0179.橋を渡る車輌
今日は、昼食までアウェッラーナが助手席に座る。
メドヴェージと二人きりでは流石に眠れないが、日中は工員の兄妹を一緒に居させたかった。
ダッシュボードの時計はまだ午前九時を少し回ったばかり。長い間レコードを聴いた気がしたが、ほんの一時間程のことだ。
メドヴェージが荷台を施錠し、トラックを発進させた。
荷台から子供らの歓声が上がる。だが、幾らも行かない内にブレーキが掛かって停車した。
「どうされました?」
「言うの忘れてた。降りてくれ」
「えっ?」
アウェッラーナが驚いて聞き返すと、メドヴェージは前方に視線を向けた。
ゼルノー市役所前のコンクリート橋だ。
その向こうには廃墟と化した街が続く。
「万が一ってこともあるだろ」
「万が一……?」
「みんなを降ろして、大事なモンだけ持って、先に渡ってくれ」
「えっ? あッ!」
アウェッラーナも気付いてメドヴェージを見る。
トラックの運転手は親指を立ててニッと笑った。
「あ、あの、じゃあ、シートベルトを外して、窓を全開にして下さい」
「おうっ。万が一の時は、よろしく頼むぜ」
アウェッラーナは助手席を降り、メドヴェージの指示を荷台のみんなに伝えた。
各自、自分の荷物と食糧などを持って出来る限り荷台を軽くする。
湖の民の薬師は、改めて橋を視た。
魔力が循環するのは分かるが、それがどの術に対してなのかまではわからない。
【巣懸ける懸巣】学派の建築家なら確認できるのだろうが、薬師アウェッラーナが主に修めたのは【思考する梟】学派で、土木や建築は専門外だ。
空襲後も、警察や避難車両が渡った筈だ。
それから一カ月近く経つ。その間、魔力が補充されず、橋を守る術の幾つかが失効した可能性があるのは、素人でもわかる。
冬とは言え、天気のいい朝だ。
橋の上で魔物に襲われることはなかろうが、その他の危険については心許ない。
「念の為、二、三人ずつで渡ろう」
ソルニャーク隊長が少年兵モーフと共に渡る。橋の下では、天然のニェフリート河が滔々と流れる。水に棲むのは魚だけではなかった。
二十メートルそこそこの距離だが、見守るアウェッラーナにはその十倍にも感じられた。
二人が無事、対岸に着くと、安堵の息が漏れた。
……少人数で渡る分には、問題なさそうね。
続いて、工員クルィーロとアマナ、パン屋の三兄妹、最後に薬師アウェッラーナと高校生のロークが渡った。肩に荷物が食い込むが、その分だけトラックは軽くなる。誰も何も言わず、道端に荷物を下ろして振り向いた。
メドヴェージがエンジンを始動する。
渡った九人は、道の両脇に分かれた。
「よぉーし。じゃあ、行くぞー」
窓から手を振り、宣言と同時にアクセルを踏み込む。
荷重が掛かり、橋が軋んだ。
車体の下からこれまで感じたことのない振動が伝わる。
メドヴェージは息を止め、更にアクセルを踏んだ。
……やっぱり……!
トラックの背後で水音が上がり、同時に子供らの悲鳴が上がる。
アウェッラーナは、早口に呪文を唱えた。
「優しき水よ、我が声に我が意に依り……」
メドヴェージは速度を緩めず、仲間の前を通過した。
アクセルから足を離し、ゆっくりブレーキを掛ける。百メートル以上進んで停車し、エンジンを切った。
仲間たちが荷物を置いたまま駆け寄る。
メドヴェージはトラックを降り、荷台を開けて待った。
追い付いた仲間の顔は様々だ。
興奮に頬が赤くなった者、ショックで青ざめる者、喜びに笑みを浮かべた者、安堵に涙を浮かべる者、橋を振り向き、顔を強張らせる者……
だが、最初に発した言葉は同じだ。
「よかった」
橋は、中央付近が崩落した。
引き返しても帰る家はない。
「おっし、じゃあ、荷物積んで、とっとと行くぞ」
メドヴェージが、無精髭の伸びた顎をさすって屈託なく笑い、出発を促した。
☆空襲後も、警察や避難車両が渡った筈……「0145.官庁街の道路」参照




