1692.空費した時間
ロークは、一人で獅子屋へ行った。
呪符屋のゲンティウス店長に「今日は交代で一人ずつ昼休みにしろ」と言われたのだ。
ロークは、クルィーロが獅子屋に預けた手紙を受取った。
「あなた、ロークって呼称だったのね」
「ごはん食べるだけだと、なかなか名乗る機会ありませんからね」
「それもそうね。日替わり定食、もう少し待って下さいね」
手紙を渡した給仕の女性が、エプロンドレスを軽やかに翻して厨房へ退がる。
クルィーロが呪符屋へ行かなかったのは、ヂオリートが獅子屋に確認する可能性があるからだ。仲間の賢明な判断に感謝して開封した。
昼食時の喧騒が遠くなる。
ルフス神学校に居た頃、ヂオリートとは付合いらしい付合いがなかった。
彼の筆跡を知らないのが悔やまれる。
【明かし水鏡】か【鵠しき燭台】があれば、誰が書いたか、少なくとも、ヂオリートか否かはわかるが、ここにはなかった。
再び短文に目を通し、差出人名のない封筒に仕舞う。
……早く食べて、クロエーニィエ店長に聞こう。
ネモラリス憂撃隊が【召喚布】を入手。
スピナ市立第三中学校で召喚する予定。
手紙の受取りが遅れたせいで、決行日が明日に迫る。
クルィーロが獅子屋に手紙を預けた日、スキーヌムが王都へお使いに出された。ロークは一日中、店番の予定だったが、スキーヌムと入れ違いでクラウストラが来た。アミトスチグマ王国のマリャーナ宅への呼出しだ。
「おいおい、今日はこっちの店の日だろ?」
「フィアールカさんからの伝言で、アーテル共和国の大統領選挙が近い為、連絡を緊密にしたいとのことです」
呪符屋のゲンティウス店長は渋い顔をしたが、仕方なくロークを送り出した。
しかし、そのクラウストラも、運び屋フィアールカから緊急の用で呼出され、報告会の途中で王都ラクリマリスに跳んだ。
力なき民のローク一人では、アミトスチグマ王国の夏の都から、ランテルナ島の地下街チェルノクニージニクに戻れない。
クラピーフニク議員たちはランテルナ島に土地勘がなく、針子のアミエーラは土地勘はあっても、まだ【跳躍】の術が使えない。
申し訳なさで小さくなるアミエーラを宥めて待ったが、クラウストラは閉門時間を過ぎても戻らなかった。
運び屋フィアールカがロークを迎えに来たのは、翌日の夕方だ。
移動時間を考えると、地下街に着く頃には飲食店の営業時間が終わる。夏の都を囲む防壁の門へ向かう道すがら、サンドイッチを買って歩きながら話を聞いた。
……なんでいちいち俺を巻き込むんだよ。
運び屋から事情を聞いて、所在不明のヂオリートに腹が立った。
手紙を読んだ今は、当日に受取れなかった行き違いに苛立つ。ロークの手に渡るまで二日も無駄に費やされた。
数ヶ月前、銀鱗の虫魚が大発生し、アーテル共和国本土で全学校園の休校装置が始まる。
その前に行われた大統領選第二回予備選は、魔獣の出現で投票率が過去最低を記録した。
今回は何を召喚するつもりか不明だが、場所は公立中学だ。
アーテル共和国内の報道によると、電子投票の準備は思うように進まず、紙の投票用紙が郵送された。何事もなければ、来週には期日前投票が始まる。
恐らく、選挙妨害が目的だろう。
もしかすると、単純に人が集まる場所を狙って平敷などを召喚し、効率よくアーテル人を殺傷したいだけかもしれない。
……何で俺に犯行予告を?
逃亡犯ヂオリートの考えが全く読めない。
アーテル人のヂオリートが、大統領選挙の妨害と無差別大量殺人を予告し、ネモラリス人のロークがそれに気を揉む。
あべこべの立場も、ロークの神経を逆撫でした。
定食をもそもそ口に運んで待つ。
郭公の巣のクロエーニィエ店長が、いつものエプロンドレス姿で現れた。カウンターで食べるロークの隣に席を取る。
「あら、あなた一人なんて珍しい。眼鏡の坊やはどうしたの?」
「今日は店長さんが交代でお昼に行けって。あの、それで、今すぐフィアールカさんに連絡したいんですけど、何とかなりませんか?」
ロークは封筒の中身を素早く開いた。
「何これ?」
「ヂオリートから俺宛です。さっき、ここに預けてあったのを受取りました」
「あなたを王都へ連れてけばいいのかしら?」
「いえ、端末は昨日、データの授受で仲間に預けて来たんです」
ロークは封筒に戻し、クロエーニィエの前に置いた。
給仕が来て注文を取る。彼はロークに困った顔を向けた。日替わり定食を頼み、給仕が去るのを待って言う。
「クルィーロさんはどう?」
「今日の予定はわかりません。一昨日、王都で偶々ヂオリートと鉢合わせして、この手紙を託って、依頼通りここに預けて、ネモラリス島へ戻ったそうです」
「今、彼女の連絡先、わかるかしら?」
ロークは手帳を捲った。
落とした時の用心として、誰のメールアドレスも記録しなかった。
だが、ファーキルのSNSアカウント「真実を探す旅人」は、自己紹介ページのURLを控えてある。
「ファーキル君のSNS経由で何とかなりませんか?」
「その前に教えて欲しいんだけど、あなた、このヂオリートってコが、どうしてあなたにだけ教えたか、わかるかしら?」
「わかりませんよ。何のイヤがらせでこんなコトするんだか」
ロークが拳を握ると、クロエーニィエは困った顔に微笑を混ぜた。
「あなたに止めて欲しいんじゃないかしら?」
「えぇッ? ……そりゃまぁ、知ったからには阻止したいですけど」
……こんなコトしたって、アーテル人に逆恨みされるだけで、戦争は終わらないのに。
「お婆さんの居ない時に偶然会った共通の知り合いに手紙を託て、行きつけのお店に預けるなんて、まどろっこしいコトしてまで、あなたにだけ伝えたのよ」
「巻き込まれて迷惑ですよ。気が変わって計画を阻止したいなら、警察でもどこでも言えばいいのに」
「まぁいいわ。あなた自身は、どんな手段を使ってでも、阻止したい?」
「勿論です」
考えるまでもなく応える。
魔物の大量召喚は明日だ。一刻の猶予もなかった。




