1747.魔法と向合う
「えっ? くれるの? 私に?」
アルキオーネが、自分の顔を指差す。
針子のアミエーラは、こんなに動揺されるとは思わず、胃が重くなったが、言ってみた。
「私が練習で作ったから、まだ下手だけど、【編む葦切】学派の職人さんがちゃんと使えるから大丈夫って言ってくれたし、もし、イヤじゃなかったら、どうぞ」
「あー……下手とかそう言うんじゃなくて、私、魔力ないのにもらっちゃっていいの? 意味ないんじゃない? 誰かちゃんと使える人にあげた方がよくない?」
アルキオーネは、顔の前で両手を振って捲し立てた。
イヤなのか遠慮なのか、微妙なところだが、もう少し説明してみる。
「これは【守りの手袋】で、【魔力の水晶】を握って呪文を唱えたら、誰でも使えるの」
「魔力がなくても?」
「うん。ロークさんとファーキルさんも、同じのを持ってるわ」
「なんだ。使えるの。何の魔法?」
アルキオーネが拍子抜けした顔で聞き、アミエーラはホッとした。
「雑妖や弱い魔物から身を守れる【魔除け】の術。これが呪文」
力ある言葉とその発音、湖南語訳を並べて書いたメモを渡す。
日月星蒼穹巡り、虚ろなる闇の澱みも遍く照らす。
日月星、生けるもの皆、天仰ぎ、現世の理、汝を守る。
「結構……長い呪文なのね」
「呪歌の【道守り】よりずっと短いよ?」
渡した手袋は、甲に呪文と呪印を刺繍した左手だけだ。本体は革で、糸は魔力を蓄積する特別な染料で着色され、アミエーラが触れる間は、淡い真珠色の光を纏うが、手を離すとすぐ消えた。
「歌は別よ。これ、音程とか決まってないの?」
「音程? 楽譜はないわ。普通にこの通り言うだけ」
「普通にって、力ある言葉は発音が難しいじゃない」
アルキオーネが形のいい眉を下げて苦笑する。
「でも、【道守り】はちゃんとできてるし、これもすぐ使えるようになるんじゃない? 呪符や補助具があれば、発音がちょっとくらいあやふやでも発動するって言ってたもの」
「誰が言ってたの?」
「アウェッラーナさんと【編む葦切】学派の職人さんが、別々に」
「へぇー。そう言うものなの」
アルキオーネが、呪印の刺繍を指先でそっとなぞる。
「元々は、魔力はあっても作用力のない人用に開発されたものなんですって」
「作用力?」
「魔法を使う力。それがない人は、魔力があって、呪文をちゃんと唱えても、魔法の効果が顕現しないの」
「へぇー……そう言う人って力ある民? 力なき民?」
「えッ? ……わかんない」
予想外の質問をされ、アミエーラは戸惑った。
魔法の説明も、まだ職人の受け売りで、自分自身の知識として、きちんと理解して身につけられたワケではない。
「まぁいいわ。これ、今度、練習に付き合ってくれる?」
「勿論よ」
アルキオーネは、書き物机の抽斗にメモと手袋を片付けると、膨らんだリュックサックを肩に掛けた。
今日も難民キャンプに【道守り】の手伝いをしに行く。
アーテル共和国から飛び出したアイドルユニット“瞬く星っ娘”の四人は、アミトスチグマ王国を拠点に“平和の花束”として、歌手活動を再開した。
信仰に疑問を抱いて祖国を捨てた彼女らは、それぞれ違う方向から、キルクルス教と魔法の関係に向合う。
タイゲタは最近、呪符作りに興味を持って、インターネットで勉強を始めた。エレクトラとアステローペは、サロートカと一緒に星道の職人用の聖典を読み、司祭の衣や祭衣裳の刺繍を練習中だ。
サロートカと平和の花束の四人は、力なき民だが、アミエーラは力ある民だ。ここでは、魔力があっても除け者にされない。
だが、リストヴァー自治区では、市民病院で呪医の治療を受けただけで、星の標に穢れた不信心者として大勢が殺された。
自治区を外から眺めれば、理不尽さに気付けるが、中に居た頃は、殺されないよう、保身しか考えられなかった。
聖典にきちんと目を通して読み熟せば、星の標の主張が誤りだとわかるが、自治区に居た頃は、日々の暮らしに追われ、そんな余裕はなかった。
……今の自治区は、ちゃんと聖典を読める人、増えたよね?
支援者宅の長い純白の廊下を歩きながら考える。
報告書には、大人向けの識字教室が始まったと書いてあった。
リストヴァー自治区の失業率は依然として高く、楽観はできないが、以前より遙かにマシな暮らしを送れるようになったらしい。
東教区に住む貧困層の識字率が上がれば、経済も生活も底上げできる可能性が拓ける。仕事がない間、自宅で聖典に目を通し、静かに信仰と向き合えば、治安がよくなるかもしれない。
仕立屋のクフシーンカ店長が存命で、まだまだ元気に支援活動を行うとわかったのも嬉しかった。
……フィアールカさんに頼めば、連れて行ってくれるかもしれないけど。
万が一、他の誰かに姿を見られては厄介だ。
懐かしい人に会いたい思いを押し留めて前を向く。
「今日は、第二十九区画だけお願いね」
「一カ所だけでいいんですか?」
迎えに来た歌手オラトリックスに言われ、アルキオーネが疑わしげに聞く。
「最近、現地にお住まいの方の中にも、呪歌の歌い手が増えて来ましたからね」
「じゃあ、私たち、要らないんじゃない?」
「多い方が魔力を上乗せできて、それだけ、守りが堅固になりますからね」
ベテラン歌手は、若い歌姫のキツい物言いをさらりと躱して微笑んだ。
アミトスチグマ王国政府は、難民キャンプ用地として大森林を提供した。
ネモラリス難民の受容れを正式に表明した唯一の国で、行き場を与えられただけでも有難いとは思うが、魔物や魔獣と隣り合わせの生活は、神経をすり減らす。
アーテル軍の空襲や、首都クレーヴェルでのクーデターから逃れた者の多くは、自力で身を守れない力なき民だ。
「オラトリックスさん、アミエーラさん、アルキオーネさん、よろしくお願いします」
アーテル軍の空襲が鳴りを潜め、世間の関心が薄れるに従って、ボランティアは減ったが、それ以上に自力で何とかできるようになった難民が増えた。
……生き延びる力……か。
アミエーラたちは、呪歌の歌い手たちと握手を交わし、持参した薬を診療所に預けた。
☆【守りの手袋】/ロークさんとファーキルさんも、同じのを持ってる……ファーキル「0175.呪符屋の二人」「288.どの道を選ぶ」、ローク「283.トラック出発」参照
☆【道守り】……「804.歌う心の準備」「871.魔法の修行中」~「929.慕われた人物」参照
☆呪符や補助具があれば、発音がちょっとくらいあやふやでも発動する……「292.術を教える者」参照
☆そう言う人って力ある民? 力なき民?……「494.暇が恐ろしい」「890.かつての共存」参照
☆信仰に疑問を抱いて祖国を捨てた彼女ら……「429.諜報員に託す」「430.大混乱の動画」「515.アイドルたち」「517.PV案を出す」参照
☆市民病院で呪医の治療を受けただけで(中略)殺された……「859.自治区民の話」参照
☆大人向けの識字教室……「1577.大人への教育」「1578.炊事場の視察」「1585.識字教室の案」「1668.職人の後継者」「1717.摘まれる希望」参照




