1720.試験的な分配
「この区画は他所と比べて随分、作業中の負傷者が少ないのですが、何か秘訣でもあるのですか?」
難民キャンプ第十九区画へ、ネモラリス共和国からの亡命議員、地元のアミトスチグマ王国の国会議員、最寄りのパテンス市からは市会議員が視察に訪れた。
議員に質問され、常駐する科学の看護師たちが顔を見合わせる。
「秘訣……ですか? 私たちには詳しくはわかりません」
呪医セプテントリオーは、両輪の軸党のアサコール党首の顔を見るまで、視察の件をすっかり忘れていた。
視察に訪れたのは、亡命議員のアサコール党首、アミトスチグマ王国の国会議員ジュバーメン氏、市会議員三名と護衛らしき魔獣駆除業者二人だ。
「しかし、ここは森と隣接する為、魔獣などによる被害が多いのです。術や薬で傷を塞いでも、抗生物質などが不足して、感染症で入院を余儀なくされる患者さんが多く、現に今、入院しておられる方々はみなさん、そうです」
議員たちは、巡回の呪医セプテントリオーの主張に黙って耳を傾ける。
ジュバーメン議員が、背広のポケットから【無尽袋】を取り出した。
「本日は、医師会から点滴パックをお預かりしてきました。一度にたくさんは無理ですので、本日の視察を兼ねた配布は、第七、十八、十九、三十一区画の計四カ所だけですが」
「症例の統計から、どの区画にどんな医薬品が必要かを割り出し、先手を打ちます。各診療所からの要望と併せて調達する仕組みを構築しつつあるのですよ」
「今回の配布は、試験的な運用です。これで必要な所に効率よく分配できるようでしたら、拡大しようと言う話が出ております」
市会議員の一人とアサコール党首が、ジュバーメン議員の説明を補足する。
ジュバーメン議員が【無尽袋】の口紐を解き、逆さにして振ると、診療所の床に段ボール箱が三箱、転がり出た。
「こちらが納品書になります。念の為、検品をお願いします」
市会議員が、箱に貼り付けられた封筒を剥がし、科学の看護師に手渡す。
「調達はパテンス市医師会ですが、資金は慈善コンサートの収益金です」
「色々な方面から支援があります。みなさんは決して、孤独ではありませんよ」
難民の看護師だけでなく、寝台に横たわる患者たちからも礼の声が上がる。
アサコール党首が、呪医セプテントリオーの隣に来て、診療所内を見回した。今日、この時間は本当に少なく、待合の患者が居ない。
「ここは本当に患者さんが少ないのですね」
「呪歌の歌い手が割と多い区画ですからね」
呪歌【癒しの風】で対応できる軽傷患者が来なくなったからではあるが、それだけではない。
「この区画は、外科と内科で棟を分けてありますから、少なく見えるだけなのですよ。内科系の診療所は、もうご覧になられましたか?」
「いえ、まだです。では、今回のお薬も、偶数で割れる数の方がよかったかもしれませんね」
三個の段ボール箱は、抗生物質二種類とステロイド剤だと言う。
「分け方は、常駐の方々にご相談いただいた方がよろしいかと思いますが、外科に入院中の患者さんは、みなさん、抗生物質が必要な症状です」
「ステロイドの処方は、科学の医師か薬剤師でないとできませんから、こちらの病棟に置いても、巡回の先生が来られるまで使えません」
呪医セプテントリオーが言うと、常駐する科学の看護師が話に加わった。
「もしかして、他所は病棟を分けていないんですか?」
「中心付近の小さな区画は、既に増築できる敷地がありません。敷地がある所でも、常勤医療者の職種や専門、人数の件もあってなかなか……」
アサコール党首が眉を下げて言った。
「ここは内科の医師一人、看護師四人ですが、他所はもっと少ないんですか?」
「少ない区画は、薬師さんと看護師さんが、二人だけで頑張っておられますよ」
「えぇッ?」
看護師が、アサコール党首の説明に驚く。
「第十九区画の医療者のみなさんは、五人ともご親戚ですから、同じ所の方が心強いと思いまして」
「えッ? そんなコトまで気を遣っていただいてたんですか? てっきり、魔物の被害が多い区画だから、重点配置されたのだとばかり思っていました」
「勿論、それもありますよ」
アサコール党首が苦笑したところで、看護師が呼ばれ、患者の傍へ急ぐ。
「ちょっと、呪医お借りしますね」
「内科の病棟ですから、何かありましたら、すぐ戻ります」
呪医セプテントリオーは、もう一人の看護師に支援者マリャーナからの差し入れが入った【無尽袋】を渡して出た。
外科病棟の隣は、呪歌【癒しの風】で済む軽傷者用の処置室だ。
力ある民の看護師が常駐し、難民の少年少女が癒しの呪歌を謳う。第十九区画には呪歌の歌い手が多く、力ある民と【魔力の水晶】を使う力なき民を合わせて、三十七人居た。
五、六人で回す区画が多い中、これも別格の規模だ。
癒し手になるのを「結婚できなくなる」と反対する親が多い区画では、呪歌の歌い手が少ない。
……ここは、危機感を強めざるを得ない立地だからな。
この第十九区画と、隣接する第十八、第三十一区画は、魔獣に捕食される犠牲者が特に多かった。即死や森へ引きずり込まれて救助できなかった事案では、医療の手が届かないのも、外科病棟に患者が少ない理由のひとつだ。
呪歌による処置室の向こうに内科の診療所と入院病棟がある。
外科の病床は診療所と同じ丸木小屋だが、内科の病床は、診療所内と建増しした丸木小屋の二棟だ。
「全部で四十床ですが、勿論、足りません」
「この区画の人口は……一万八千二百五十一人ですか」
呪医セプテントリオーが言うと、ジュバーメン議員がタブレット端末をつついて目を瞠った。
アサコール党首が、すらすら答える。
「居住用の丸木小屋を増やして、テント村を解消しましたからね。ここと第七、第三十二、三十三、三十五区画は、一万五千人以上収容しています」
内科は、診療所の外まで長蛇の列だ。
「医師にお話をお伺いできる状況ではなさそうですね」
「これでは、診察を受けるだけで一日仕事になりますね」
今日は五月半ばの晴天だかから、まだいいが、雨天や夏季、冬季は診察を待つ間に悪化しかねない。
パテンス市の市会議員たちが、順番待ちの患者に聞き取り調査を始め、状況や要望を端末でメモする。
「お邪魔します。診療所の状況調査に参りました」
アサコール党首が遠慮がちに声を掛け、内科の診療所に入った。
☆地元の国会議員ジュバーメン氏……「627.大使との面談」「628.獅子身中の虫」「692.手に渡る情報」「693.各勢力の情報」「729.休むヒマなし」「1161.公害対策問題」「1162.足りない信任」「1282.支援の報告会」「1305.支援への礼状」参照
☆症例の統計……「1496.分かれる専門」「1586.呪医の苛立ち」~「1588.能動的な要望」参照




