0176.運び屋の忠告
ファーキルは、湖の民の案内で地上に出た。
商店街のような所で、どの店もそれなりに賑う。
「私たちは、おカネなんてなくても暮らしに困らないから、アーテル政府が放っておいてくれて却って助かるくらいよ」
湖の民の女性は、道々ランテルナ自治区のことを教えてくれた。
「役所は何もしてくれないから、何もかも自分たちで何とかしなくちゃいけないけどね」
「ここの力なき民の人たちは、どうやって暮してるんですか?」
ファーキルは、ネットで断片的な情報を得ていたが、質問した。
「電気は自家発電で何とかして、まぁそこそこやっていけてるわ」
「燃料とかは……?」
「本土で買ってるわ」
「へぇ……」
「私たちも、力なき民と連絡取るのに端末を使うけど、なけりゃないで何とかなるし」
「そう言うもんなんですか」
小さな街で、すぐに外れの公園に着いた。
小高い丘の公園で麓には、別の街がある。
顔を上げると、ネーニア島がいつもより大きく見えた。
島の南部は魔法文明国のラクリマリス王国だ。
北部のネモラリス共和国領はクブルム山脈に遮られ、ここからは見えない。
湖上に船影はなく、朝靄に北ヴィエートフィ大橋の北端が霞む。
大橋の根元の公園には、戦車と軍の車輌が数台あるだけで、戦闘機の類は見えなかった。
「……【跳躍】の術はね、術者が知ってるとこにしか行けないの」
何かの魔法でここに居るように現地を見られるなら別だが、すぐそこのネーニア島でも、熟知した場所がなければ移動できない。
北の大橋を渡るしかないが、現在は封鎖中だ。
キルクルス教徒のリストヴァー自治区と、力ある民のランテルナ自治区。住人が自主的に居住地を交換したくとも、できないのだ。
……魔法も案外、不便なとこあるんだな。
湖の民の説明を聞きながら、ぼんやり思う。
「私はいつも、力ある民を運んであげてるの」
女性は、ネーニア島の西端を指差して続けた。
「ラクリマリス領の西の端っこ。近くにネモラリス領へ抜ける隧道があるけど、北へ行くのはお薦めしないわ」
現在、アーテルとネモラリスは戦争中だ。
殆ど毎日のようにアーテル・ラニスタ連合軍が空爆を行う。
見える範囲に空軍基地はない。以前、ネットの掲示板で読んだ仮説が的外れだったと思い知らされた。
イグニカーンス市の基地を飛び立った戦闘機や爆撃機は、ランテルナ島の基地で待機などしないのだ。
湖の民の運び屋は、ファーキルに顔を向けて言った。
「島の岸辺は、パニセア・ユニ・フローラ様のご加護で少しマシだけど、内陸部は強い魔物が多いから、元々人が住む街や村はないの」
「沿岸の道を通って街へ行くんですね。ありがとうございます」
ファーキルは、運び屋の忠告に素直な気持ちで礼を言った。
「坊やみたいな“力なき民”を向こうに渡すのはアレなんだけど……ホントに行くのね?」
力ある民なら、自力で元居た場所に帰れる可能性がある。
だが、力なき民のファーキルでは、どうにもできない。
死地へ赴くに等しい決断をした少年は、それを曲げることなく、力強く頷いてみせた。
「……そう。何しに行くの?」
「真実を知る為に行くんです」
湖の民の運び屋は、口の中でその言葉を繰り返すと、小さく頷いて少年の肩を叩いた。
「わかったわ」
少年と手を繋ぎ、力ある言葉で呪文を唱える。
「鵬程を越え 此地から彼地へ駆ける
大逵を手繰り 折り重ね 一足に跳ぶ この身を其処に」
軽い目眩のような浮遊感に、思わず目を閉じる。
ファーキルが一呼吸後に目を開けると、風景が一変した。
足下は黒い岩。穏やかな波が荒削りな岩を洗い、ちゃぷちゃぷ音を立てる。
顔を上げると、ラキュス湖がすぐ眼の前にあった。
水平線の彼方には、見慣れない山塊が影絵のように見える。
「ここは……?」
「ラクリマリス領の西の端っこ。さっき言ったでしょ」
手を繋いだままの湖の民は、にっこり微笑んだ。顔の後ろには草原が広がる。
アスファルトの道が冬枯れた草原を貫く。茶色の間からは、萌え出たばかりの小さな雑草や建物の名残が覗いた。
ファーキルは首を巡らして四方を見た。
アスファルトの道は、南はどこまで伸びるかわからない。北は、近くに見える黒い岩山まで続いた。
岩山から少し東では、冬枯れの木々が枝を天に伸ばす。よく見ると、冬芽を破ったばかりの新芽が、枝先で僅かに緑を見せる。
西は湖。見慣れない影絵は、魔物や魔獣が支配するラキュス湖西地方の山脈だ。
東は、少し先にクブルム山脈から続く森林が覆う。平野の森林は常緑樹が多く鬱蒼と茂る。
「この辺……昔は漁村と農村、ちょっとした街があったんだけど、半世紀の内乱で、今は見ての通りよ」
この湖の民は当時の住民か、その親戚か友人知人で、当時を思い出として記憶に留めるらしい。かなりの年月を生きた長命人種なのだ。
運び屋は、南を指差した。
「今から歩けば、お昼過ぎには着くでしょう。あの手袋して、作用力のない『なんちゃって魔法使い』のフリするのよ」
ファーキルは、ポケットからお釣としてもらった魔法の手袋を出し、毛糸の手袋と替えた。
湖の民の運び屋は満足げに微笑むと、再び【跳躍】を唱えて姿を消した。
礼を言う暇もない。
ファーキルは、ポケットから家の鍵を出してラキュス湖に投げ捨てると、北へ歩きだした。
☆以前、ネットの掲示板で読んだ仮説……「0162.アーテルの子」参照
☆ネモラリス領へ抜ける隧道……ザカート隧道「0144.非番の一兵卒」参照
☆内陸部は強い魔物が多いから、元々人が住む街や村はない……「0035.隠れ一神教徒」「0156.復興の青写真」「0167.拓けた道の先」「0171.発電機の点検」参照
☆昔は漁村と農村、ちょっとした街があったんだけど、半世紀の内乱で今は何も残ってない……外伝「明けの明星」(https://ncode.syosetu.com/n2223fa/)参照
☆あの手袋……「0175.呪符屋の二人」参照
☆作用力のない『なんちゃって魔法使い』……「0060.水晶に注ぐ力」「0068.即席魔法使い」「0070.宵闇に一悶着」「0131.知らぬも同然」参照




