1689.時が救わぬ傷
ランテルナ島の廃港は人家から遠い。
カルダフストヴォー市の北西に位置する為、テントに点した【灯】はアーテル本土からは見えない。
ラキュス湖が揺れ、壊れた岸壁を洗う。
こびりついた塩分が、細い月光に煌めいた。
ラゾールニクが軽い調子で話題を変える。
「信者はどう? そろそろ落ち着いた?」
「いえ、寧ろ……時の経過と共に苦しみを訴え、救いを求めて来られる信徒は増えました」
「時間が心の傷を癒すと思ってましたけど、違うんですか?」
ファーキルが意外に思って聞くと、レフレクシオ司祭は目を伏せて脇腹に手を当てた。
「私は幸い身体の傷は癒え、命は助かりましたが、痕が残りました。それはあの日、礼拝堂に居合わせた信徒、救助に当たった方々、遺族の皆様の心も同じです」
「同じ……? 怪我しなかった人もですか?」
ファーキルが首を傾げると、隣に座るラゾールニクが唇を歪めた。テントの前で魔獣などを警戒するクラウストラの背中は動かない。
「同じ経験をした人が身近に居ない場合、何事もない日常に取り残され、却って心の傷が深くなることがあります。それが原因か不明ですが、事件から一年以上経てPTSDの症状が顕在化した方々も居られます」
「他は全部いつも通りなのに、大切な人が居ないのが辛い……みたいなコトですか?」
ファーキルが考えながら言葉を並べる。
礼拝堂で魔獣に立ち向かい、横から人間に刺された司祭は頷いた。
「それもあります」
「それ、も? 他にもあるんですか?」
「いつまでも事件に囚われてはならない。前に進まなければならない……周囲からの有形無形の圧力があります」
「あー、それは何か、キツいのわかる気がします。悲しみや苦しみを表したり、誰かを憎んだり許せなかったりするのを批難されるってコトですよね?」
レフレクシオ司祭は、泣きそうな顔に微笑を浮かべた。
「そうです。愚痴を聞かせるのも限度がありますので、批難する人を一概に悪者にはできませんが、中には、本当にそんなコトがあったのかなどと、あの事件や礼拝堂内の状況を信じてもらえず、苦しむ方々もいらっしゃいます」
「同じ苦しみを知る聖職者が何人も居るから、怖い目に遭った現場だけど、ルフス光跡教会へ通うってコトか」
ラゾールニクが、レフレクシオ司祭の目を見て言う。
「礼拝堂内の様子は、あまりの惨状に報道されませんでしたからね」
ファーキルは、クラウストラがタブレット端末で撮った動画を見たが、大型の双頭狼が次々と人を噛み殺してゆく様に吐き気を催した。
魔獣の牙から逃れようと、多数の信徒が一斉に礼拝堂の扉へ殺到し、狭い会衆席の通路では複数の群衆雪崩が発生。後日の検証報道によると、魔獣の牙に掛かった者より、人間に踏まれるなどして圧死した犠牲者の方が多かった。
負傷者も九割方、転倒、会衆席への圧迫、我先に逃げる人間による殴打、突き飛ばし、踏みつけなどによる打撲や骨折だ。
雑妖などは、写真や映像に残ることもあれば、人の目には視えても記録できない場合もある。
ロークの報告では、双頭狼の頭部は人間の男女だが、SNSで出回った画像は狼の頭部だ。人間の怨念も、霊視力では知覚できても、機械の目には映らない場合があるのかもしれない。
クラウストラの他にも、逃げながら動画を撮影した者が居るが、SNSで公開されたものは、いずれも不鮮明だ。
生存者は、双頭狼の牙が届かない位置から撮った者ばかりで、逃げ惑う群衆に遮られ、双頭狼が入った動画は一件もない。
それらも、アーテル政府がその日の内に削除し、閲覧できた者は少なかった。
生存者が「双頭狼の頭は人間の顔だった」と言っても、嘘吐き呼ばわりされたであろうことは、想像に難くない。
恐ろしい体験を頭ごなしに否定されれば、傷付き、孤独を深めるだろう。
クラウストラが【光の槍】でゲリラの【魔道士の涙】を打ち砕き、怨念に縛られた魔獣を仕留め、結果的に多くの命を守った。
あの場に居合わせた者は、【涙】から溢れた強い悲しみを追体験させられたが、これも、機械による記録には残らなかった。
強い恐怖によって記憶に混乱が生じたか、幻覚を見たのだと否定されただろう。
「生存者は、あれが現実にあったコトだって確認したいんだろうなって思いますけど、遺族は……」
「遺族の方々も、大切な人を奪われた辛い出来事を否定され、早く過去の苦しみを忘れて前へ進めと圧力を掛けられて、孤独を深めておられます。同じ悲しみと苦しみを知る我々に共感を求めて来られるのです」
「時間が解決するどころか、時が経てば経つ程、孤独が深まって傷が増えてく人も居ンのか」
ラゾールニクが頭を掻いた。
クラウストラはテントの周囲を警戒し、内部の会話に全く反応を示さない。
「はい。星の囁きに来て、ただ涙を流して帰る方もいらっしゃいます」
「礼拝に来る人、通信遮断前と比べて増えた? 減った?」
「激減しました。私が礼拝に復帰してからは、生存者や遺族の参列が増えましたが、通信遮断後は、再び減りました」
「魔獣対策で外出制限だっけ? 礼拝堂も安全じゃないって証明されたようなモンだし、特殊部隊が警備してても、そりゃ来ないだろうな」
レフレクシオ司祭は、硬い表情で頷いた。
しかも、彼を刺した殺人未遂犯ヂオリートは、現在も逃亡中だ。
「あの時の動画、双頭狼の頭が人間のがあるんだけど、ネットに出していい?」
「アーテル領内では、視聴できませんよね?」
「ラニスタやバルバツムに避難した人は見られるし、礼拝堂は安全じゃないって世界中のキルクルス教徒に伝えるのも、目的なんだけど」
ラゾールニクが畳みかける。
「真実を探す旅人さんのアカウントではなく、国外に避難した遺族が、遺品の端末から公開したことにするのがいいでしょうね」
「聖職者が嘘吐いていいの?」
ラゾールニクがニヤリと口角を上げる。
「あなた方に害が及ばないようにしたいのです」
「わかった。有難う。それから、司祭様に見てもらいたい動画が二本あるんだけど、時間、大丈夫?」
ラゾールニクは返事を待たず、端末を操作した。
☆そろそろ落ち着いた?……「1426.真夜中の湖畔」~「1429.拡散する楽譜」参照
☆あの日、礼拝堂に居合わせた信徒……「1075.犠牲者と戦う」~「1077.涸れ果てた涙」参照
☆礼拝堂内の様子は、あまりの惨状に報道されませんでした……「1099.その罪の行方」参照
☆クラウストラがタブレット端末で撮った動画/SNSで公開された画像……「1099.その罪の行方」参照
☆【涙】から溢れた強い悲しみを追体験……「1076.復讐の果てに」「1077.涸れ果てた涙」参照
☆星の囁き/特殊部隊が警備……「1428.客寄せの司祭」参照
☆彼を刺した殺人未遂犯ヂオリートは現在も逃亡中
殺人未遂……「1075.犠牲者と戦う」「1076.復讐の果てに」参照
逃亡中……「1119.罪負う迷い子」「1275.こんな場所で」~「1279.愚か者の灯で」「1434.未来の救世主」「1435.詳しい者の案」「1675.逃亡犯の依頼」~「1677.分かれて行動」参照
☆礼拝堂は安全じゃないって世界中のキルクルス教徒に伝える……「432.人集めの仕組」「1107.伝わった事件」参照




