1749.自警団の戦い
現れた鮮紅の飛蛇は、槍よりやや長く、太さは男性の腕程もある。
自警団員たちの槍で地面に刺し留められても、尾が激しくのたうつ。
……これが、クルィーロさんたちが襲われたって言う魔獣。
一刻も早くこの場を離れたいのに足が動かず、声も出ない。アミエーラは、羽の生えた蛇型の魔獣から視線を外すことすらできなかった。
「撓らう灼熱の御手以て、焼き祓え、祓い清めよ。
大逵より来たる水の御手、洗い清めよ、祓い清めよ……」
力ある民の自警団員が、何度も【退魔】の呪文を唱えるが、場の穢れを祓うだけで、魔獣を直接どうにかできる術ではない。
血の臭いに惹かれた雑妖が、昼なお暗い森から滲み出る。だが、【退魔】と初夏の陽光に阻まれ、影伝いに這い寄れず、森の暗がりに留まる。
「お、お姉ちゃん、お姉ちゃんも力ある民だよねッ?」
袖を引かれ、ギョッとして振り向く。先程の兄弟もまだ居た。弟の足が目に見えて震える。男子小学生は再びアミエーラの袖を引いた。
「お姉ちゃん、アレ、魔法で何とかならない?」
「ごめんなさい。私、まだ【編む葦切】も【歌う鷦鷯】も見習いで全然」
「じゃあ【魔除け】は? 色んな学派にあるよね? できるヤツない?」
「えッ? でも、あれは……」
兄の方にも縋るような目を向けられ、アミエーラは自分の無力が情けなくなって続きを飲み込んだ。
「あの槍、職人さんが空缶で刃作って【魔除け】と【魔力の水晶】も仕込んでるんだ」
「えッ?」
アミエーラは、魔獣を押え込む自警団員たちを見た。
何本もの槍で貫かれても、赤い蛇はまだ動きを止めない。
力を入れて踏ん張る何人もの足の間から血に塗れた穂先が見えたが、【魔除け】の輝きはわからなかった。
「あんなおっきいの、普通の武器だけじゃ、なかなか倒せないから」
「魔法で手伝って下さい!」
「えっ……戦いの魔法じゃなくて【魔除け】でもいいのね?」
「ちょっとは弱るから!」
力なき民の兄弟がもどかしげに叫ぶ。
何度も刺繍して、呪文は覚えられた。だが、まだ自分の口で唱えて発動させたことがなく、自信がない。
「何してるの! もっと奥へ逃げて!」
アルキオーネが、三軒向こうの小屋の影で叫び、区画の中心地を指差す。【歌う鷦鷯】学派のオラトリックスは、道の板に立って【退魔】を唱える。
……あッ! この服!
アミエーラは少年に掴まれた袖の刺繍を見た。呪具があれば、力ある言葉の発音が少しくらいあやふやでも、術は発動する。今朝、アルキオーネに自分で説明したばかりだ。
アミエーラは背筋を伸ばし、魔獣と戦う自警団に向き直った。
ひとつ、大きく息を吸い、謳うように力ある言葉を発声する。
「日月星蒼穹巡り、虚ろなる闇の澱みも遍く照らす。
日月星、生けるもの皆、天仰ぎ、現世の理、汝を守る」
自分で思った以上に大きな声が出た。
これを訳せば、キルクルス教の祈りの詞と同じになる。今は呪歌と詠唱の感覚を重ね、声に魔力を乗せた。
アミエーラを中心に真珠色の淡い光が広がる。
光は小屋の間を抜け、板敷きの道を駆け、戦いの場に届いた。
この世の生き物なら、とっくに絶命する傷だが、魔獣の抵抗は変わらない。自警団の額に汗が滲む。
オラトリックスは、アミエーラがまだ使えない呪文を繰り返す。
「撓らう灼熱の御手以て、焼き祓え、祓い清めよ。
大逵より来たる水の御手、洗い清めよ、祓い清めよ。
日々に降り積み、心に澱む塵芥、薙ぎ祓え、祓い清めよ。
夜々に降り積み、巷に澱む塵芥、洗い清めよ祓い清めよ。
太虚を往く風よ、日輪翳らす雲を薙ぎ、月を翳らす靄を祓え」
アミエーラも一歩前へ出て、再び【魔除け】を唱える。
詠唱を終える度に一歩進み、終に第二十九区画最外周の道に出た。
板に片足を乗せ、何度目かの【魔除け】を唱える。足下からも光が広がり、輝きが増した。
失血のせいかもしれないが、尾の動きが鈍くなった。
アミエーラは魔獣に近付き過ぎたと気付いた途端、足が動かなくなった。魔獣の生命力を目の当たりにして、喉がヒリつく。唾を飲み込もうとしたが、乾いた舌が動いただけだ。
「怪我はないかー!」
「退がってー!」
「職人さん来たぞー!」
後ろから何人もの声と足音が近付くが、アミエーラは、槍で刺し貫かれたまま蠢き続ける鮮紅の飛蛇から視線を外せなかった。
「優しき水よ、我が声に我が意に依り、起ち上がれ……」
女性の声に従い、一条の水が宙を走った。
槍のように伸びた水塊の先端で何かが光る。気付いた自警団員たちが、槍で魔獣を押えながら左右に分かれた。
水塊の先端が、蛇体と蝙蝠のような皮膜の境に刺さる。
肉が弾け、魔獣が両断された。尾が居眠りから叩き起こされたように激しく跳ね回り、血を撒き散らす。
頭側は動きを止め、槍の下で灰になった。獲物を失った槍が、しぶとく動く残りを貫く。
女性が再び【操水】を唱えた。水塊が魔獣の傍に落ちた何かを包んで戻る。
「あなた、ちょっとこれ持ってくれる?」
「えッ?」
徽章を提げた女性に差し出されたのは、銀の矢だ。鏃に刻まれた呪印には見覚えがある。
「これ、【祓魔の矢】よ。あなたの方が魔力強いみたいだから」
「は、はい。あの、女の人も自警団、するんですね?」
冷たい矢を握って聞くと、黒髪の女性はニヤリと笑った。
「違うわよ。私は【編む葦切】学派で戦いの素人だし、【操水】を使っても動いてる的に当てるなんて無理だもの」
「えっ? でも、さっき」
アミエーラの手の中で、銀の矢が魔力を帯びて輝く。
「ただでさえ忙しいのに自警団の仕事までできないし、私が死んだらみんなが困るのよ」
「あっ……」
「だから、取り押さえてから呼んでって言ってあるの。もういいわ。返して」
水塊が【祓魔の矢】を絡め取り、勢いよく魔獣の残りを射抜く。千切れた尾が跳ね上がり、宙で灰となって風に散る。残った胴はピクリとも動かなくなった。
「後始末は私がするから【道守り】の続きよろしく!」
「了解!」
「姐さん、有難う!」
「職人さんスッゲー!」
自警団員と兄弟が、散り散りに逃げた歌い手を集め、【道守り】を再開した。
☆クルィーロさんたちが襲われたって言う魔獣……「444.森に舞う魔獣」参照
☆今朝、アルキオーネに自分で説明……「1747.魔法と向合う」参照
☆キルクルス教の祈りの詞と同じ……「308.祈りの言葉を」参照
☆【祓魔の矢】……「533.身を守る手段」参照
※ あなたの方が魔力強いみたいだから……「0931.毒を食らわば」使用例「0933.魔弾の狙撃手」~「0934.突破された壁」参照




