1687.連鎖する支援
「その、何とかのツルギって子のお兄さん、教科書とか手に入ったの?」
エレクトラが聞くと、ロークは力強く頷いた。
「ラニスタは普通にインターネットが使えますからね。SNSで呼掛けたら、親や祖父母世代の教科書が、物置とかに残ってるって人が、大勢名乗り出てくれたそうです」
「そうよねぇ。ラニスタには百年以上、大きな戦争や内乱がなかったものね」
アステローペが溜め息混じりに頷いた。
予想以上に申し出が多かった為、ジンクム教会の司祭に相談したところ、教団が集めてアーテルの教会へ送ることに決まった。
その件がラニスタ共和国の新聞に載り、古い辞書や教科書だけでなく、わざわざ新品を買って寄付する者も現れたと言う。
「それから、こんな記事もあったそうです」
クラウストラがタブレット端末をラクエウス議員に渡す。老議員は画面からすぐ目を上げた。
「ラニスタ魁日報の記事だな」
「ご存知だったんですか?」
ロークとクラウストラが同時に驚く。
クラピーフニク議員が、横から覗いて頷いた。
「インターネットに同じ記事の共通語版が上がっているのをみつけました。今は報告書用に翻訳中です」
「何て書いてあるの?」
アルキオーネがまどろっこしそうに声を尖らせる。
「小説家が、共通語の辞書と教科書準拠の参考書を大量に寄付したそうです」
ロークが答えると、クラピーフニク議員が記事を読み上げた。
「一昨日、続報もありました。辞書と参考書を合計四十万冊……その寄付額は、ちょっとした地方自治体の予算くらいの規模になります」
「えぇッ? そんなに?」
「その作家って一人なんですか?」
「誰です?」
複数の驚きが重なった。
ロークとクラウストラも初耳だったらしく、目を丸くして聞く。
「冒険者カクタケアの作者、アル・ファルドだそうです」
「作者一人に負担させるのはどうなんだろうって言うファンが現れて、クラウドファンディングを起ち上げました。そちらからの寄付で、作家の支払いを引いて欲しいとのことです」
アミエーラには何が何だかよくわからないが、ネモラリス大使館が麻疹ワクチンの寄付を募った時のようなことが起きたのだろう。
「その申し出を受けて、カクタケアシリーズの版元が、返礼品に作品関連の記念品を提供すると発表したところ、あっと言う間に寄付額が目標を突破して今も続いているそうです」
「あの本は、ラニスタでもそんなに人気なのですね」
呪医セプテントリオーがおっとり質問した。
クラウストラが、若手議員に端末を返してもらって答える。
「開戦後、ラニスタ共和国へ正式な手続きを経て移住したアーテル人は、昨年末時点で約五千六百世帯、九千八百人余りに上ります。届出なしで、別荘や縁故などを頼りに一時避難した世帯は、当局も把握しきれないようで、公式発表はありません。また、湖底ケーブル破断後は、事業所の移転や転勤などで、ラニスタ入りする会社員も増加傾向にあります」
アミエーラは、クラウストラに尊敬の眼差しを向けた。彼女は、役所で書類を見て来たかのようにすらすら答えたが、アミエーラには、外国での人の出入りをどう調べればいいか、全く想像もつかない。
「インターネットで無料公開してる巻もありますし、湖南語が読めて、アクセスできる人なら、国籍に関係なく読むと思いますよ」
ファーキルに言われ、アミエーラは思い出した。確か、最初の三巻までと外伝は無料で読めるのだ。
一緒に冒険者カクタケアシリーズを調べたアルキオーネたちも頷く。
「じゃあ、アーテル人への学習支援は、もう大丈夫なんですね」
「歴史とかは全然ないし、共通語と湖南語、理数系だって足りないのよ」
サロートカが無邪気に喜ぶと、アルキオーネが釘を刺した。
「そうは言っても、難民キャンプの学習環境に比べればずっとマシですよ。アーテルの子供たちは、水汲みや薪拾い、畑仕事や治療の手伝いなどが忙しく、勉強する暇もないなどと言うことはありませんよね?」
日曜以外は難民キャンプに医療支援へ行く呪医セプテントリオーが言うと、アルキオーネは会議机の上で拳を握った。
「でも、アーテルの高校生や大学生は、軍隊に入る子が居るんですよ? ネモラリス難民は、戦場に出ないじゃありませんか」
「だが、ネモラリス憂撃隊に入るやもしれん。どちらも、今、戦いに身を投じざるを得ん境遇を減らすことと、将来の禍根をなくすことが繋がっておるのだよ」
ラクエウス議員が言うと、アルキオーネは拳を開いて溜め息を吐いた。
……私にできることって、何があるんだろう?
慈善コンサートの出演、難民キャンプを守る【道守り】の手伝い、古着の仕立て直しなど、今のアミエーラにできることは、毎日するが、それでもまだまだ「最低限、死なない程度」にしかならない。
それも、アミエーラ一人の力ではなく、大伯母カリンドゥラや大勢の仲間たち、国内外の支援を掻き集めても、やっとそれだけにしかならないのだ。
戦後の生活再建や、貧困の再生産を防ぐ教育までは、なかなか手が回らない。
大人向けの職業教育も、要点をまとめただけの簡単な教材は少し用意できたが、生活を支える作業が忙しく、集会所での勉強会に参加できる大人は多くなかった。
ネモラリス共和国へ帰還できたとしても、元の職場があるとは限らない。また、同じ業種に再就職できるとも限らなかった。
難民キャンプで、建築などの知識と技術を少しでも身に着けられれば、復興特需に乗って、少しでも生活再建しやすくなる可能性が開ける。だが、今、生活を支えられなければ、大森林で生涯を閉じるかもしれないのだ。
何を置いても勉強会に参加せよなどとは言えなかった。
「王都第二神殿のクリューチ神官から、花の種子を分けていただきました」
クラピーフニク議員が話題を変えた。
小麦袋で三袋分ある。【渡り雁金】学派のシーシカから、これまで人を捕えた要の木の言い分を区画毎に書き出してもらった。それを基に配布先を決めたと言う。
ロークが首を傾げる。
「花のタネをどうするんですか?」
「“仲間の木が居なくなって淋しい”と主張する要の木の周りに青いヒナギクの花畑を作る計画です」
「木ではなく、花……? 種類が違うのに大丈夫なんですか?」
クラウストラが懸念を口にする。
「わかりませんけど、植物に詳しいサフロールさんの発案で、神殿の方でも、何もしないよりは、試してみた方がいいだろうとのことで、一部の区画ではもう、種蒔きも終わりましたよ」
「えぇっ? 要の木に近付くのって危ないんじゃ……?」
「種子と被せる土を【操水】で水に混ぜて、離れた場所から蒔いたから、大丈夫だったそうです」
アミエーラが思わず聞くと、クラピーフニク議員は心配ないと微笑んだ。
☆インターネットに同じ記事の共通語版/小説家が、共通語の辞書と教科書準拠の参考書を大量に寄付……「1682.参考書の寄付」参照
☆冒険者カクタケアの作者、アル・ファルド……「795.謎の覆面作家」「1123.覆面作家の顔」「1124.変えたい社会」参照
☆ネモラリス大使館が麻疹ワクチンの寄付を募った時……「1267.伝わったこと」「1305.支援への礼状」参照
☆一緒に冒険者カクタケアシリーズを調べたアルキオーネたち……「1204.彼の地の恋愛」参照
☆大人向けの職業教育も、要点をまとめただけの簡単な教材は少し用意できた……「1599.手に入る教材」参照
☆【渡り雁金】学派のシーシカ……「1184.初対面の旧知」「1593.意識的に視る」「1594.精神汚染の害」「1610.食害された畑」~「1614.まとめる情報」参照
☆植物に詳しいサフロールさんの発案……「1684.孤独を埋める」参照




