1688.三日月の密会
ファーキルは、ラゾールニクの【跳躍】で、ランテルナ島の土を踏んだ。
ネモラリス人ゲリラの拠点で暮らしたのは、もう一年半以上も前になる。
初夏の夜風がぬるく頬を撫でた。
濃紺の空には三日月が懸かり、ラキュス湖を細く照らす。
あの夏の日、移動販売店プラエテルミッサのみんなで、香草やぬるぬるする薬草を摘んだ廃港だ。
ファーキルは、ラゾールニクに渡された筒状の袋からテントを出した。傘のように骨を開くだけで簡単に設営できる型だ。杭で固定せず、中に座って自分を重しにする。
タブレット端末を取り出したが、報告書通り、圏外だ。
……わかっててもやっぱ、心細いもんだな。
テント本体は防水加工された帆布で、内張りの布には、緑色の糸で防護の呪文と呪印が複数種類、刺繍してある。だが、力なき民のファーキルでは、ひとつも発動しなかった。
ラゾールニクは、テントの前に立って魔物や魔獣を警戒する。
四月末の風に乗って、森の息吹がテントに忍び込む。ファーキルは身震いした。
クルィーロとメドヴェージを襲った鮮紅の飛蛇。
薬師アウェッラーナとソルニャーク隊長を襲った火の雄牛。
ランテルナ島の森には、きっと他にも危険な魔獣が居るだろう。
ラゾールニクは力ある民だが、戦えるか確認したことはない。
警備員オリョールたちがネモラリス憂撃隊を名乗る前、情報収集を担当したが、手違いで戦闘に巻き込まれ、重傷を負ったらしい。
呪医セプテントリオーのお陰で助かったそうだが、今は、人里離れた廃港で、力なき民のファーキルと二人きりだ。攻撃か防禦の呪符を持って来たかも聞きそびれた。
節電モードに切替わり、画面が暗くなる。
タブレット端末を上着のポケットに仕舞い、ウェストポーチから【守りの手袋】と【魔力の水晶】を出す。火の雄牛などに対しては、気休めにもならないが、気持ちを落ち着ける為に装着した。
小石を踏みしめる微かな音に息が止まる。
「お待たせしましたー」
クラウストラの明るい声で硬直が解ける。
大きく息を吐いて、テントの隅に寄った。
ラゾールニクが共通語で改まった挨拶をする。
「夜分、ご足労いただきまして恐れ入ります」
「いえ、こちらこそ、いつも助けていただきまして、恐れ入ります」
応えた声は、動画で何度も耳にした。ファーキルが本人と直に対面するのは初めてだ。
ラゾールニクが小石を拾い、【灯】を掛けて先に入る。
「じゃ、私は見張ってますんで、ごゆっくりー」
クラウストラが敬礼してテントに背を向ける。
「よろしいのですか?」
寝間着姿のレフレクシオ司祭が、腰を屈めた中途半端な姿勢で振り返る。
クラウストラは振り向かず、声だけ寄越した。
「私が強いの、司祭様も見ましたよね?」
「魔法使いの強さは、外見や性別の通りじゃない。あぁ見えて、司祭様よりずっと年上ですよ」
ラゾールニクに流暢な共通語で言われ、レフレクシオ司祭は、表情のない顔で頷いてテント内に腰を落ちつけた。
大聖堂からアーテル共和国へ派遣された司祭は、ファーキルが思った以上に若い印象だ。薄茶色の髪が【灯】の青白い光を淡く返す。
寝間着姿のせいもあって、二十代半ばの「普通の青年」に見える。
プロフィールは公式サイトで確認したが、本人を目の前にすると、データと実像が噛み合う部分と、そうでない部分ができ、不思議な気持ちになった。
「私も近頃、湖南語を多少は聞き取れるようになってきました」
「じゃ、今夜は湖南語で喋っていい?」
ラゾールニクが冗談とも本気ともつかない顔で言う。
「まだ難しい話はわかりませんし、ルフス光跡教会では、わからないフリで通しております」
「そいつぁ賢明だ」
元情報ゲリラがニヤリと笑う。
ファーキルのポケットでは、タブレット端末が会話を録音する。歩哨に立つクラウストラも保険として録るが、どちらもレフレクシオ司祭には内緒だ。
「流石に全くわからないのは不自然ですから、挨拶と短い聖句は湖南語です」
「片言で?」
「えぇ」
「司祭様もワルくなってきたなぁ」
ラゾールニクは笑うが、大聖堂から派遣されたエリート司祭は、浮かない顔だ。
魔法使いの青年は笑いを引っ込め、懐からタブレット端末を取り出した。
「最近の出入り、どう?」
「一覧にある方の一部が、司祭館に通っております」
レフレクシオ司祭も端末を出して、ラゾールニクとファーキルに向ける。
「姿を見た日時を控えました」
ざっと見たところ、最も頻度の高い名は「アムニス」だ。
殺害されたレプス大統領補佐官の後任アングイ・ゲナ氏の秘書で、三十代後半の男性。顔立ちは平凡だが、炎のように鮮やかな赤毛が一際目を引く。
……こんな人、目立ってしょうがないだろうに。
「用件とか、聞き取れた?」
「ハームス司祭の弟さんだそうです」
「わざわざ夜に司祭館へ尋ねて来る身内って多いの?」
「いえ、私が知る限り、彼だけです。アングイ・ゲナ氏が大統領補佐官になってから、秘書のアムニス氏も忙しくなったとのことです」
「他の聖職者は、いつ家族と会うんですか?」
ファーキルが聞いても、レフレクシオ司祭は誠実に応える。
「平日の昼、司祭館の外が多いですね。特に現在は、魔獣の出現が増えて外出制限中ですから、滅多に来られません。聖職者が数日、休みを取って帰省することもあります」
「忙しいから、仕事帰りに寄る。ネットと電話が繋がらないから、直接会って話す。で、郵便で済ませられない急ぎの用。家族の個人的なことなら、周囲も根掘り葉掘り聞けない。……うん。カモフラージュにもってこいの人材だな」
ラゾールニクが記録の為、声に出して確認する。
「あなたも、そう思われますか」
「大統領選の本選は来月半ば、残り半月だ。来る頻度が上がってるの、露骨だよな」
「応接室ではなく、ハームス司祭の私室で話す為、用件まではわかりません」
「いいよ。部屋の場所だけ教えてくれたら」
ラゾールニクが以前、レフレクシオ司祭に渡した端末には、アーテル共和国の政治家と秘書、彼らの家族、財界の大物やその企業の役員、秘書など大勢の肩書き、経歴、関係、顔写真のデータを入れてある。
まとめたのはファーキルだが、全員の顔は覚えられなかった。
……よくあんなに覚えられるよな。
二番目に訪問頻度が高い人物は、アーテル政財界の関係者ではない。
「いつも昼食時に来て、誰かの部屋へ行くようですが、誰と会うかまではわかりません」
「業者とかじゃなくて?」
「私服でした」
一覧にない人物は、日時の他、容姿と服装も記録してあった。
☆あの夏の日(中略)薬草を摘んだ廃港……「475.情報と食べ物」参照
☆クルィーロとメドヴェージを襲った鮮紅の飛蛇……「444.森に舞う魔獣」参照
☆薬師アウェッラーナとソルニャーク隊長を襲った火の雄牛……「477.キノコの群落」~「479.千年茸の価値」参照
☆情報収集を担当したが、手違いで戦闘に巻き込まれ、重傷……「285.諜報員の負傷」参照
☆【守りの手袋】……「0175.呪符屋の二人」参照
☆私が強いの、司祭様も見ました……「1075.犠牲者と戦う」~「1077.涸れ果てた涙」参照
☆レプス大統領補佐官……「0957.緊急ニュース」参照
☆大統領選の本選は来月半ば……二月の予定が「868.廃屋で留守番」→五月に延期「1478.葬儀屋の買物」「1637.気になる隣国」参照




