0177.レコード試聴
発電機は、何の問題もなく起動した。低く安定した駆動音が唸る。
「アウェッラーナさーん! もう大丈夫でーす! 有難うございましたー!」
クルィーロは、図書館の玄関に向かって手を振った。
湖の民が手を振り返し、力ある言葉で水に命じる。トラックを囲む水の膜がゆるりと宙を漂い、術者の手元に戻った。
固唾を飲んで待つ八人が、湖の民の薬師に声を掛けられ、おっかなびっくり図書館から出て来た。
「モーフ君、レコード持って、ちょっと来て」
クルィーロは少年兵を呼んで荷台に上った。
運転席の後ろの部屋に入って発電機の出力を確認する。制御パネルで緑ランプが力強く輝く。
レコード再生機の電源を入れる。こちらも問題ない。
手でそっと針を持ち上げ、再生ボタンを押した。空のターンテーブルが、するりと回転を始める。一定の速度で回るのを確認して、停止させた。
トラックの荷台が揺れ、軽い足音が近付いて止まる。
小部屋から顔を出すと、モーフがレコードを大事に抱え、不安げに見上げた。
「こいつもちゃんと動くよ。ちょっとそれ貸して」
クルィーロが戸口から手を伸ばす。
少年兵は動かない。
荷台の後部が大きく沈み、足音がドカドカ響いた。
二人が同時に振り向く。運転手のメドヴェージだ。
「おうっ、坊主。何ぼさっと突っ立ってんだ?」
「……」
「兄ちゃん、どうだ?」
返事をしない少年兵にそれ以上構わず、クルィーロに聞く。
「まぁ、最近まで使ってたものですから、問題ありませんでしたよ」
「そうか。坊主、レコード聴けるってよ」
メドヴェージが、少年兵の肩をポンと叩いた。
モーフは、メドヴェージを上目遣いに見るだけで何も言わない。
「ん? どうした、坊主。天気予報の歌、聴きたくねぇのか?」
少年兵モーフは首を横に振り、クルィーロを見た。
「発電機も再生機も、ちゃんと動くから大丈夫だよ」
「……レコード、なくなったりしねぇか?」
「なくなる?」
少年兵モーフの問いにメドヴェージが首を傾げた。
クルィーロはピンと来て、笑って答える。
「レコードは使い捨てじゃないよ。まぁ何万回も聴いたらすり減るけど、ちょっとくらい大丈夫だ」
そう言われてやっと、少年兵はレコードを差し出した。
クルィーロは慣れた手つきでジャケットから引き出し、薄い保護袋を取った。
そっとターンテーブルに乗せ、再生ボタンを押す。
回転を始めたレコードに、ゆっくりと針が落ちた。
ダイヤの針が、盤面に刻まれた音を拾い上げる。
小部屋の外から耳に馴染んだメロディが流れた。
クルィーロはツマミを回し、発電機の駆動音に負けないよう、音量を上げる。
聴き慣れたインストゥルメンタルが、荷台の隅のスピーカーを震わせる。
荷台にこもった音が反響し、開け放たれた扉から廃墟の街へ出て行った。
クルィーロが小部屋から出ると、他の面々もトラックの後ろに集まっていた。
次に流れたのは、同じ曲のピアノ版。その次はフルート、ギター……と、単一楽器によるアレンジヴァージョンが次々と流れた。
よく知る曲の初めての姿に触れ、寒さも忘れて聴き入る。
弦の余韻が消えても、魔法に掛けられたようにその場に立ち尽くした。
「歌……ねぇのか」
少年兵モーフがポツリと呟いた。
クルィーロは笑って答えながら奥の小部屋に戻る。
「A面は、インストゥルメンタルだけなんだな。今、裏返すから待ってろよ」
「裏返す?」
「レコードは、表と裏、両方に音を記録できるんだ」
言いながら、クルィーロは再生機の蓋を開けた。
停止したレコードを取り外し、盤面に触れないよう、縁に両手を添えてひっくり返す。B面をセットし、再生ボタンを押した。停止位置に戻った針が持ち上がり、ゆるゆると回転を始めたレコードの上に落ちる。
クルィーロは、再び音を奏で始めたのを見届けて、アクリル製の蓋を閉めた。いつもの楽器編成で前奏が始まり、女性の澄んだ声が歌を紡ぎ出す。
降り注ぐ あなたの上に
彼方から届く光が
生けるもの 遍く照らす 日の環 溢れる 命の力
蒼穹映す 今を認め この眼で大空調べて予報
空 風渡り 月 青々と
星 囁けば 雲 流れ道
おひさまの 新しい光
昨日から今日に移ろう
順々に 黄道廻り 季節 渡って 一年巡る
大きな流れにこの身を委ね 大空みつめ天気を予報
春 穏やかに 夏 輝いて
秋 清らかに 冬 夢の中
雨 傘の花 虹 橋架けて
雪 深々と 霜 真直ぐに
空 穏やかに 月 輝いて
星 清らかに 雲 夢の中
雨 傘の花 虹 橋架けて
虹 七色に 空 晴れ渡る
誰もが身じろぎひとつせず、その澄んだ歌声に耳を傾ける。
この地の日常語……湖南語で歌われた録音に魔力は乗せられない筈だが、魅了の術で囚われたように動けなかった。
伸びやかな声が、軽快なリズムに乗せて詞の情景を謳い上げる。
気象について謳う歌詞だが、何故か聴く者の心を打った。
歌唱が終わり、伴奏の余韻も消える。
誰からともなく溜め息が漏れた。
数秒の沈黙の後、フルートの音色が、まだ肌寒い春の朝を震わせた。
☆トラックを囲んだ水の膜……「0171.発電機の点検」参照
☆天気予報の歌……「0115.昔の音の部屋」「0170.天気予報の歌」参照




