1698.真夜中の混乱
サリクス市のアニモシタス宅で夕飯をご馳走になり、仮眠を取る。
ロークは眠れないかと思ったが、いつの間にか意識を失った。クラウストラに揺り起こされたのは、二十三時少し前だ。
音量を絞ったラジオから時報が流れる。
ロークはソファに身を起こし、【化粧】の首飾りで顔を変えた。
「午後十一時になりました。夜のニュースをお送りします。今日、午前八時十五分頃、スピナ市中央商店街に魔獣の群が出現しました。大型犬程度の大きさの灰色の魔獣で、目が四つあることから、四眼狼と断定されました。朝の通勤時間帯で出勤途中の市民が襲われ、負傷者十八名、内五名は意識不明の重体です。死者はありません」
深夜の居間にアナウンサーの声が流れる。
「四眼狼は七頭で、公衆電話からの通報を受け、現場に駆け付けた警察官が、その場で一頭を射殺しました。スピナ市警が規制線を張り、周辺住民を避難させた上で駆除にあたりました」
このニュースでも、ランテルナ島の魔獣駆除業者の存在には、一言も触れない。
「射殺した四眼狼の死骸から、蝙蝠のような翼を持つ赤い蛇のような魔獣、鮮紅の飛蛇が三頭出現し、警察官五名が負傷しました。怪我の程度など、詳細は不明です。午後九時二十二分頃、スピナ中央商店街に出現した魔獣は、駆除が完了しました。夜間の外出は大変危険です。スピナ市立第二小学校、及び第三中学校へ避難した周辺住民は、明日の午前九時から、市が手配するバスで帰宅する予定です」
……終わったのか。
ロークは他人事ながらホッとした。
「夜間の移動は大変危険です。その場に留まって、朝をお待ち下さい」
アナウンサーは、公的な避難所以外に避難した者たちに同じ注意を二度与え、次のニュースを読み上げた。
スピナ―市立第一小学校を隈なく捜索したが、爆発物らしき物はみつからなかった。威力業務妨害事件として、捜査を開始すると言う。
クラウストラがラジオの電源を切り、ロークと手を繋いだ。
跳んだ先は、スピナ市立第三中学校だ。どうやら、体育館の裏手らしい。
中で悲鳴が上がった。
「おいッ! 静かにしろ!」
「ら、ラジオ! ラジオ!」
「ラジオ! もっとボリューム上げて!」
窓すれすれの壁にぴったり張り付いて、全神経を耳に集中する。
複数のラジオが同時に同じニュースを流し、声がややズレて聞こえた。
「ニュース速報をお伝えします。つい先程、スピナ市警から入った情報です。避難所となったスピナ市立第二小学校で、魔獣の群が出現しました。出現数、及び種類の特定はできておりません。多数の魔獣が出現し、現場はかなり混乱しているとのことです。スピナ市立第二小学校周辺にお住まいの方々は、戸締りをしてクローゼットなど、窓のない部屋へ避難して下さい」
アナウンサーの緊迫した声が、避難の件を三度繰り返す。
ロークはクラウストラを見た。彼女は表情を動かさず、手振りで移動を促す。身を低くして窓から離れ、体育館と講堂の間で立ち上がる。
「様子、見に行きますか?」
「場所がわからん。【歩む鴇】学派の【目印】でも使えるなら別だが」
「知らない場所でも、跳べる術があるんですね?」
「普通は、うろ覚えの場所へ跳ぶ補助的な術だ。上位の呪印を用いた応用版の呪具を使えば、術者は“自分が作った呪具”を置いた場所へ跳べる」
「その道具……他の人が運んでも?」
「その通りだ」
嬉しくない話を聞いた気がするが、クラウストラは唇の端を上げた。
「どの途、別の同志の担当区域だ。任せよう」
行ったところで、ロークが足手纏いになる。
このスピナ市立第三中学校での召喚予告も、嘘か本当かわからない。向こうへ駆け付けた隙にこちらでも召喚される可能性があった。
二人は講堂の壁に沿って移動し、植込みから校庭を窺う。
夕方見た軍の輸送トラックはなく、乗用車が増えた。パトカーとスピナ市危機管理対策室の車輌は、まだある。
教室の灯は消してあるが、廊下は明るい。トイレに行く人用だろう。
警察無線のくぐもった声が、深夜の校庭に響く。
パトカーの車輌番号と応援の手配らしいが、聞き慣れないロークには、雑音の多い不明瞭な声を拾うのが難しい。
電話もインターネットも使えない現在、日没後はランテルナ島へ引き揚げる魔獣駆除業者を呼び戻すのが難しい。
……夜だし、流石に軍も動くだろうけど。
第三中学を警護するパトカーの半数が、夜の街へ静かに出て行った。
周囲の民家は灯が消えた窓が多い。
クラウストラが小声で【魔力検知】を唱えた。
視界の端で何かが動く。校舎から人が出て来た。廊下の灯で逆光になってよくわからないが、体格は成人男性だ。
……ラジオで聞いて、お巡りさんに確かめに来たとか?
突然、人影がふたつに増えた。
「あれだ」
クラウストラが低い声で示し、続けて力ある言葉を囁く。
ロークは【魔力の水晶】を握り、左手の【守りの手袋】で【不可視の盾】を掛けた。
彼女が立ち上がり、何かを投げる。ルフス光跡教会で見た光の条が、乗用車の屋根すれすれに飛び、夜の校庭を横切った。
……生身の人間相手に【光の槍】?
一撃で爆撃機を墜とす術が、後から現れた人物に命中する。光は何かに当たって砕け散り、二人がこちらを向いた。
「講堂へ逃げろ」
声を残し、クラウストラが植込み沿いに駆ける。
ロークは指示通り、彼女とは反対方向へ走った。
……あ、そっか。【不可視の盾】だ。
ネモラリス憂撃隊には呪医セプテントリオーが教えた。クリューヴがまだ居るなら、後輩のゲリラにも教えるだろう。彼が居なくても、退役軍人などが加われば、同じことだ。
「ロークさんの仲間?」
足が止まる。
ヂオリートの声は車列の間から聞こえた。既に校舎の出入口に人影はない。
クラウストラは答えず、再び呪文を唱える。
「でも、もう遅い」
ヂオリートの声が、力ある言葉の単語を発した。同時に【光の槍】が彼の頭へ着弾する。ワゴン車が二台並んだ場所で、まばゆい光が炸裂した。
ロークが恐る恐る目を開けると、青白く光る板が、車の屋根を繋ぐ形であった。
ここからは十メートルくらいだが、迂闊に出てゆけば、クラウストラの足を引っ張る。
ワゴン車の車内灯が点き、運転席の不安な横顔と、見知らぬ二人の姿が浮かび上がる。
一人は、複雑な模様が描かれた布を広げて持つ。四隅の宝石が警察官の強力な懐中電灯で輝く。
夕方の調査で、クラウストラは微弱な魔力を検知した。【歩む鴇】学派の【魔力検知】の術は、魔力源はわかっても、力ある民と魔法道具の識別まではできないらしい。
彼女は無自覚な力ある民だろうと言ったが、そのひとつは【化粧】の首飾りだったらしい。
布の模様がぐにゃりと歪み、渦を巻いて見えた。
☆【歩む鴇】学派の【目印】……飛翔する燕(https://ncode.syosetu.com/n7641cz/)の「15.不審な小屋」参照
☆日没後はランテルナ島へ引き揚げる魔獣駆除業者……「1314.初めての来店」「1315.突然のお誘い」、「1694.足りない業者」参照
☆ルフス光跡教会で見た光の条……「1076.復讐の果てに」参照
☆一撃で爆撃機を墜とす術……「757.防空網の突破」「758.最前線の攻防」参照
☆【不可視の盾】/ネモラリス憂撃隊には呪医セプテントリオーが教えた……「0261.身を守る魔法」参照
☆退役軍人などが加われば……既に居る「814.憂撃隊の略奪」参照
☆クラウストラは微弱な魔力を検知……「1697.避難所で捜索」参照




