1690.遺された魔術
タブレット端末の小さな画面で再生されたのは、並の辞書より分厚い聖典をゆっくり捲る動画だ。
文字だけのページは二割程度しかない。
第一の部分は、キルクルス・ラクテウスが自ら著したとされる文章の断片を集めた精光記。
第二の部分は、聖者の存命中、弟子や親しい者が言行を記録して、死後にまとめた光跡記。
残る八割は星道記だ。
冒頭は、祈りの詞とその解説。
次の扉絵には、胸を張り、尾羽を頭へ反らして歌う小鳥の細密画が描かれる。音楽分野の章だ。聖歌の楽譜と歌詞、その詳細な解説が記録される。
一般向けの聖典では、楽譜の歌詞が古い共通語だが、この分厚い聖典の楽譜は、大半の一般信徒には読めない文字で記される。
ファーキルもよく目にする文字だが、まだ自力では読めない。
無音だった動画に女性の歌声が入る。
旋律は、ファーキルが実家に居た頃、教会で何度も聞いた聖歌と同じだが、歌詞はこの聖典にある言語で、何を言うか聞き取れない。辛うじて、力ある言葉だとわかるだけだ。
アミエーラの澄んだ女声が、続けて一般信徒向けの聖典と同じ歌詞で歌う。
ラゾールニクが動画の再生を一時停止した。
「司祭様、扉絵の小鳥、何て種類か知ってます?」
「鷦鷯です」
レフレクシオ司祭は、タブレット端末の小さな画面から視線を動かさず、即答した。
「魔法使いの組合……霊性の翼団は、術の系統によって学派が分かれてる。その中に【歌う鷦鷯】って学派があんの、知ってます?」
「いえ……初耳です」
魔法の【灯】と画面の光で仄白く照らされた顔から、さっと血の気が引いた。
「でも、今、気付いたよね?」
ラゾールニクの露草色の瞳が、司祭の目を覗き込む。
レフレクシオ司祭は、言葉を発さなかった。
「研究内容は呪歌だ。歌詞が呪文で旋律にも魔術的な効果がある曲が多くて、両方揃えた上で魔力を籠めて謳わない限り、発動しない。旋律だけに魔術的な効果を持つ曲もあって、そっちは魔力を籠めて楽器を演奏しても発動する」
「呪歌……魔力を持たない人が歌っても、効果は……」
「この曲は、力ある言葉でなきゃ意味ないね。力なき民でも、作用力を補う【魔力の水晶】を握って【歌う鷦鷯】学派の術者と一緒に力ある言葉で謳えば、手伝いくらいはできる」
「手伝い……?」
レフレクシオ司祭が、端末から顔を上げた。
「呪歌は、謳う術者の人数が増えれば、その分、魔力が加算されて効力が強くなる。力なき民でも【水晶】の力を引き出して加勢できるんだ」
若い司祭は頷いて、画面に目を戻した。
「縫製分野の扉絵の鳥、何か覚えてる?」
「葦切です」
ラゾールニクは頷いて動画を早送りした。章が変わっても、アミエーラの歌声は続く。
「学派は【編む葦切】で、魔法の道具とかが研究対象だ。呪符とか、俺が着てる魔物や暑さ寒さから身を守る服、他にも、ガスコンロみたいな感じの生活を便利にする魔法の道具とかも作る」
「では、司祭の衣や祭衣裳は……」
魔法使いの青年は、上着の裾に施された刺繍を指でなぞって言う。
「縫うのは力なき民でもいいんだ。魔力を籠められる素材の糸で縫えば、魔力を籠めて呪文を唱えて魔術的な効果を発動させるとこだけ、【編む葦切】学派の術者にやってもらえばいい」
力ある言葉で謳われた呪歌が、同じ旋律を共通語で歌う聖歌に変わる。
「しかし、着用者に魔力がなければ、魔術的な効果を得られないのではありませんか?」
「いい質問だ。それも、少しなら【魔力の水晶】や【魔道士の涙】で補える」
「では、建築や武器、装飾品の項目もすべて……」
「おっ、流石エリート。飲み込みが早くて助かるよ。舞踊は【踊る雀】学派、建築は【巣懸ける懸巣】学派、武器は【飛翔する鷹】学派、装飾品はモノによるけど【編む葦切】と【飛翔する鷹】、一個だけ【導く白蝶】学派もあったな」
ファーキルも、記録の為に質問する。
「聖者キルクルス・ラクテウスが生きた時代には、アルトン・ガザ大陸北部は、三界の魔物との戦いで荒廃して、魔力がほぼ枯渇してましたよね?」
「聖典だけでなく、歴史書にも、そのように記されております」
「魔力や霊視力を持つ人が、滅多に産まれなくなったのに何故、聖典の八割が、使えない魔法の説明書なんですか?」
「真意は、聖者様ご自身にしかわかりません」
若いエリート司祭は、即座に模範解答を寄越した。予想通りの答えに用意した問いを重ねる。
「司祭様の個人的な感想や推測はどうですか?」
「私の個人的な推測でよければ……聖者様は、三界の魔物を産み出した魔法生物の製造方法などは、人々を破滅に導く悪しき業と定め、固く禁じられました。しかし、魔術のすべてを否定なさったワケではありません」
「いいのもあるんだ?」
ラゾールニクが面白がるような声で聞く。
「人々を守る善き業は、その技術が失われないように記録なさったのかもしれません」
「魔物とかから身を守る術の中から、力なき民でも少しはなんとかなるものを選んで記録……しかも、魔法使いがほぼ居なくなった土地で」
「そう言われてみれば、確かに三界の魔物との戦いで、たくさんの国が滅び、土地も人の世も荒廃して、魔道書もどれだけ残存したか……」
レフレクシオ司祭が、テントの入口に目を遣った。
魔獣などを警戒するクラウストラは全く動かない。
湖面を渡った夜風がテントに忍び入る。
ラゾールニクは聖典を捲る動画を途中で切り上げ、次の動画を再生させた。
「で、こっちはその時代を含む歴史の動画。イヤホン持ってたら入れるけど?」
「あります」
「じゃ、チェルニテース司祭の礼拝動画もつけとくよ」
「えッ?」
レフレクシオ司祭の顔が、驚きと同時に明るくなる。
「お元気なのですね?」
「ラニスタは、アーテル本土やリストヴァー自治区みたいに酷いコトになってないからね」
大聖堂からラキュス湖南地方へ派遣された三人の内、ジンクム教会に居るチェルニテース司祭が一番平穏だろう。
ルフス光跡教会での礼拝中、魔獣の襲撃に遭った上、神学生に刺されたレフレクシオ司祭は、複雑な表情で唇を噛んだ。
☆精光記/光跡記……「554.信仰への疑問」参照
☆舞踊は【踊る雀】学派……「374.四人のお針子」「554.信仰への疑問」「555.壊れない友情」参照
☆建築は【巣懸ける懸巣】学派……「896.聖者のご加護」参照
☆司祭の衣や祭衣裳……「554.信仰への疑問」「555.壊れない友情」「742.ルフス神学校」「905.対話を試みる」参照
☆私の個人的な推測……「1072.中途半端な事」「1073.立ち止まろう」参照
☆人々を守る善き業
アーテルの一般人の認識……「1296.虚実織り交ぜ」参照
ウェンツス司祭の見解……「1574.教えを引継ぐ」「1575.学ぶ覚悟と志」参照
フェレトルム司祭の見解……「896.聖者のご加護」「897.ふたつの道へ」「1575.学ぶ覚悟と志」参照
チェルニテース司祭の見解……「1570.本格的な聖歌」参照
☆その時代を含む歴史の動画……「1563.ふたつの歴史」~「1565.紛争の起爆剤」「1607.現実に触れる」参照
☆礼拝中、魔獣の襲撃に遭った上、神学生に刺されたレフレクシオ司祭……「1075.犠牲者と戦う」「1076.復讐の果てに」参照




