1699.土魚群を召喚
布から発生した渦から、大人の腕と同じ大きさの何かが、次々と現れる。
落ちたそれは、スピナ市立第三中学校の校庭に吸い込まれるように消えた。
クラウストラの第三撃が、車中泊の列を縫う。
推定【召喚布】を持つ人物の背中に命中したかに見えたが、また【光の槍】は見えない壁に当たって散った。
今度は垂直に青く光る壁が現れる。
頭上と背後を何らかの魔法障壁で守られ、両脇はワゴン車に泊まる避難者が人質だ。
ロークは十メートル程の距離で、二人組と正面から相対する。彼らの前では、広げた布から現れた渦が次々と小型の魔獣を吐き出す。
警察官が、強力な懐中電灯を手に駆け寄る。一人が拳銃を抜いた。
出現した魔獣はLEDの光を受け、水へ潜るように土中へ消える。
「ちょっと便所行って来る」
「気を付けて」
眠そうな声に続いて、ロークのすぐ傍で運転席の扉が開いた。男性の足が校庭の土につく。
「危ない!」
「戻って!」
警察官、ローク、クラウストラの叫びが重なる。
土煙が上がり、土中から魔獣の群が飛び出した。
車内灯と懐中電灯が、大型の魚群を照らし出す。
鋭い牙が男性の足に喰らい付いた。
懐中電灯の光があらぬ方を向き、立て続けに銃声が轟く。
教室の灯が一斉に点った。
クラウストラが、二十メートル程の距離で足を止め、知らない呪文を早口に唱える。短い光が幾条も走り、運転手に集る魔獣を弾き飛ばした。
「土魚だ! 土の上に立つな!」
クラウストラの鋭い叫びで、ロークは思わず足下を見た。講堂に沿うコンクリートの床だ。
大人の腕程もある大型魚は、駆け付けた警察官にも喰らい付く。防弾・防刃加工が施された防具でも、魔獣相手では大して役に立たない。
射殺された土魚が共食いの餌食になる。
灯が点いた教室の窓に人影が貼りつく。
異界の魚が、水を往くように土を泳ぐ。
ヴィユノークがくれた護符のお陰か、土魚の群はロークの傍を半円状に避けて通る。
足の肉を噛み千切られた男性は、自力で車内に這い上がれなかった。クラウストラの魔法は一撃で魔獣を屠るが、あまりにも数が多い。
助手席の女性は声にならない悲鳴を上げて身を縮める。助けに出ても、犠牲者が増えるだけだ。
クラウストラが、遠距離攻撃の魔法で倒しても倒しても、布の渦からは、新手が次々涌いて出る。ロークには二人組を止められる手段がなかった。
破裂音と同時に何台もの車が傾く。
転がった懐中電灯の強い光が、車体の下を照らす。土魚がタイヤのゴムを齧るのが見えた。
倒れた男性が動かなくなり、クラウストラは救助対象を全弾撃ち尽くした警察官に変えた。布の前に現れた渦が小さくなって消え、【召喚布】の四隅に付いた宝石が輝きを失う。
知らない声が、耳に馴染んだ【跳躍】の呪文を唱える。
詠唱の声に被せ、【召喚布】を持つ者がロークに声を掛けた。
「ロークさんの仲間……だよね? ヂオリートが学校は手遅れだって言ってたって、伝言よろしく」
顔は違うが、声はヂオリートだ。
もう一人が結びの言葉を唱え、一方的な伝言を残して二人の姿が消える。
「お巡りさん! コンクリート! 講堂の庇の下に入って!」
呪文の合間にクラウストラが叫ぶ。
警察官二人は警棒で土魚を殴りつけ、講堂へ躙り寄る。
ロークはコンクリートの床伝いに駆け寄った。予想通り、土魚の群が怯む。
……魔獣としては弱いもんな。
警棒で殴られ、ぐったりした土魚が地面に落ちた。瞬く間に同族が集り、共食いが始まる。
警察官の一人がコンクリートの床に転がり込む。庇の下は一メートルあるかないかの幅だ。クラウストラの術が、彼に喰らい付いた土魚を一掃する。
「お巡りさん! 手!」
ロークは手を伸ばし、もう一人の腕を掴んで引っ張り上げる。警察官を齧る土魚は、クラウストラが始末した。
だが、校庭の土中には、無数の土魚が犇めく。分厚い胸鰭が土竜のような爪で土を掻く。異界から呼び出された魚たちは、水中を泳ぐようにすいすい移動する。
駆け寄ったクラウストラが【魔除け】を唱えると、ロークたちの周囲から魔獣の群が姿を消した。
あちこちでタイヤの破裂音と悲鳴が上がる。
土魚は、淡い真珠色の光に包まれた【魔除け】の効果範囲内には入らないが、血の臭いに惹かれるらしく、ロークたちを遠巻きにする。
警察官二人は肩で息をして震え、車中泊の住民を助けるどころではない。食い千切られた制服には血が滲み、脛など肉の薄い部分は骨が露出する。
クラウストラに肩をつつかれた。
「手当て」
「あッ……」
鞄を探って鎮花茶の残りをクラウストラに渡し、【魔力の水晶】を握って【癒しの風】を謳う。運転席の扉が開け放たれた車の辺りから、骨が砕けるらしきイヤな音が聞こえた。
食用魚なら大型だが、魔獣としては小型だ。【魔力の水晶】で発動させた【魔除け】程度で防げ、普通の警棒や、拳銃の通常弾でも倒せるくらい弱い。
だが、魔術による護りを捨てた力なき民のキルクルス教徒にとっては、簡単に死の淵へ引きずり込まれる脅威だ。
クラウストラがトートバッグから【無尽の瓶】を出し、鎮花茶を煮出した。
ロークは【癒しの風】を二度繰り返す。
「彼は今、術で応急処置をしています」
警察官二人の顔色が幾分かよくなり、クラウストラが説明した。ロークが謳う呪歌【癒しの風】は、童歌めいた明るい旋律で、場違いこの上ない。
「君たちは一体?」
「駆除屋です」
クラウストラが短く応え、校庭を悠々と泳ぐ土魚群を油断なく睨む。
「何でこんな時間に?」
「情報屋からテロのタレコミがあって」
「何故、先に通報……」
「電話もネットも使えないし、ここ初めてだから、来るの時間掛かったし、警察に教えたって、どうせこんなカンジで負けるだけなのに?」
クラウストラは批難がましい質問を遮り、早口で答えた。
警察官が歯を食いしばる。
呪歌は終わったが、二回謳っても、塞がったのは浅い傷だけだ。骨が見える程の傷からは、出血が止まない。
「土魚は土の中しか移動できないの。日中は光を避けて土中に潜るけど、車の影があるから、校庭はずっと危険だと思って」
「どうすれば……」
「そのくらい自分で考えなさいよ」
クラウストラはロークの腕を掴み、【跳躍】を唱えた。




