1735.窓口で払戻し
銀行は現金自動預払機コーナーが封鎖され、窓口の行列が外の駐車場まで続く。
ロークは、機械の窓口が閉まったのは土魚のせいだと思ったが、貼紙を確認すると、そうではなかった。湖底ケーブル破断による通信回線の途絶で、昨秋からずっと使えないらしい。
銀行員が、順番待ちの列にクリップボードとペン、必要書類を渡して歩く。文句が出ないのは、この半年で慣れと諦めが定着したからだろう。
ネモラリス共和国には、そもそもこんな機械の窓口がない。
アーテルの金融機関は、独立後三十年の進歩を一瞬で内乱直後にまで戻されたらしい。
雇用主の父子が先に並び、ロークとクラウストラが続く。
列に並んだロークは、以前クラウストラに見せられた公衆電話の順番待ち行列を襲う魔獣の動画を思い出した。
護衛として雇われた魔獣駆除業者は、列からやや離れた位置で四人を見守る。
銀行員も、長蛇の列を成す客も、警備員も、一目で魔法使いとわかる二人組を目にしても、何も言わなかった。
……あの人たちが居れば、四眼狼とかが来ても大丈夫だよな。
アーテル人の警備員の装備は、特殊警棒だけだ。
土魚が相手なら何とかなりそうだが、四眼狼などが出れば、ひとたまりもない。
イザとなれば、クラウストラも戦えるが、あの二人の前では、力なき民のフリで通すしかない。
半世紀の内乱時代は、人間同士の殺し合いの方が多かったから、内乱終結後、魔物や魔獣の捕食被害が増えても、年配の大人たちは、重大な事件と捉えないのかもしれない。
だが、平和な時代に産まれた若者は、そうではないのだろう。
現に雇用主の息子は、怯えた様子で何度も周囲を窺い、護衛の二人と視線が合うと緊張を解く。
この辺りは庭などがないオフィスビルばかりで、周辺の駐車場もアスファルト舗装だ。街路樹の根元にさえ気を付ければ、問題ないだろう。
順番待ちの大人たちは、持参した新聞や文庫本を読んで、一言も喋らない。
係員は、書き終えた書類を一人ずつ回収しては建物に入り、客の許へ戻って整理券を渡した。
銀行やスーパーマーケット、電力会社などは、通勤途中で魔獣に襲われる危険を冒してまで業務を行い、国民の暮らしを支える。
他方では、事業を休止せざるを得ない企業や商店があり、生活と経済に深刻な影響が出た。
休校措置が長引く中、更に登校できなくなり、富裕層以外の教育はかなり厳しい状況だ。教育を受けられなかった子供たちが大人になる頃、アーテル社会はどうなるのか。
……いや、そもそも、それまで国を存続できるのか?
自宅から出られなくなった人々は、餓死する前に救出できるのか。
拡散した土魚を駆除しなければ、教育も経済活動も生活再建もできない。
駆除には、多くの人手と莫大な費用を要するが、戦費の負担と経済活動の停滞で、アーテルの国家財政には余裕がない。
前に並ぶ中年男性が雇った魔獣駆除業者は、どうやらマコデス人らしい。
ランテルナ島民なら、アーテル共和国内で経済が回るが、人材不足で外国から駆除屋を呼べば、その分、貿易収支はサービス分野でマイナスに傾く。
魔法使いの彼らが、カネではなくモノを請求するにせよ、アーテルの資産が国外流出することに変わりなかった。
番号を呼ばれ、父子とロークたちは一緒に行内へ入った。
窓口は十二番まであり、地元民の父子は二番、ロークとクラウストラは八番へ案内される。
二人が座った途端、隣の窓口で、一日の出金限度額を説明された老人が、女性行員を口汚く罵り始めた。
どうやら、別件で来たついでに家で書いた払戻用紙を窓口に出したらしい。
支払限度額を設け、多額の現金を窓口に用意しないのは、銀行側の防犯だけでなく、盗難に遭った場合の預金者保護の為でもある。
また、オンライン決済が使えない為、現金の取引が急増し、公衆電話用に硬貨の取扱いも増えた。
現金準備高が不足すれば、取り付け騒ぎに発展し、一層の社会不安を惹起しかねない。
支店間を繋ぐ回線が使えない為、個人口座の取扱いは口座開設した支店に限る件と併せ、到るところ説明の貼紙だらけだ。
「お客様、どうされました?」
男性行員と、制服の警備員が窓口に姿を見せた途端、老人は口を噤んだ。女性行員が落ち着いた声で、状況を説明する。
「そんなコトは言っていない。さっさとカネを下ろして欲しいだけだ」
「お客様、恐れ入りますが、現在は一日の出金に限度額を設定致しております。小切手の振出しをなさるか、限度額の範囲内で、用紙を書き直していただけませんか?」
背広姿の男性行員が言うと、老人は渋々従った。
女性行員が、元の用紙をシュレッダーで粉砕する。
クラウストラが下ろすのは、買出し一回分に必要な額だけだ。高校生くらいの少女に見える彼女が、聞えよがしに言う。
「手間は掛かるけど、大金を持ち歩いて強盗に遭ったらイヤだし」
「だよなぁ。ひったくりとか……あっ、去年、刑務所壊れて犯人みんな脱獄した事件、あれってどうなったんだっけ?」
「わかんない」
「あの頃は、ネモラリス人のテロが続いて、それどころではございませんでしたからね」
窓口係員が、紙幣を乗せたカルトンを差し出しながら、話に加わる。
「お気を付けてお帰り下さい」
「はい。行員さんもご安全に」
何だかよくわからない挨拶を交わし、銀行を後にした。
「こっちです」
地元民の中年男性が、銀行から一番近いスーパーマーケットに案内する。
みんな考えることは同じらしい。銀行以上の行列に溜め息が出た。
「押さないでー! 押さないで下さーい!」
「順序よくお並び下さい」
「そこ! 横入りしないで!」
「商品は充分、仕入れております。皆様に行き渡りますよう、お一人様一個限りとさせていただいておりますが、商品の在庫は充分、確保しております」
店員と警備員が行列を整理しながら、メガホンで同じ説明を繰り返す。
立て看板に貼り出された広告を見る限り、大安売りする余裕はないようだが、不当に値段を吊り上げることなく、高くても定価止まりだ。
ロークは、意外に良心的な商いに感心した。
☆公衆電話の順番待ち行列を襲う魔獣の動画……「1523.庁舎前の惨事」参照
☆公衆電話用に硬貨の取扱いも増えた……「1519.学習機会喪失」参照
☆去年、刑務所壊れて犯人みんな脱獄した事件……「0265.伝えない政策」「344.ひとつの願い」「1004.敵の敵は味方」参照




