1713.逃げ場の国家
半世紀の内乱終結直後、ラキュス・ネーニア家のシェラタン当主が、当時はまだ地方都市のひとつだったクレーヴェル市で演説を行い、ネモラリス共和国の独立を宣言した。
ネモラリス島最大の都市クレーヴェルを首都と定め、ネモラリス全島とネーニア島のクブルム山脈以北を国土とする新たな国だ。
政体は、ラキュス・ラクリマリス共和国時代からの共和制を維持する。
フラクシヌス教ならば、どの神を信仰しても自由だが、キルクルス教を信仰したければ、これから設置する自治区か、別の国として独立したアーテル地方への移住が条件に付される。
「シェラタン当主は、ラクリマリス王家が神政復古を果たした為、力なき陸の民と、民主制を求めるすべての民、キルクルス教徒が迫害を受けぬよう、逃げ場としてこの国を共和制に留め置き、あらゆる信仰をお許しになられたのだ」
ネミュス解放軍クリュークウァ支部長カピヨーは、眼前のクルィーロとDJレーフではなく、三十年以上前のあの日を見るような目で語った。
僅かに白いものが混じる緑髪の下で、何を思うのか。元騎士の厳つい顔からは読み取り難い。
「現在、ラクリマリス王国領となった地から、力なき陸の民だけでなく、民主主義を求める民も流入した。主神派からの迫害を恐れた女神派も居る」
「ラクリマリス領には何回も行きましたけど、湖の女神の神殿が壊されたとか、女神派の信者が迫害されたとかって、聞いたコトありませんよ」
クルィーロは、現在のラクリマリス王国しか知らないが、少なくとも、カピヨー支部長と同じ、元地方領主のドーシチ市商工組合長は、信仰を云々しなかった。
……何カ月も居たけど、魔法薬が欲しくて黙ってたって風には見えなかったし。
「信仰だけならば、フラクシヌス教徒同士、何も争う理由などない」
「じゃあ、どうして半世紀の内乱では」
「まぁ、そう急かず、最後まで聞くがよい。信仰と政治的な思想信条、領土的野心などが結びつき、内乱がこじれたのだ」
当時を知る緑髪の長命人種は、半世紀の内乱後に産まれたクルィーロにやさしい目を向けた。
「それと、キルクルス教徒って言う共通の敵が居たから、ですか?」
「そうだ。あやつらは神殿を破壊し、我らの信仰を非科学的だと嘲笑ったのだ」
クルィーロが生まれ育ったネーニア島東部のゼルノー市には、キルクルス教会の痕跡すらなかった。リストヴァー自治区と隣接する街ですらそうなのだ。開戦後、トラックでたくさんの街や村を巡ったが、教会は一度も見なかった。
タブレット端末をもらってから、インターネットで写真や動画は見たが、実物は未だに見たことがない。
フラクシヌス教徒も、キルクルス教の教会を破壊し尽くしたのだ。
ロークは、祖父が司祭の役割を務めて自宅が教会のようなものだったそうだが、世間からはひた隠しにされた。
オースト倉庫の社長も自宅に隠し教会を持つが、どうやらハコモノだけで、司祭役や、聖典はなかったらしい。
ファーキルたちが聖職者用の聖典を送り付けた後は、星の標による爆弾テロが鳴りを潜めた。
隠れ信徒は、宗教指導者を失った状態でキルクルス教にしがみついた結果、信仰を歪ませた。だが、彼らの一部は、本物の教義に触れて目を覚ましたのだろう。
目を覚ました隠れキルクルス教徒が星の標を止めたのなら、約三十年前に行われた自治区などへの強制移住は、逆効果だったのではないか。
クルィーロと差し向かいに座るのは、神政復古を掲げるネミュス解放軍の支部長だ。ウヌク・エルハイア将軍の不動に痺れを切らし、独断でリストヴァー自治区へ攻め入った武人を前にして、そんな考えは口には出せなかった。
「でも、シェラタン当主は、キルクルス教徒も含めて、みんなで仲良くするようにって、ネモラリスを共和国にしたって、村の校長先生が言ってましたけど」
クルィーロは、なけなしの勇気を振り絞っても、こんなコトしか言えない自分が情けなかった。
カピヨー支部長は、ゆったりお茶を啜り、茶器を置いて頷く。
「その結果、力なき陸の民の人口比が上がり、多額の復興予算や福祉予算を食うようになったのだ。雇用や民需もなかなか上向かず、国家財政は常に破綻寸前だ」
「ラクリマリス王国は、没落した貴族の館を居抜きでホテルに改装するとか、観光客の誘致に力を入れて、税収を伸ばしていますが、ネモラリスでは、そんな動きがなかったんですか?」
DJレーフが質問のフリで指摘する。
「貴殿らは国を半周して何を見て来た? 外から人を呼べるものがあったか?」
クルィーロは空襲に遭うまで、ゼルノー市以外の街を知らなかった。
ネーニア島は、アーテル・ラニスタ連合軍の空襲でボロボロにされて見る影もない。ネモラリス島は、ほぼ無事だが、特にこれと言って人目を引くようなものはなかった。
どこも、普通の街や村だ。
フラクシヌス教の聖地ラクリマリスは、大神殿が一般信者の受け皿になる。
もうひとつの聖地、ネモラリス共和国領オーストロフ島のラクテア神殿は、ラキュス・ネーニア家の血族以外を拒む。
ネモラリス領内にある他の神殿は、どれも小規模で「普通」だ。
「あ、でも、インターネットでネモラリスの古い写真を公開した人が居て、それをステキだって言う外国人が大勢居ましたよ」
「古い写真? 内乱前の結婚式か何かか?」
クルィーロが、報告書を思い出して言うと、カピヨー支部長はやや身を乗り出した。応接室の低い卓を挟み、金髪の若者二人と緑髪の長命人種が向かい合う。
……大使館が出したって言うの、ヤバいよな?
「昔の普通の服とか、郷土料理とか、えーっと、風景とかでしたよ。湖に映る森がキレイとか言われてましたけど」
「内陸国の人なら、湖が見える景色だけでも、珍しいのかもしれませんね」
DJレーフに言われ、クルィーロも何となく納得した。
……それであんなフツーの景色とかがウケてたのか。でも、外国をよく知らないと、外国人が何を面白いと思うか、わかんないよな。
その国にないものを珍しく感じる。その理屈はわかるが、自国の何が観光客を呼び込めるか、わからなかった。
「尤も、この国は生活基盤も縁故もない流入者の暮らしを支える為、上下水道や電気、ガスなどの供給網、道路などの整備で予算を使い果たし、生活再建費用の貸付も多くが未返済で、物見遊山どころではなかったがな」
カピヨー支部長は、ラクリマリス王国とアーテル共和国にお荷物を押しつけられたと言いたげに鼻を鳴らした。
クルィーロは、カーメンシク市を思い出し、何も言えずに俯いた。
☆シェラタン当主が(中略)演説とネモラリス共和国の独立を宣言……「1650.民主制の堅持」「1651.緑髪の民主派」参照
☆元地方領主のドーシチ市商工組合長……「0230.組合長の屋敷」~「0232.過剰なノルマ」参照
☆ロークは、祖父が司祭の役割を務めて自宅が教会のようなもの……「637.俺の最終目標」参照
☆オースト倉庫の社長も自宅に隠し教会を持つ……「722.社長宅の教会」~「724.利用するもの」参照
☆ファーキルたちが聖職者用の聖典を送り付けた……「0958.聖典を届ける」「0959.敵国で広める」「0976.贈られた聖典」「0979.聖職者用聖典」参照
☆オーストロフ島のラクテア神殿……「1486.ラクテア神殿」「1542.神殿を守る民」参照
☆ネモラリスの古い写真を公開した人(中略)ステキだって言う外国人……「1164.信任者の実数」「1229.名もなき肯定」参照
☆カーメンシク市……「1040.正答なき問い」参照




