1722.ゆっくり急ぐ
「ファーキル君がまとめてくれた症例一覧、いい手応えがありましたよ」
翌日の午後、アミトスチグマ王国の夏の都で、難民キャンプ視察の報告会が行われた。
順番待ちの患者から聞き取った情報は、まだ取りまとめ中で、今日は医療者と、危険を伴う作業の指導者らから聞き取った件だけの中間報告だ。
支援者マリャーナ宅には、様々な知見を持つ同志が集まる。
亡命議員をまとめるアサコール党首に褒められ、ファーキルがはにかんだ。彼は年齢こそ高校生くらいだが、情報処理能力はネモラリス人の大人よりずっと高い。
「えっと、今月分の広告収入、何割かジャガイモに回しましょうか?」
「そちらは、パテンス神殿信徒会のみなさんがご用意下さるとのことですので、大丈夫です。いつも通り、医薬品の購入に充てて下さい」
「了解です」
「アレルギー対応の除去食を求める声は、以前からありましたが、冷蔵庫などがない場所では、どうしても、支援が保存食に偏ります。アレルギー対応の保存食は数も種類も限られるのです」
アミトスチグマ人の支援者マリャーナが、中間報告書を表示させたタブレット端末を置いて、小さく溜め息を吐いた。総合商社の役員である彼女の調達力を以てしても難しいのは、資金面での制約によるところも大きい。
「ジャガイモは百日くらいで収穫できますが、暑さに弱いので、今から植えるとなると、厳しいですね」
モルコーヴ議員は料理が上手いだけでなく、食材についても幅広い知識があるらしい。
「まぁ、今回は試しに森の畑でも育つか、練習くらいの気持ちでやってもらえばいいんじゃないんでしょうか? あれって秋植えもできるんですよね?」
土木の専門家ジェルヌィが気楽に言う。
畑の開墾は【穿つ啄木鳥】学派の術で支援したが、畑仕事は門外漢だ。
「時間と手間と畑の敷地を使って頑張っても結局、食べられませんでしたー……じゃ、がっかりするわよ?」
「別のを植えればよかったとか、そのまま食べればよかったとか」
運び屋フィアールカとアルキオーネが、難民の士気の方向から懸念を示す。
「それよりこれ、建築現場の作業に工場のやり方を取り入れるって発想!」
ジェルヌィは興奮を抑えきれない声で言う。
……単に次の話題に進めたかっただけか。
呪医セプテントリオーは苦笑して、紙に印刷してもらった報告書を捲った。
ジェルヌィが姿勢を正し、会議の出席者を見回して言う。
「第十九区画は当初、丸木小屋の建築作業が他所よりずっと遅れてて、すごく気になってたんです」
アミトスチグマ王国は、ネモラリス人難民の受け入れを表明した唯一の国だ。
同国政府は難民キャンプ用地を提供したが、平野部での受け入れは一時的なもので、避難が長期に亘る場合は、大森林を開拓するよう、難民に求めた。
そこで、難民やボランティアから、【歩む鴇】学派の術者と、彼らを守る魔獣駆除業者が先行して大森林に入り、水源を探した。地下水脈が走る場所の内、井戸を掘りやすい土地の目星をつけて戻り、【穿つ啄木鳥】学派の術者が井戸を掘る。
水を得られた場所を中心に樹木の伐採を進めた。
井戸の周辺を整地して、まずは診療所と居住用の丸木小屋を建てる。
最初の三棟までは、その道の専門家だけで作業を行った。難民がテント村から移り住んでからは、素人の難民も作業に加わる。
丸木小屋が増える度にテント村からの移住が進む。
難民は、大半が力なき陸の民だ。住居が井戸から離れれば離れる程、生活が困難を増す。次々と井戸が掘られ、水源を起点に開拓が進んだ。
同時進行で、パテンス市側からは、人や救援物資を輸送する道路が造られる。
他の区画では、この段階から死傷者が出始めた。
だが、テント村の解消を優先。作業の都度、注意点を口頭で伝達するに留まり、体系的な安全講習や訓練が行われないまま、建築の素人も作業に参加した。
ネモラリス難民は当初、ラクリマリス王国経由で来る「空襲で焼け出されたネーニア島民」だった。後にネモラリス島の首都クレーヴェルから、アミトスチグマ王国の夏の都へ、直通の難民輸送船が運行を開始する。
ラクリマリス王国の王都からは、帰還難民をクレーヴェルに輸送する便と、難民キャンプに送り届ける夏の都行きの便が運航された。
首都クレーヴェルで、ネミュス解放軍によるクーデターが勃発すると、ネモラリス島南部の一部島民も国外へ流出。難民の流入が急増し、大森林の開拓は無秩序に進められた。
かつて、強大な魔獣が巣食った大森林は、退治から六百年以上経た現在も、アミトスチグマ人の恐怖が拭えず、全く未開の地だ。
僅かに樵や狩人などは出入りするが、詳細な調査が行われた例がない。
人の流入が急激で、都市計画のようなものを立てる時間的な余裕もなかった。
樵や狩人に伝わる「要の木」の伝承が、事実であったとアミトスチグマの国民全体に広く知られたのは、難民キャンプの建設がきっかけだ。
要の木を避けて開発する為、難民キャンプは歪な形で広がり、区画の間に木々が取り残された。
「第十九区画では、素人に作業させないで、力なき民の工員と建設業者が安全教育をしてたから、他所の区画より作業が遅れてたんです」
「教育期間中、全く作業をさせなかったのですか?」
呪医セプテントリオーは、驚いてジェルヌィに聞いた。
「伐採は、移住した力ある民の建設業者が進めてましたし、俺たち建設業協会も巡回で行った時に作業してました。あの頃は、それどころじゃなかったんで、何であそこだけあんな遅れてたのか、聞かなかったんですけど」
第十九区画では、安全教育を力ある民と力なき民で分け、受講生には食糧を一食分渡した。
講習は全五回に分け、最終回の翌日にテストを行う。危険を伴う作業は合格者にのみ、危険度と適正に応じて割り振った。
B5サイズのノートを半分に切って二冊にしたものを一人一冊持たせ、消しゴムで作ったスタンプと、講師のサインで受講証を作る念の入れようだ。
未受講者には徹底して危険作業をさせない。ノートには受講証の他、持病や難民キャンプ内での作業歴や受傷歴も記録した。
一連の作業を細かく区切り、作業者の受傷歴から、事故が発生しやすい工程を割り出して、安全対策、手順の見直し、人員の再配置などを行う。
「そんなカンジで進めたから、最初は他所よりかなり遅れたけど、死傷者が桁違いに少なかったから、一年過ぎる頃には追いついたんだ」
ジェルヌィの説明で、納得と後悔の空気が会議室を満たした。
☆ファーキル君がまとめてくれた症例一覧……「1496.分かれる専門」「1586.呪医の苛立ち」~「1588.能動的な要望」参照
☆アレルギー対応の除去食を求める声……「1586.呪医の苛立ち」参照
☆アミトスチグマ王国は、ネモラリス人難民の受け入れを表明した唯一の国……「0229.待つ身の辛さ」「0234.老議員の休日」参照
☆難民キャンプ用地を提供/大森林を開拓/素人の難民も作業……「738.前線の診療所」参照
☆井戸の周辺を整地して診療所と居住用の丸木小屋を建てる……「929.慕われた人物」参照
☆テント村の解消を優先……「1606.避難地の現状」参照
☆かつて、強大な魔獣が巣食った大森林……「701.異国の暮らし」参照
☆樵や狩人に伝わる「要の木」の伝承……「1184.初対面の旧知」「1185.変わる失業率」「1593.意識的に視る」参照




