1745.民主化の欠点
レノは、シェラタン当主の養子カク・シディを窺った。
移動放送局プラエテルミッサのみんなは、女神の血を引くラキュス・ネーニア家の一員そっちのけで話をするが、当のカク・シディは静かに耳を傾ける。彼は、旧直轄領以外の地域をどのくらい知るのか。
クルィーロが、国営放送アナウンサーのジョールチに聞く。
「陸の民も湖の民も考え方は色々で、政党も色々あって、別に誰がどこ入ってもいいけど、さっき言ってたみたいな年齢層で政策が偏るとか、何か……えっと、他の偏り? ……みたいなのってどうなんですか?」
レノの幼馴染は考えを上手くまとめられなかったが、ジョールチは金色の眉の下にある青い瞳を見詰め、辛抱強く耳を傾けた。
「例えば、両輪の軸党は、信仰と職業組合が密接に結びついた政治団体です」
岩山の神スツラーシの信者は、鉱山労働者、林業従事者、狩人など山へ入る職種や、土木、建築、交通など安全祈願を強く求める業種に多い。
ネモラリス共和国では、鉱工業が盛んなカイラーやカーメンシク、ウーガリ山脈へ染料の素材採集へ行く者が多いアカーント、交通の要衝トポリやギアツィント、北ザカートなどの都市で篤く信仰される。
主な票の源は、職業組合と業界団体で、年齢層や人種、魔力の有無などの偏りは比較的少ない。
党員は、陸の民と湖の民が混在するが、全人口に対する割合は低く、国会の議席数は少ない。だが、スツラーシ神殿のある都市の幾つかでは、地方議会の過半数を占めた。
「両輪の軸党の地盤が厚い地方では、特定の業界団体に有利な条例が多く、公共工事なども、その産業が保護・優先される傾向があります」
「その街じゃ、それでメシ食ってる奴が多いんだろ? だったら別にいいんじゃねぇか?」
トラック運転手のメドヴェージが、何が問題なのかと首を捻る。
……安全第一の神様。メドヴェージさんが自治区民じゃなかったら、スツラーシ様の信者だったかもしれないんだよな。
「それ以外の業種にとって、不利な政策が実施される場合があります」
「あッ……」
幾つもの声が重なった。
ジョールチが畳みかける。
「議員の選出段階から、少数派の意見を汲み難い制度なのです」
「どう言うことでしょう?」
カク・シディが誰よりも早く質問した。
「国政選挙の場合、立候補者が一人しか出なければ、無投票で否応なく当選し、選択肢がありません。複数の立候補者が出た選挙区でも、当選できるのは唯一人。他の候補者に託された民意は、まずその段階で切り捨てられます」
「議会に反映されるのは、当選した候補者に投票した有権者の民意だけ……当然と言えば当然ですが、今まで気付きませんでした」
カク・シディが感情を抑えた声で言い、固く目を閉じた。
「勿論、誰がどの候補者に投票したかわかりませんし、落選候補に投票した有権者も、当選した議員を通して請願や陳情ができます」
「でも、そのやり方って、小学校から高校まで一回も習ってないんですけど……工業高校だから?」
「えッ? いや、普通科も別に……あー……社会の時間、チンジョーがどうのって話はチラッと出たけど、そう言うのがあるってだけで、詳しいやり方は教わった覚えがないな」
クルィーロにいきなり話を振られ、レノは焦ったが、すっかり遠くなった記憶をどうにか手繰り寄せられた。
「そう言えば、アウェッラーナさんたちはイーヴァ議員に陳情してましたけど、どんな風にしたんですか?」
ピナが聞くと、薬師アウェッラーナは、一緒に行ったソルニャーク隊長と困った顔を見合わせた。
「今は戦争中だし、イーヴァ議員も地元じゃなくて避難先だから、多分あれは正式な陳情じゃないと思うの」
「じゃあ、正式な方法って、どこで教えてもらえるんですか?」
ピナの問いに答えたのは、ジョールチだ。
「図書館で法令集を調べるか、議会事務所に問合せれば教えてもらえますよ。手続きに必要な書類も、議会事務所で交付されます」
「それって、平日の朝九時から夕方五時までですよね?」
「そうです」
「その時間に働いてる人は、わざわざお休みを取らなきゃいけないんですね?」
「そうなりますね。郵送でも可能ですが」
……して欲しくなさそうなやり難さだな。
レノは出掛かった言葉を飲み込んだ。
「簡単に言うと、請願は議員の紹介を通して、要望や困りごとなどを本会議で審議して議決してもらう手続きです。請願が採択されるか、不採択となるかは内容によります」
「じゃあ、陳情は?」
ジョールチが説明すると、ティスが聞いた。
「陳情は議員を通さず誰でもできますが、本会議ではなく、議会の委員会で審査します」
「しかし、投票も、請願や陳情も、無筆の人々には無理ですよね」
「旧直轄領では、内乱中も神殿などで授業を続け、住民はみなさん読み書きできます」
カク・シディの悲しげな声に続き、神官が付け足して移動放送局の面々を見回した。この中で読み書きが覚束ないのは、少年兵モーフ一人だ。勿論、顔を見ただけではわからない。
当主の養子カク・シディが重い息を吐く。
「以前、力なき陸の民は、就職や賃貸住宅の入居で差別されることがあると耳にしましたが、事実なのでしょうか?」
「残念ながら、そうです。私は辛うじて大学を卒業できましたので、それなりの職に就けましたが、半世紀の内乱で教育の機会を奪われた方々は、低賃金の単純労働以外、門前払いです」
今はその職を失ったパドールリクが答えると、カク・シディは緑の瞳に悲しみを湛え、小さく顎を引いた。
「行政から彼らに対して、何らかの支援はあるのでしょうか?」
「公営住宅には、低所得世帯が優先的に入居できますし、所得の上限も設けられております。全く無収入の世帯には、一定の生活扶助はありますが、予算の都合で充分とは言えません」
答えたジョールチの顔は暗い。
力ある民なら自前の魔力で何とかなる分、光熱費の負担は少ないが、力なき民はそうもゆかない。
「つまり……最も支援が必要な人々は、投票できないが故に政治家の関心から外れ、三十年もそんな状態で捨て置かれたのですね」
カク・シディが肩を落とす。
魔哮砲戦争によって、再びそんな層が拡大しつつあった。
☆さっき言ってたみたいな年齢層で政策が偏る……「1744.多数決に非ず」参照
☆両輪の軸党……「0272.宿舎での活動」参照
☆ウーガリ山脈へ染料の素材採集へ行く者が多いアカーント……「1353.染料の原材料」参照
☆他の候補者に託された民意は、まずその段階で切り捨て……「357.警備員の説得」「358.元はひとつの」参照
☆アウェッラーナさんたちはイーヴァ議員に陳情……「0975.ふたつの支部」「0976.議員への陳情」参照
☆力なき陸の民は、就職や賃貸住宅の入居で差別される
就職差別……「0107.市の中心街で」「723.殉教者を作る」参照
入居差別……「612.国外情報到達」「1467.会場での調査」「1540.欺かれた人々」参照




