1696.ふたつの危機
運転席のアニモシタスが、呻くような低い声を漏らす。
「どうして……軍は、助けてくれないのですか……」
「何せ、陸軍の対魔獣特殊作戦群は少数精鋭ですからね。装備も人員も、首都防衛に」
「ウチの子を見殺しにして! また! みんな! 見殺しにするんですかッ!」
叫びと同時に両拳をハンドルに叩きつけた。クラクションが鳴り、ギョッとした警察官の視線が集まる。パトカーで待機する者たちも降りて来た。
……マズいな。
ロークは鞄を探った。香草茶と鎮花茶も持って来たが、薬効があるのは芳香だ。
警察官の目の前で【操水】を使って煮出してもらうワケにはゆかない。
「おばさん、しっかりして! 早く迎えに行かないと!」
ロークは後部座席から身を乗り出し、アニモシタスの肩を叩いた。振り向いた目は、どこに焦点を結ぶかわからない。
「お巡りさん、塾、第三中学の近くなんですけど、あの辺って大丈夫ですか?」
「第三中学は今、避難所になってるよ」
「爆破予告の件で、第一小学校の周辺住民も避難してるんだ」
「どこ通って行けばいいですか?」
クラウストラが聞くと、警察官はタブレット端末を出した。
「奥さん、大丈夫ですか? 言いますよ?」
「こっちの道は大丈夫ですから、落ち着いて運転して下さい」
警察官たちがやさしく声を掛けると、アニモシタスはぎこちなく頷いた。
「カーラジオを点けて下さい。避難所情報を発表してますよ」
「陸軍広報課の発表によりますと、十六時二十分現在、スピナ市立第一小学校では、陸軍の爆発物処理班による捜索が続行中です」
アナウンサーは同じ内容を二回繰り返して続けた。
「また、スピナ中央商店街では、本日十一時四十六分頃に出現した魔獣の群との戦闘が続いているとのことです。既に二頭の駆除を終えました。残る五頭も規制線内に留め、駆除作戦が続行中です。対象地域の住民のみなさまは、安全が確保されるまで、決して外出しないよう、お願いします」
指定避難所として、スピナ市立第二小学校と第三中学校、それぞれが受け容れる地区名が読み上げられた。
警察官の一人が地図を見せながら、ゆっくり説明する。
この道路を直進すれば、すぐ第三中学校だが、かなり迂回しなければならない。
「今、ラジオで言ってますけど、この規制線の先の住民も、第三中学と第二小学校へ避難してます。焦る気持ちはよくわかるんですけど、避難所付近は混雑してますから、くれぐれも交通事故に気を付けて、ゆっくり運転して下さいね」
噛んで含めるように言われ、アニモシタスがこくりと頷く。
「親戚のお子さんは、塾が外へ出さないでしょうから、大丈夫ですよ」
「……わかりました」
アニモシタスは、抑揚のない声で礼を言って会釈した。
「それでは、くれぐれもお気を付けてー」
「日没までに帰宅して下さーい」
規制線を守る警察官たちが、バックした乗用車に手を振る。
教えられた通り、ふたつ前の信号まで戻って右折した。
ロークが鎮花茶を一撮みして、クラウストラに見せる。
彼女はトートバッグから【無尽の瓶】を出し、【操水】で一口分だけ湯を沸かした。宙で薄く広げられた熱湯に乾燥した花をパラパラ振りかける。湯が花を包んで球状になり、再沸騰する中で、乾いた花弁がふわりと開いた。
甘い芳香が車内に満ちる。
「……ごめんなさい。取り乱したりして」
「いえ、そんな、急でし」
「それより、お巡りさんが言ってた道、わかりますか?」
クラウストラがロークを遮って聞く。アニモシタスは前を向いたまま頷いた。
鎮花茶が宙で薄く広がり、芳香が更に強くなる。
クラウストラは、トートバッグからポケットティッシュを出して一枚広げた。熱湯から排出された花弁を包んで丸め、助手席に置く。
洟をかんだティッシュのようで、汚らしい。
バックミラーで運転手の眉間に皺が刻まれたが、クラウストラは構わず紙コップをひとつ取り出した。宙に浮いたお茶を回収し、信号が赤に変わるのを待って運転席に差し出す。
アニモシタスは、丸めたティッシュをダッシュボードに置いた。
クラウストラは何も言わず、紙コップを後部座席のドリンクホルダーに挿す。
カーラジオが、スピナ市の臨時ニュースを伝える。
爆破予告と魔獣駆除が、隣接する地区で同時に発生し、軍の爆発物処理班と市警による捜索と警備が続く。
アーテル国営放送のアナウンサーは、魔獣と戦うのが何者であるか、言わなかった。
しばらく行くと、ガラガラだった四車線道路に乗用車が増えた。
地図と街並を見比べる。シャッターの降りた百貨店をみつけて端末を撫でると、地図の端に目標のスピナ市立第三中学校が現れた。
路上駐車が一気に増えたが、歩道の警察官たちは取締る様子がない。
「ここはもう満員です。第二小学校へ移動して下さい」
パトカーのスピーカーから、同じ誘導が何度も流れる。
「どうしましょう?」
「人を捜すフリで内部を調査します。あなたはここで待機して下さい」
「わたし一人で、ですか?」
「何かあれば、すぐ自宅へ帰って下さい。私たちは別の方法で移動します。十七時三十分を過ぎても戻らない場合も、同様です」
アニモシタスは落ち着いた顔を正面に戻し、クラウストラの淡々とした指示に顎を引いた。
路駐の乗用車が一台、駆け寄った人物を乗せて急発進する。
「呪文を唱え終わったら、そこへ停めて下さい」
クラウストラはアニモシタスの返事を待たず、【歩む鴇】学派の【魔力探知】を唱えた。乗用車が指示通り、路傍に停まる。
二人が校門まで行くと、警察官に呼び止められた。
「ここはもう満員だから、第二小学校へ行くんだ。いいね?」
「さっきラジオで聞いて、親戚を迎えに来たんです」
「ここに避難したっぽいんで」
ロークが発表にあった町名を告げると、もう一人の警察官がバインダーに挟んだ図面を捲り、教室を教えてくれた。
避難民は、講堂、体育館、教室に分かれて身を寄せ合うと言う。
クラウストラが悲愴な顔で礼を言い、グラウンドを横切って校舎へ駆ける。ロークは慌てて追った。
校庭の中央には、ワゴン車が二台停まる。ボンネットに「スピナ市危機管理対策室」の小型横断幕を取り付けた車輌の傍で、腕章を巻いた男性と警察官が、小声で話し込む。声は聞こえるが、内容までは聞き取れなかった。
大人の話し声と赤ん坊の泣き声が廊下に漏れる。
教室の扉には、町名と街区を印刷したコピー用紙がテープで貼ってあった。




