1678.電子式血圧計
手紙を託ったクルィーロは、すぐ素材屋を出た。
「ヂオリートと言う逃亡犯が要注意人物であることは、ロークさんから聞きました。郭公の巣の店長も、警戒対象に入れたようです」
今日のクラウストラは、大人っぽい顔立ちに合わせた事務員風の服装だ。長い黒髪をひとつにまとめて括り、結び目にはいつもの青薔薇の髪飾りがある。
二十代前半くらいの外見で、中学生くらいにしか見えないアウェッラーナより、ずっと大人に見えた。だが、日によっては高校生くらいの姿にもなり、実年齢は全くわからない。
淡々とした情報提供に素材屋プートニクが食いついた。
「クロエーニィエが? まぁ、テロ組織の奴に売るのは癪だけどよ」
「ネモラリス憂撃隊には、呪符職人も居るけど、売る物はないってワケね?」
「俺は誰がそうかわかんねぇから、知らずに売るかもしんねぇぞ?」
運び屋フィアールカがニヤリと笑うと、素材屋プートニクは困った顔で頭を掻いた。
「別にそこまで気にしなくていいんじゃない? どうせ術か道具で顔を変えて来られたら、お手上げなんだし」
「そうは言ってもなぁ。俺だって人間同士の戦争なんざ、バカバカしくてさっさと終わって欲しいんだぞ」
「あら、騎士様、殊勝なお言葉だこと」
「何百年前のハナシしてんだよ」
「そろそろ行きましょう」
クラウストラが、タブレット端末の時計を見て、薬師アウェッラーナを素材屋から連れ出す。
元神学生スキーヌムは蒼白な顔で唇を引き結ぶが、元神官の運び屋フィアールカに任せておけば安心だ。王都ラクリマリスの西神殿は、彼女の元勤め先で、知り合いも多い。何かあれば、助けてもらえるだろう。
魔法薬専門店への道順は、以前、クルィーロに端末で地図を見せてもらった時に控えた。薬師アウェッラーナは一度訪れた記憶と合わせ、迷いのない足取りで商店街を行く。
巡礼者や観光客相手の土産物屋が犇く繁華な通りとは異なり、地元民向けの店が昔ながらの佇まいを残す閑静な一画だ。
「何の素材ですか?」
「高血圧のお薬を作りたいんです。最近、兄に心配な症状が出て来て」
「えっ? お兄さん、まだそんな年じゃ……」
「兄は六十過ぎの常命人種なんです。【見診】で大体はわかるんですけど、血圧計がなくて、細かいとこまではわからなくて」
「売ってますよ。その辺の電器屋さんで」
「えぇッ?」
思わず足が止まった。
「ネモラリスでは水銀の漏洩事故対策で、医療機関にしか売らないんですけど」
「科学文明国では、水銀式の体温計や血圧計の回収と処分が進んで、今はほぼ電子式になりました」
「水銀中毒の心配がないから、一般の人にも売って大丈夫なんですね」
「そうです。ラクリマリスの家庭向け医療機器は、主に日之本帝国やドリチス連邦からの輸入品です」
クラウストラは、タブレット端末で調べず、すらすら答えた。
日之本帝国は、チヌカルクル・ノチウ大陸極東の島国。ドリチス連邦は、アルトン・ガザ大陸北部、バルバツム連邦の北東に位置する世界第四位の経済大国だ。どちらの国も、科学技術の発展が著しい。
「よくご存知ですね」
「インターネットが使える環境なら、世界中のニュースを見られますからね。どちらの国にも、世界有数の医療機器メーカーがあって、新製品が出る度にニュースになるんですよ」
「ネモラリスとは、情報量が全然違うんですね」
「そうですねー……後でちょっと、電器屋さん見てみます?」
思いがけない申し出に恐縮する。
「でも、お買物だけじゃなくて、情報収集も目的ですよね?」
「え、えぇ、まぁ……」
「じゃ、行きましょう」
ラクリマリス王国は湖上封鎖中でも品揃えが豊富で、魔法薬の素材は問題なく買えた。
クラウストラに連れられ、観光客が多い通りへ移動する。よく見ると、土産物屋だけでなく、タブレット端末や携帯電話関連の店がそこかしこにあった。
機械関連の店が連なる一画があり、そこだけ見ると、科学文明国に迷い込んだような錯覚に陥る。
「端末カバー、湖の民のみなさんには、こちらの呪印入りが大変人気ですよ」
店員の声でアウェッラーナは何となくそちらを見た。
緑髪の若い男女が、見本の並ぶ薄い棚の前で接客を受ける。店員が手にとって見せるのは、ひとつの花の略紋の下に【魔除け】の呪文と呪印が刺繍された革製のカバーだ。
「当店は神殿公認ですから、特別に女神様の御紋もお入れ致しております」
……凄い商売ね。
売上から幾ら神殿へ回るか知る由もないが、そうでもしなければ、半世紀の内乱で損壊した神殿の修復費用を賄えないのが、遣る瀬なかった。
ラクリマリス国王は、南ザカート市の再建を断念。復旧させる神殿の数を絞っても、まだ費用が不足するらしい。
「今日は、このお店を見た後、宿へ行きますね」
クラウストラの明るい声で、暗い物思いの渕から引き上げられた。
ラクリマリス王国の家電量販店には、ネモラリス人のアウェッラーナが見たこともない品が、澄まし顔で並ぶ。外観だけでは、何をするものかさえ分からない製品が多かった。
「科学文明国なら必ずある洗濯機や掃除機、ヘアドライヤーとかは、魔法で代替できるから、置いてません」
「ここにあるのは全部、魔法ではできないコトができる機械ばかりなんですね」
「ご名答!」
クラウストラはにっこり笑い、店員さながらの自然な動作で「健康器具売場」へ案内した。
体脂肪率も同時に測れる体重計、患者に触れることなく測れる体温計、非侵襲性の酸素飽和度測定機など、最先端の医療機器が売場を占める。
値札の簡単な説明だけでも、一般家庭用とは思えない専門性の高い機器が多い。こんな高性能の製品は、アウェッラーナの勤務先アガート病院にもなかった。
長机には血圧計の見本機が並ぶ。
白髪混じりの女性が椅子に腰掛け、係員の説明を聞きながら自分で操作した。機械に腕を通して数秒で、液晶画面に血圧と心拍数の数値が表示される。
薬師アウェッラーナは、隣国が急に遠くなった気がした。
☆南ザカート市の再建を断念……「0208.何かいい案は」参照
☆アウェッラーナの勤務先アガート病院……「0005.通勤の上り坂」「0006.上がる火の手」「0045.美味しい焼魚」参照
※ 水銀式の体温計や血圧計の回収と処分
一時期、病院や薬局などに回収箱があったので、見たことがある人も居るかもしれません。まだ家にある人は、お住まいの自治体の公式サイトで回収場所を確認してください。
【参考】水銀に関する水俣条約(外務省)
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kankyo/jyoyaku/suigin.html
【参考】水銀体温計、水銀温度計、水銀血圧計等回収事業 - 環境省(PDF)
https://www.env.go.jp/recycle/waste/mercury-disposal/3.kaisyujirei.pdf
▼ひとつの花の略紋




