし、そりゃ血圧も上がるよなって」
ラゾールニクに言われ、呪医セプテントリオーもトラックの荷台で過ごした日々を思い出した。
荷物が多く、長椅子と木箱の上に寝具を乗せて雑魚寝だ。一人は奥の係員室で寝られるが、そこも狭い。
運転手のメドヴェージは毎晩、運転席で眠り、助手席には、日替わりで見張りが座った。運転台の二人以外は一応、足を伸ばして寝られたが、熟睡し難い状態だ。
セプテントリオーは味に無頓着で、毒でないなら何でも食べられる。言われて思い返せば、移動放送局のトラックで食べたスープも焼魚も、塩気が強かった気がして来た。
外科領域の【青き片翼】学派で専門外とは言え、寝食を共にする仲間の健康状態に気を回せなかった迂闊さに後悔が押し寄せる。
……アウェッラーナさんはもっと……!
「それで、アウェッラーナさんが血圧下げる魔法薬作って、アビエースさんの治療を始めたとこです。父さんたちは毎朝、血圧測って国民健康体操して、しばらく様子見て、その時の状態を見て考えるって言ってました」
「体操はみんなでしてるの」
「運動不足もよくないそうですからね」
食べ終えたマリャーナが口許を拭いながら頷く。
「今まで、放送のない日は体操しなかったし、父さんたちはアンテナを交代で支えるから、放送の時も体操しなかったし、やっぱ、それもあるんでしょうね」
呪医セプテントリオーと亡命議員たちは毎日、【跳躍】許可地点までは徒歩だ。
議員たちは、難民キャンプでの聞き取りや現地調査でそれなりの距離を歩く。高齢のラクエウス議員も、大使館へしばしば足を運んだ。
移動放送局のトラックで暮らす者たちも、都市に滞在する間は、情報収集などで歩くことが多かったが、旧直轄領の村ではそれがなさそうだ。
クラピーフニク議員が思い出したように言う。
「難民キャンプでも、元々高血圧だった患者さんが薬不足で悪化しています」
「運動不足は、畑仕事があるから、そうでもないようですが」
アサコール党首も難しい顔になる。
「保存食は塩気が濃いですからね」
薬の購入費用を調達するファーキルが、顔を曇らせた。
食料は一応、現地調達できるようになってきたが、充分養える規模には程遠い。
「それで、難民キャンプの【白き片翼】学派の呪医が、優先的に調達して欲しい魔法薬の一覧を作ってくれました」
「あぁ、昨日のアレですか?」
クラピーフニク議員が言うと、ファーキル少年は食べ終えた食器が下げられた食卓にタブレット端末を置いた。
「クルィーロさんとラゾールニクさんにも送りますね」
「了解。もし、アウェッラーナさんが作った分、余りが出たら難民キャンプに回せないか聞いてみるよ」
クルィーロが請合うと、ファーキルは少し考えて言った。
「余裕があったらでいいんですけど、手間賃や材料費は払うんで、作ってもらえないか、聞いてもらえませんか?」
「いいよ。今はアビエースさん用の薬でちょっと忙しそうだけど、聞くだけ聞いてみるよ」
「勿論、無理にとは言えませんし、こっちで調達できる素材は用意してお渡しします」
「旧直轄領の村で籠作りの報酬にって、食べ物たくさんもらって当分、行商しなくてよさそうだから、アビエースさんがよくなったら、作ってくれるんじゃないかな?」
「私たちもお手伝いできることはするし」
クルィーロとエランティスは明るい声で言うが、まだどうなるかわからない。
「今、どの辺に居るんですか?」
アミエーラが話題を変えた。
☆針子のサロートカに教えられて……「739.医薬品もなく」参照
☆血圧計買って……「1678.電子式血圧計」「1679.治療方針の差」→「1723.機器を買いに」~「1725.人口増と経済」参照
☆魔物除けとして塩漬けした干物……「320.バーベキュー」「1251.感染者を隔離」参照
☆トラックの荷台で過ごした日々……「1058.ワクチン不足」~「1472.別行動の報告」参照
☆父さんたちはアンテナを交代で支える……「785.似たような詞」「819.地方ニュース」「885.公開生放送中」「1046.再放送の反応」「1457.手持ち無沙汰」参照
☆旧直轄領の村で籠作り……「1631.初めての注文」「1632.太い蔓草採取」参照




