1682.参考書の寄付
クラピーフニク議員が、新着記事の見出しを画面上の矢印でつつく。
アル・ファルド氏 アーテルの教会に参考書を寄付
パソコンの大きな画面に表示されれたのは、ラニスタ魁日報の共通語ページだ。見出しの前に「文化」の印が付く。
「初めて見る社名だな」
「ちょっと調べてみましょう」
クラピーフニク議員がすっかり慣れた手つきで検索する。
「……ラニスタ共和国で、星光新聞に次ぐ大手新聞社みたいですね」
「世俗の新聞社か」
改めて記事に目を通す。教科書通りの共通語で書かれた新聞記事は、俗語だらけのコメントより遙かに読みやすかった。
このほど、アーテル共和国の作家アル・ファルド氏が、同国の教会に共通語の学習辞書と参考書を寄付した。
同氏は、若者に人気の冒険小説「冒険者カクタケア」シリーズの著者として知られ、また、印税収入の大半を児童養護施設や、貧困家庭など子供たちへの支援に寄付する篤志家としても知名度が高い。
今回の寄付は、デカーヌス書店株式会社ラニスタ支社の協力で実現した。
教区内に貧困地区を抱える教会を中心に同国内一万カ所を対象として、同社が出版した学習用共通語辞書と、参考書の「教科書準拠 共通語 文法」「同 会話」「同 作文」の計四冊を一カ所につき十組ずつ贈る。
アーテル共和国では現在、湖底ケーブルの破断などにより、インターネット回線の不通が続き、クラウド方式の電子教科書が使えない。
二十年前から順次、教科書の電子化を進めた為、紙版教科書の在庫が乏しく、湖上封鎖による物資不足で増刷も進まない。
魔獣の出現による外出自粛と休校措置が長引き、図書館は貸出し予約が半年以上先まで埋まる。
同国の教育省は、教材と教科書の印刷を急ぐが、戦争による湖上封鎖の影響で原紙価格が高止まりし、予算不足で年度内には必要数を確保できない見通しだ。
保護者らは、学習環境の急激な悪化に危機感を募らせる。
多くの教会では、学習塾に通えない中高生を対象に学習会を実施するが、紙の教科書が不足し、厳しい状況が続く。
同社は、寄付分の増刷を急ぎ、対象の教会へ順次発送する予定だ。
「隣国のニュースなのに随分、詳しいですね。会社はラニスタ支社ですけど」
「出版社の宣伝と寄付集めを兼ねた提灯記事ではないのかね?」
ラニスタ共和国もキルクルス教を国教と定める。
世俗の新聞社のようだが、教団の指示で更なる「自主的な寄付」を促す為に書いた可能性も大いにあり得る。
ルフス神学校で潜入調査を行ったロークも、アーテル共和国内の教育環境が急激に悪化した件を掴んだ。
富裕層は塾や家庭教師、中流層は書店で紙の参考書などを購入できる。だが、戦争に起因する不況や湖上封鎖などにより、多数の倒産や閉店が発生。失業者が激増した。
アーテル共和国では、学校での学費は無料だ。
それでも、開戦後は家計を助ける為、中退して働く高校生や大学生が増加。事業所の減少で男女問わず、若い人材が軍隊へ流れる。
ロークはその流れを少しでも食い止めようと教材確保に動く。
「アーテル人の中にも、同胞を助ける動きがあるんですね」
「そのようだな。だが、まさかこれ程の規模とは……」
個人の寄付としては、莫大な額に上る。
一気に四十万冊も売れるのだから、出版社としては、ちょっとした特需だ。多少の無理を押してでも、刷るだろう。
「ラニスタは開戦直後……ラクリマリスが湖上封鎖を敷くまでは、爆撃していましたが、それ以降は、我が国に対する軍事行動がありませんね」
「そもそも、宣戦布告には名を連ねておらんからな」
「完全に民間への支援に切替えたんでしょうか?」
「表に出た行動だけを見れば、そうだがね。水面下では何をしておるか」
「同志が何人か、ラニスタの調査に行きましたけど、あれから何か新しい情報ってありましたっけ?」
「クラピーフニク君が知らぬなら、儂はもっと知らんよ」
二人は再び画面に目を向けた。
辞書十万冊、参考書三十万冊は、確かに大きいが、アーテル共和国内の教会は二万八千カ所余りある。半分にも満たない上、一カ所当たり十冊では、全員には行き渡らない。
何もしないよりはマシだが、焼け石に水だ。
作家と出版社の株は大いに上がるが、アーテル政府や教育省の無力が際立ち、民心は更に離れるだろう。
「ラニスタからは、例の動画が見られるのだったかな?」
「えぇ。湖底ケーブル破断の影響は、アーテルと国境を接する北西部の一部地域に限られます。それも、通信事業者が可搬式の基地局を設置して、仮復旧させたそうです」
「コメントを書込んだ者の国籍などまでは、わからんかね?」
クラピーフニク議員が、画面をユアキャストに戻す。
湖南語で書込んだ者のインターネット用の呼称に矢印で触れると、プロフィール画面が表示された。
呼称の下にあるのは、アーテル共和国の国旗だ。
「あ、あれっ?」
二人揃って首を捻る。
パソコン部屋がノックされ、クラピーフニク議員が応対に立つ。
アルキオーネとタイゲタだ。
「ラクエウス先生、そろそろ歌のレッスンのお時間なんですけど」
「あぁ、すまんね。もうそんな時間か」
思い付いて聞いてみる。
「今、アーテルはインターネットの動画など見られん筈だが、これはどう言うコトかね?」
歌手の少女二人が画面を覗く。
「あぁ、これは自分で入力して登録する自称ですから。アーテル人だったとしても、現在地じゃありませんよ」
「どこか、ネットが繋がるとこ、ラニスタとかバルバツムとかからアクセスしてるかもです」
流石にアーテル出身の二人は詳しい。
タイゲタが微笑む。
「ホントにアーテル人か確認できませんけど、ホントだったら、ファーキルさんの動画、ちゃんと届いたってコトですよね」
「まぁ、この人がどう動くかわかりませんし、何もしない可能性が一番高いんですけどね」
アルキオーネに現実を突きつけられ、ラクエウス議員は苦笑して席を立った。




