1719.区画毎の特性
難民キャンプ第十八区画と、第十九区画の間に学校が完成した。
両区画で共有し、図書室を兼ねる三棟続きの大型の建物だが、無事故で竣工した稀有な物件だ。
現在は内装工事も終わり、本棚や学習机、椅子の製造で難民たちが忙しく働く。教室の一棟を木工場として使い、効率よく作業を進める。
「そう言えば、この区画は開設当初から、建設中の事故が他所より少なかったですね」
「えぇ。【編む葦切】学派の職人さんと元工員さんが、安全指導をして下さるからですよ」
木工品工場の元工員と【編む葦切】学派の職人が、素人向けに作業を分解して手順を組立てた上で分業し、安全指導にあたるのだと言う。
呪医セプテントリオーは、常駐する看護師の説明に感心した。
……では、他所はプロと同じ手順で素人に作業させたのが、怪我の原因だったのか。
建築や木工関連の事故は、ある程度防げるが、魔獣などによる被害は、大森林で暮らす以上、避けて通れない。診療所には、自警団を中心として、いつも入院患者が居た。
第十八区画と第十九区画は南北で隣接し、西側で未開の大森林と接する。
居住区の西側に開墾した畑が緩衝地帯を兼ねるが、農作業中に魔物や魔獣と遭遇するのが日常茶飯事だ。
畑と森の間には木柵を設置し、【魔除け】や【頑強】などの呪符を貼るが、実体を持つ魔獣は柵をヘシ折って侵入する。
また、鹿や猪などの野生動物も、大した武器を持たない力なき民の難民にとっては脅威だ。人身被害はなくとも、野菜の食害が深刻で、僅かな武器で結成された自警団には、期待と責任が圧し掛かった。
「呪医、なんでまだ復帰しちゃダメなんです?」
簡素な寝台から、体格のいい男性が【見診】での診察を終えた呪医セプテントリオーを見上げる。
常駐する科学の看護師が作成したカルテによると、受傷は十一日前。四眼狼に左膝の上を咬まれたとある。傷口は、力ある民の難民が【操水】で洗ったが、感染を起こして発熱が続く。
魔法薬の傷薬を使用したが、傷が深かった為、骨に近い部分までは届かず、表層のみが塞がった状態で化膿したのだ。出口を失った膿が傷の奥に溜まり、腿が腫れ上がって高熱を出した。
つい先程、傷を切開して膿を出し、魔法薬で消毒して【癒しの水】の術で塞ぎ直したばかりだ。
化膿止めの魔法薬が、第十九区画の診療所に補充されたのは昨日で、十日余り感染と戦い続けたこの患者は、消耗が激しかった。
「足の傷は今、完治させましたが、まだ、傷からの感染症が治っていないのですよ。熱が下がらないでしょう?」
「でも、今、呪医が治してくれたじゃないですか」
「傷の化膿は、魔法薬を併用して治しました。大元の部分は治りましたが、怪我をしてから十日以上も身体全体にバイ菌が巡って、そちらはまだなのです」
……よく敗血症で死ななかったものだ。
カルテを読み返すと、受傷から三日後、彼の家族が第二十区画で魔法薬の化膿止めを少し分けてもらい、飲ませたとある。量の記載はないが、もし、その時に今日と同じ治療を受けられたなら、感染症も一緒に完治できたかもしれない。
魔法薬の入手時期と呪医の巡回が揃わなかったのが、もどかしかった。
「他所の区画から分けてもらった薬、それ用の素材で返さなきゃいけないんで、早く退院したいんですけど」
「無理をして悪化しては本末転倒ですよ。今はとにかく、治すことに専念して下さい」
「じゃあ、いつ治るんですか? 薬草は採れる時期が決まってるんですよ?」
呪医セプテントリオーは、患者の焦りと苛立ち、期待と失望の入り混じった声に答えられなかった。
平時ならば、呪医による治療と魔法薬、または科学の抗生物質などを組合わせ、死の不安などなく、すぐにでも完治して元の生活に戻れるような症例だ。
半世紀の内乱中は、幾度となく同様の患者を看取った。
今も、治癒の時期を予測するどころか、完治すると断言さえできない。
……元が健康な若者だ。体力を過信して抜け出すかもしれんな。
「癒えたのは傷だけです。傷から入った魔獣有来の病原体による感染症は、まだ治っていませんし、現状、薬が全く足りなくて、次に薬が届くまで……あなたの命が続……」
患者の目に涙が盛り上がり、あっという間に堰を切って枕を濡らす。
呪医セプテントリオーは患者の熱い額に手を当て、意識して先程より声の調子を和らげた。
「今、この診療所にあるお薬では完治できませんが、次のお薬が届くまでの時間稼ぎはできます。無理をしないで、食事はなるべくしっかり食べて、体力を温存して待って下さい」
「じゃ……じゃあ……い、いつ……いつまで、待てば……」
「次の入荷予定は来週の金曜ですよ」
常駐する科学の看護師が、答えを寄越す。
十日も先だ。
患者は唇を引き結び、声もなく涙を流す。
「大元の傷は完治しましたし、膿も全て取りました。病原体の供給元がなくなりましたから、後は、身体に散ったモノだけです。今朝よりずっと良くなっているのですよ」
備え付けのティッシュで、頬を伝う涙を拭うと、患者はしっかり頷いた。唇は震えたが、言葉は出ない。
……とは言え、目当ての薬が必ず届くワケではないのだがな。
一応、各区画の診療所で、必要な医薬品を書き出し、ボランティアセンターで集約して発注する仕組みはできた。だが、資金不足で、必要量や種類を揃えられない日が多い。
ファーキルや歌手の少女たちも、動画の広告収入や慈善コンサートの収益で、医薬品などを支援するが、四十万人以上もの難民に対しては焼け石に水だ。
食糧も、難民キャンプの自給自足では到底、賄えず、寄付に頼らざるを得ない。
……戦争さえなければ。
魔哮砲戦争の開戦以来、繰り返し心を占める思いを押し留め、患者を安心させる為に微笑を作る。
「確実によくなっていますから、もう少しの辛抱ですよ」
患者は毛布を頭まで被り、呪医セプテントリオーに背を向けた。




