1683.第十五診療所
呪医セプテントリオーは、久し振りに第十五診療所へ跳んだ。
大半の難民は雑魚寝の大部屋だが、一応、風雨や魔物を防ぐ住居が行き渡った。
難民キャンプは第三十五区画、人口約四十万人にまで膨れ上がり、患者数と容態にもよるが、一巡するだけでも二カ月近く掛かる。
……そう言えば、彼は種子の採集でよく森へ入るな。
サフロールは、難民キャンプでただ一人、薬草栽培の専門家だ。
住居は、第十五区画診療所の医療者と同じ、個室を備えた丸木小屋を割り当てられたが、薬草園の管理と各区画の担当者への指導、薬草の種子や株の採取で森の奥へ出掛けるなど、留守がちだ。
区画間の移動は、魔法使いの難民に【跳躍】で送ってもらうが、新しい薬草園を開墾する際は、現地に泊まり込む日もある。
彼のお陰で、魔法薬の素材が以前と比べて手に入りやすくなり、助かる命が増えた。
呪医セプテントリオーが【跳躍】した先は、第十五区画の空き地だ。
「あ、センセイだ!」
「診療所のみんなに言って来る!」
寄付されたボールを置いて、年長の子供たちが駆けてゆく。
遊びが中断した幼い子らが、白衣に纏わりついた。
「おじちゃん、おちた」
「今日ね、あのね、倉庫作っててね」
「おじちゃんがね、いたいよーって」
まだ水汲みや畑仕事などを手伝えない幼児たちが、懸命に建設作業中の事故を伝える。
「そうですか。大変なことがあったのですね。でも、今から治しに行きますからね。おじさんもすぐ元気になりますよ」
呪医セプテントリオーが微笑んで頭を撫でると、子供らは安心して白衣から手を離した。
「せんせぇーい、がんばってぇー」
口々に声援を送って手を振るが、親に言い含められたのか、空き地の外まではついて来ない。
かつては伐採した木材を仮置きした場所だが、現在は住居用の小屋に囲まれた何もない空間だ。救援物資の配布なども行い、完全な遊休地ではない。
難民キャンプに【跳躍】除けの結界はないが、要の木との接触を避ける為、各区画の空き地へ跳ぶと決まった。
草原に近い区画では、住居用の丸木小屋を縫う道に【魔除け】の敷石の設置が進む。
寄付だけが頼りで、敷石はなかなか手に入らないが、奥地も含め、各区画に最低四枚ずつ行き渡った。
空き地の四隅などに設置されて【簡易結界】が補強され、取敢えず、囲まれた土地の安全度が気持ち程度は上がった。
未就学児の内、四歳から六歳くらいの子供らは、親たちが働く間、空き地に集められて遊ぶことが多い。
難民キャンプ内には、要の木や建築現場など、危険な場所がある。家族が出払った丸木小屋など、人目につかない場所に子供だけで置けば、心ない大人の手に掛かる惧れもある。空き地に設置された【魔除け】の敷石が防ぐのは、魔物による捕食だけではなかった。
サフロールは丁度、診療所前の薬草園で作業中だった。
階段状に組立てた棚に焼板のプランターを並べ、何種類もの薬草を少ない面積で効率よく育てる。
傷んだ葉をせっせと摘む背に声を掛けた。
「サフロールさん、お久し振りです。お元気でしたか?」
「あ、呪医。お久し振りです。お陰様で元気ですよ。ただ……」
「どうされました?」
サフロールが行列に視線を遣った。治療を待つ患者は診療所の外まで並ぶ。
「後にしましょう。先にみんなをお願いします」
第十五診療所には、薬師と科学の看護師が常駐。呪歌【癒しの風】の謳い手も人数が増えた。爪が割れたなど軽い外傷患者は、呪歌や魔法薬の傷薬で何とかなる。
巡回の呪医セプテントリオーが癒すのは、骨折などの重傷患者だ。
住居が行き渡った現在は、工事関連の負傷者が大幅に減った。第十五区画は周囲を他の区画に囲まれ、森の魔物や魔獣との遭遇も少ない。咬傷などの患者は、狩猟や木の実の採集で、森の奥へ出掛けた者ばかりだ。
……もっと、内科系の医療者を増やせればいいのだがな。
医療者は難民自身では全く足りない。最寄りのパテンス市医師会とアミトスチグマ王国医師会の有志が、交替で巡回診療に来て補ってくれる。
難民には支払い能力がないが、ネモラリス臨時政府は、戦禍とクーデター、麻疹の流行で疲弊し、国内でさえ充分には手が回らない。
ラクエウス議員曰く、イーニー大使がクラウドファンディングで集めた麻疹ワクチン接種資金の一部を医師会に支払ったが、あの程度では昼食代にもならないと言う。
鬱々とした気分で重傷者に癒しの術を使い、まだ入院が必要な患者たちには注意を与える。
外科領域の【青き片翼】学派では、【見診】で薬師を手伝えない。午前の診療を終え、三人居る看護師の内、二人と一緒に休憩に下がった。
医療者用の丸木小屋は、居室は個室だが、トイレと居間兼台所は共同だ。
看護師の家族とサフロールが、お茶を入れて迎える。
呪医セプテントリオーは、小型の【無尽袋】を逆さに振って、揚げ物を挟んだサンドイッチ、具がたっぷり詰まったキッシュ、焼き菓子の入った籠を取り出した。
子供たちが歓声を上げ、賑やかに昼食が始まる。
「外傷の入院が減って、病気の患者さんを受け容れられるようになって助かりました」
「いえ、こちらこそ、来る度に勉強になります」
「呪医の巡回、ごはんも楽しみなんですよ」
「マリャーナさんにお伝えしておきますね」
半分ばかり食べ進めたところで、サフロールが切り出した。
「最近、病院じゃ手に負えない人が増えましてね」
「私たちでは、手に負えない?」
「木の精ですよ。家や畑が増えた分、区画の間にあった森が減って、要の木だけが残ったんです」
「この区画もですか」
「他所もなんですか」
看護師の一人が身を乗り出した。




