1702.ラジオを配信
ラクエウス議員は翌日の午後、駐アミトスチグマ王国ネモラリス共和国大使館へ足を運んだ。
新聞と大判封筒を脇に抱え、杖を突いて門を潜る。イーニー大使が待ちわびた顔で迎え、手ずから老議員を介助して応接室へ案内する。
二人きりになってすぐ、三日分の星光新聞アーテル版を渡すと、一面を見た大使の顔から血の気が引いた。
「これが……ネモラリス人ゲリラの仕業……と?」
「同志が王都ラクリマリスの喫茶店で偶然、テロ計画を知り、阻止に動いたのだが、既のところで間に合わなんだのです」
イーニー大使は息を呑み、茶器を手に取った。
「どのような情報を……」
「ネモラリス憂撃隊が【召喚布】と言う物を手に入れ、学校で使うと」
「アーテル本土へ止めに行かれたのですか」
魔法使いの大使が目を見開く。
「儂は無力な年寄ですからな。魔法使いの同志が数人ずつ組になって行きましたが、土地勘がなく、地図を頼りにしても、彼の国は学校が多いものですから」
イーニー大使は茶器を両手で包み、俯いて耳を傾ける。
ラクエウス議員は、紙面の略地図を示しながら説明した。
「現地のラジオで、このスピナ市の商店街に魔獣の群が出たとの報道があり、深夜にこの中学で、それらしき者と鉢合わせしたそうです」
「何故、阻止できなかったのですか」
「同志の一人が魔法で攻撃したところ、向こうも二人組で、一人が魔法の壁を建てて防ぎ、その隙にもう一人が召喚して、術で逃げたそうです」
大使は紅茶に口をつけず、茶器を置いた。深い溜め息で勢いを付け、反動で顔を上げる。
「ゲリラにも【飛翔する蜂角鷹】学派の術者が居るか、呪符を調達したか……いずれにせよ、和平協議への道がまた遠ざかりましたね」
「儂らもどうしたものかと。何人掛かりで実行したかわからんのですが、アーテルの学校と言う学校で土魚の群が校庭を占拠して、投票所として使えなくなったそうです」
イーニー大使は、紙面に視線を落とした。
「大統領選が延期……ポデレス大統領は、こんな有様でも戦争をやめる気がなさそうですね」
「うむ。国民の厭戦感も、これで引いてしまいましたからな」
高まったのは、魔法使いへの憎悪だけだ。
「実は、私も当日の夜、この事件を把握しておりました」
「情報源をお尋ねしても?」
アミトスチグマ王国に駐在する外交官は、迷いのない目で頷いた。
「ラジオの速報ニュースです」
「地方のFMが届くのかね?」
「直接ではありませんよ」
イーニー大使がタブレット端末で情報収集中、ユアキャストのライブ配信が目に留まった。
説明文には、アーテルとの国境付近に住むラニスタ人とある。
ラジオの音声をタブレット端末でユアキャストに流すだけで、撮影者兼配信者は一言も発さず、夜が明けた。
当初は大使を含め、三百人ばかりだった視聴者は、終了時には十万人以上に膨れ上がった。
今回の臨時ニュースは時間を定めず、情報が入り次第、読み上げられ、情報がない時間帯は静かな古典音楽が流れる。
いつ続報が入るとも知れず、大使ら視聴者は眠れぬ一夜を過ごした。
画面は、古めかしい防災用の小型ラジオを映すだけで全く動きはないが、目が離せなかった。
古典音楽が流れる間は、動画のコメント欄を見て過ごす。
スピナ市立第二小学校と、第三中学校に出現した魔獣の群は、いずれも土魚であるとの続報が入ると、直ちに魔獣図鑑や、土魚の動画へのリンクが貼られた。
取り残された避難者をどんな手段で救出するか、土魚の駆除を確実に遂行するにはなどの案も多数書込まれたが、机上の空論が大部分を占める。
仮に有効な対策が書込まれたところで、アーテル領内からは閲覧できない。
書込んだ者のプロフィールを見ると、ラニスタ共和国だけでなく、アーテル共和国を含む湖南語圏の国々からだ。
「アーテルを含む? インターネットが使えんのではなかったのかね」
「国情報の設定は任意ですからね。単身赴任か、避難した人かもしれません」
「ふむ。嘘の国籍も設定できるのだな?」
「そうなりますね。それから、昨日、この動画の共通語訳が出ました」
「何ッ?」
ほんの数日でそこまでする者が現れるとは、全く予想外だ。
「臨時ニュースだけを繋ぎ合わせたもので、湖南語と共通語の字幕付きです」
イーニー大使は説明しながら、動画を表示させた。
「同じ手段を使えれば、ネモラリスのFM放送でも、世界中に伝わるのですな」
「えぇ。インターネットの設備がある国では、放送局自身がユアキャストにチャンネルを持って、特定の番組だけ配信していますね」
大使はすっかりインターネットの事情通らしい。ラクエウス議員は、彼の順応性に舌を巻いた。
「しかし、今は生憎、アーテル人による買占めで衛星移動体通信システムが高騰して、とても手を出せません」
「選挙に使う分すら、用意できておらんそうだがな」
今回の大統領選挙本選の投票は、結局、紙の投票用紙を復活させた。
「この新聞には、八月頃に投票を延期するようなことが書いてありますが、ポデレス大統領は、もしかすると選挙自体、中止にするかもしれませんね」
「その線もあるな。彼にとっては、このテロも渡りに船か」
「イロモノ枠の泡沫政党でしかなかった安らぎの光党が、予想外に躍進しましたからね」
アーテル共和国の本土量では魔獣が多数出現し、投票所に足を運ぶだけで命懸けの状況だ。生命の危険を押してまで投票した有権者は少なく、予備選は過去最低の投票率を記録した。
そんな状態で、平和を呼掛ける音楽家に結成された「安らぎの光党」が大躍進したのだ。勿論、与党であるアーテル党の議席数には遠く及ばないが、党首のポデレス大統領が脅威を感じても不思議はない。
「ヒュムヌス候補も本選へ勝ち進みましたし、もしかすると、もしかするのではないかと」
「戦争を継続したい層にとっては、さぞかし目障りでしょうな」
選挙期間の前半、不審死を遂げた政治家や立候補者は、いずれもキルクルス教団とずぶずぶの者たちばかりだ。宗教色のない「安らぎの光党」の候補者に死傷者はない。
本選まで生存して選挙戦を勝ち残ったのは、現職ポデレス大統領、音楽家のヒュムヌス候補、無所属新人のミェーフ候補だ。
予備選の得票数を見た限り、現職と音楽家の一騎打ちめいた戦いになるだろう。
ラジオの音声に湖南語と共通語の字幕を付けて投稿し直したのは、ライブ配信を行ったラニスタ人ではなく、自称アーテル人のアカウントだ。
実際の国籍は確認できないが、これでアーテル共和国は、「魔術を用いたテロの被害者」として国際世論と同情を集め、ネモラリスと戦う大義名分と寄付を得るだろう。
外交官と亡命議員は、同時に重い息を吐いた。
☆アーテル領内からは閲覧できない……「291.歌を広める者」「531.その歌を心に」参照
☆アーテル人による買占めで衛星移動体通信システムが高騰……「1293.ずれた解決策」「1387.導入する理由」参照
☆投票所に足を運ぶだけで命懸け/予備選は過去最低の投票率……「1162.足りない信任」「1164.信任者の実数」「1344.投票所周辺で」~「1346.安定には遠く」参照
☆イロモノ枠の泡沫政党でしかなかった安らぎの光党……「868.廃屋で留守番」「1157.国会に届く歌」参照
☆「安らぎの光党」が大躍進……「1157.国会に届く歌」「1637.気になる隣国」参照
☆ヒュムヌス候補……「1139.安らぎの光党」参照
☆不審死を遂げた政治家や立候補者……「0957.緊急ニュース」「1013.噴き出す不満」「1022.選挙への影響」参照
☆無所属新人のミェーフ候補……「1138.国外の視点で」参照




