1743.神政と民主制
ラクリマリスは半世紀の内乱後、神政復古を果たし、王国に戻った。
王国議会と地方議会を残し、一部に民主制を取り入れたが、最終的な決定権は王にある。議会の決定は王の一存で何とでもなるが、この三十年余り、国際ニュースになるような大きな問題の発生はないようだ。
「カク・シディ様は、ラキュス・ネーニア家の一族が、クリペウス政権側につくことを快く思し召しでないのですね?」
葬儀屋アゴーニがいつになく謙った口調で確認すると、シェラタン当主の養子は、唇を引き結んで首を縦に振った。
……えっ? あれっ?
島守マガン・サドウィスの一家が治める村や、これまでに訪れた旧直轄領の村々では、村人たちや村長など、一部の有力者には、神政復古に賛成する者も居た。
だが、シェラタン当主の意向は民主主義の堅持で、村の神殿は、従うように見えた。隣村の小中一貫校の校長は大人の説得を諦め、子供たちの民主主義教育に力を注ぐ。
島守マガン・サドウィスと、双子の息子サル・ウルとサル・ガズは、神政復古の急進派だ。双子は、隠れキルクルス教徒狩りの件で咎められ、現在は大人しいようだが、ネミュス解放軍で積極的に活動した。
「民主主義の観点だけから見れば、レーチカ臨時政府を正統な統治機構と看做すべきなのでしょう。しかし、今回の戦争で、彼らが民も我々も欺き、三十年余りに亘って魔法生物の兵器化を研究してきたことが明らかになりました」
「では、カク・シディ様は、魔哮砲の使用を継続するクリペウス政権も、アル・ジャディ将軍も容認できないのですね?」
国営放送アナウンサーのジョールチが確認すると、シェラタン当主の養子は苦しげな顔で頷いた。
「でも、神政復古したいワケではないのですよね?」
薬師アウェッラーナが恐る恐る聞く。
カク・シディは、簡単な自己紹介以外、一言も喋らなかった湖の民に視線を向けた。
「そうです。少なくとも私は、神政復古すべきではないと思います。しかし、クリペウス政権……いえ、一部の政治家と軍人の暴挙も容認できません。民主主義を謳いながら、民を欺くなどと……これでは一体、誰が国政を担えばいいか、わからなくなってきたのです」
自嘲。
ラキュス・ネーニア家の国民に対する影響力の低下。
旧直轄領内では、女神の末裔として崇められるが、外ではあまり話題にも上らなくなった。
現にネーニア島民のレノたちは、湖の女神パニセア・ユニ・フローラを信仰しても、その血を引くラキュス・ネーニア家について、殆ど何も知らなかった。
血筋と信仰は同じでも、半世紀の内乱では神政派と民主派に分かれて争い、たった今、少し聞いた話だけでも、大勢の身内が命を落としたとわかる。
目の前で話すカク・シディも、内乱で親しい身内をすべて亡くし、シェラタン当主に引き取られたと言う。当主の従妹たちが彼を引き取らなかったのは、内乱中の確執が尾を引くせいかもしれない。
……養子になっても、元の血筋の順位は固定なんだな。
レノは、カク・シディの微妙な立場を考えると、自分まで胃が痛くなってきた。
カク・シディは長命人種だが、民主化後に産まれた若い世代だからだろう。モーフとラゾールニクの無礼な物言いを苦笑交じりに受け流す。世が世なら、陸の民の庶民とこうして円卓を囲んで対等に話す機会など、まずない筈の身分だ。
……いや、でも、話に聞いた双子は、超上から目線っぽいよな。
「移動放送であっちこっち回って、色んな奴に会ったけどよ。神政がいいって奴も居りゃ、民主制がいいって奴も居たし、なんだかわかんねぇから選挙行かねぇって奴も大勢居た。内乱時代のゴタゴタで、字ぃ書けねぇ奴も居るときたもんだ」
運転手のメドヴェージが、誰にともなく言うと、クルィーロが頷いた。
「俺も、誰に投票すればいいかよくわかんないから、毎回テキトーに名前書いて出してた。一応、選挙公報は読んで、この人だけはナシだなって人は書かなかったけど」
「この人だけはイヤだと思った人が当選した回は、自分の感覚がおかしいのかと不安になりますよ」
老漁師アビエースも緑色の眉を下げてボヤく。
カク・シディが表情を和らげ、移動放送局プラエテルミッサのみんなを見回す。
「みなさんにも、わからないのですね」
「私は旧王国時代の産まれですがね、神政と民主制、どちらの時代の方がいいかなどと、決められるものではありません」
この中で最年長の葬儀屋アゴーニが改まった口調で言うと、みんなの目が五百年以上生きた長命人種に集まった。
「実体験に基づいて、それぞれの長所と短所を教えていただけませんか?」
アゴーニは、庶民相手に謙るカク・シディに淋しげな目を向けて語った。
神政の長所は、意思決定と実行の工程が少ない為、何かあった場合、迅速に対応できる点にある。
名君の場合は特に顕著だが、裏を返せば、民を食い物にする暗君が出現した際には、長所が短所となり、民の暮らしは一気に悪化する。
ラクリマリス王家との共同統治時代は、両家が牽制し合い、一方から暗君が出れば、もう一方がその者を退け、正しい治世を行える者に交代させた。
フラクシヌス教団の監視もあり、傀儡にしやすい愚昧な継承権者を為政者の座に据え難い体制があった。
暗愚な支配者を一人排除すれば事足りるのも、神政の長所と言えるだろう。
当時は、ラキュス・ネーニア家とラクリマリス王家、どちらか一方がラキュス・ラクリマリス王国全体を支配しようなどと言う発想自体がなかった。
湖の民はネモラリス島に多く、陸の民はアーテル地方とランテルナ島、ネーニア島に多いが、完全な住み分けではなく、両者は王国全土に散らばる。
人種だけでなく、信仰や魔力の有無など属性の異なる民が、モザイク状に分布する。
当時は、身体の仕組みがやや異なる湖の民と陸の民では、価値観や意見が合わないのは当たり前のことと受け止められた。
両者が互いの違いを認識し、排除せず共に暮らす。
それが実現できたのは、湖の民と陸の民、それぞれの強力な支配者が手を携え、どちらか一方が優位に立つことなく、平等に統治したからだ。
「内乱後、ラクリマリスは単独で神政を行い、現在は上手く行っておりますが、今後、暗君が出現した場合、どうなるかわかりません」
湖の民や主神派以外のフラクシヌス教徒は排除されなかったが、キルクルス教徒は排除され、力なき陸の民にとって生き難い社会になったようだ。
「国民が最も恐れる神政の問題点は、正にそこなのです」
カク・シディは眉間に縦皺を刻んで同意した。
「じゃあ、民主主義のいいとこと、悪いとこは?」
隣に座るティスに聞かれたが、レノは妹に答えを与えられなかった。




